日本近现代女性文学名篇解析 9.2
作者: 林敏
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更新至 《ひもじい月日》解析 2024-05-06 00:40:59
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简介

该书由四川文艺出版社出版。

十三夜

樋口一葉

いつもならお関は威勢のよい黒塗りの?車で実家に来ると、それ、門外に車の音が止まった、娘ではないかと両親に出迎えられるはずだった。しかし、今夜は辻より飛び乗りの車さえ帰して、お関は?悄然と格子戸の外に立っている。家より父親の相変わらずの高声。

言わばわしも福人の一人だな。いずれも大人しい子供を持って、育てるのに手はかからずと人には褒められている。分外の慾さえ渇かねば、この上望みも無し。やれやれあり難い事と物語られる。

あの相手は定めし母親。ああ、何もご存知無しにあのように喜んでお出で?遊?ばす物を、どの顏を下げて離縁状を貰ってくださいと言われた物か、叱かられるのは必定。太郎という子もある身にて置いて駆け出して来るまでにはいろいろ思案もし尽した後だけと、今更にお年寄りを?驚?かしてこれまでの喜びを水の泡にさせます事は辛い。いっそ話さずに戻ろうか、戻れば太郎の母と言われて何時いつまでも原田の奥様。ご両親に頼もしい婿がある身と自慢させ、私さえ身をつめれば時偶お口に合うものやお小遣いも差しあげられる。なのに、思うままを通して離縁となれば太郎には継母の憂き目を見せ、両親には今までの自慢の鼻を俄かに低くさせまして、人の思惑、弟の行末、ああ、この身一つの心から出世の真も止めてしまう、戻ろうか、戻ろうか、あの鬼のような夫の元へ戻ろうか。あの鬼の、鬼の夫の元へ。ええいやいや、と身を震わした途端、よろよろとして音を立てた。すると、誰だ、と父親の声。道行く悪太郎の悪戯と紛えたようだ。

外に立っていたお関はおほほと笑って、お父様私で御座んす、と如何にも可愛い声。や、誰だ、誰だったんだと父親は障子を引き開けて見た。

ほうお関か、何だなそんな所に立っていて、どうしてまたこの遅くに出かけて来た。車も無し、女中も連れていないのか。やれやれま早く中へ這入れ、さあ這入れ。どうも不意に驚かされたようでまごまごするわな、格子は閉めずともいい、わしが閉める、兎も角も奥が好い。ずっとお月様のさす方へ。さ、蒲団へ乘れ、蒲団へ。どうも?畳?が汚いので、大家に言ってはおいたが、職人の都合があると言ってな。遠慮も何もいらない。着物がたまらないからそれを敷いてくれ。やれやれ、どうしてこの遅くに出て来た。お宅では皆お変りも無しか。

いつもと変わらなく持てはやしてくれた。だけどお関は丸で針の?席?に乗るようになり、奥様扱かいは?情?なかった。でも、じっと?涙?を呑み込む ほかはない。

はい。誰れも時候の障りも御座いません。私は申し訳のない御無沙汰をしておりましたが、貴君もお母様も御機嫌よくいらっしゃいますか。

いやもう、わしは?嚏?一つないくらい。お?袋?は時たま、例の血の道というやつを始めるが、それも蒲団をかぶって半日もいればけろけろとする病だから、子細は無しさ。

父は元気よくからからと笑う。亥之さんが見えませぬが今晩はどちらへか参りましたか、あの子も変らず勉強でござんすかと聞くと、母親はほたほたとしてお茶を進めながら答えた。

亥之は今しがた夜学に出て行きました。あれもお前のお蔭さまで、この間は?昇給?させて頂いたし、課長様が可愛がって下さるので何れぐらい心丈夫であろう。これというのもやっぱり原田さんの縁があるからだと宅では毎日言い暮しています。お前に如才はあるまいけれど、今後とも原田さんのご機嫌の好いように。亥之はあの通り口の重い質だし、何れお目にかかっても呆気ないご挨拶よりほかはできまいと思われるから、何分ともお前が中に立って私どもの心が通じるよう、亥之の行末をもお頼み申しておいておくれ。ほんに変わり目で陽気が悪いけど太郎さんはいつも悪戯をしていますか。何故今夜は連れてお出でないの。お祖父さんも恋しがってお出でなされたものなのに。

そう言われてお関は又今更にうら悲しくなった。

連れて来ようと思いましたけれど、あの子は宵惑いでもうとうに寝ましたからそのまま置いて参りました。本当に悪戯ばかり募りまして聞わけは少しもない。外へ出れば後を追いますし、家にいれば私の傍ばっかり狙って、ほんにほんに手が懸かってなりません。何故あんなので御座いましょう。

答えながら思い出しの涙が胸の中に?漲?るようになった。

思い切って置いては来たけれど、今頃は目を覚まして母さん母さんと女中どもを迷惑がらせ、煎餅やお果子の誑しも利かない。皆々手を引いて鬼に喰わすと脅してでもいよう。

ああ可哀想な事をしてしまったと声をたてても泣きたくなったが、こんなにも両親の機嫌よいのに言い出しかねて、?煙?に紛らす煙草二三服して、空咳こんこんとして涙を襦袢の袖に隠した。

今宵は旧暦の十三夜、?旧弊?だけどお月見の真似事に団子を拵えてお月様にお備え申しました。これはお前も好物だから少々なりとも亥之助に持たせて上ようと思っていたのだけど、亥之助も何か極まりを悪がって、そんな物はお止しなさいと言うし、十五夜にあげないんだから片月見 になっても悪るし、喰べさせたいと思いながら思うばかりであげる事が出来なかった。なのに今夜来てくれるとは夢のようだ。ほんに心が届いたのであろう。自宅では甘い物はいくらも喰べようけど、親の?拵?えた物は又別物。奥様気を取り捨てて、今夜は昔のお関になって、見栄を構わず豆なり栗なり気に入った物を喰べて見せておくれ。いつでも父様と?噂?すること。出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お?位?のよい方々や身分のある奥様がたとのお交際もして、ともかくも原田の妻と名乗って通るには気骨の折れる事もあろう。女中どもの使いよう出入りの者の行き渡り、人の上に立つ者にはそれだけに苦労が多い。里方がこんな身柄では尚更の事。人に?侮?られないよう心掛けもしなければなるまい、それをさまざまに思ってみると父さんも私も孫なり子なりの顏が見たいのはあたりまえだけど、あんまり煩く出入りをしてはと控えられて、ほんにお門の前を通る事はありとも、木綿着物に毛繻子の洋傘をさした時には見す見すお二階の?簾?を見ながら、ああお関は何をしている事かと思いやるばかりで行き過ぎてしまいます。実家でも少し何とかなっていたら、お前の肩身も広かろうし、同じくでも少しは息の付けようにもなる。何を云うにも此通り、お月見の団子をあげようにも重箱からしてお恥かしいでは無かろうか。ほんにお前の心遣いが思われると嬉しい中にも、思うままの通路が叶わねば、愚痴の一トつかみ賤しい身分を?情?なげに言われてしまう。

本当に私は親不孝だと思います。それはなるほど柔らかい衣服をきて手車に乘り歩く時は立派らしくも見えましょうけど、父様や母様にこうして上ようと思う事も出來ず、いわば自分の皮一重、いっそ賃仕事しても、お傍で暮した方がよっぽど快ようございます。

馬鹿、馬鹿、そんな事を仮にも言ってはならない、嫁に行った身が実家 の親の?貢をするなどと思いも寄らない事。

家にいる時は斉藤の娘、嫁入っては原田の奥方ではないか。勇さんの気に入るようにして家の内を納めてさえ行けば、何の子細は無い。骨が折れるからと言っても、それだけの運のある身ならば堪えられない事はないはず。女などという者はどうも愚痴が多い。お袋などがつまらない事を言い出すから困り切る。いやどうも団子を食べさせる事が出来ないからと言って一日大立腹であった。大分熱心で?拵?えた物と見えるから十分に食べて安心させてやってくれ。よっぽど旨かろうぞ。

父親がおどけを入れるから再び言いそびれて、ご馳走の栗や枝豆を有難く?頂戴?した。嫁入ってから七年の間、未だに夜に入って客に来た事も無い。土産も無しに一人歩行して来るなど悉皆試しの無い事。思いなしか衣類もいつもほど煌びやかで華やかならず、稀に会った嬉しさにさのみは心も付かない。婿よりの言伝と一言の?口上?も無く、無理に笑顏を作りながら底に萎れた所があるのは何か子細がなくては叶わない。

父親は机の上の置時計を眺めている。

こりゃもう程なく十時になるが、関は泊まって行ってよいのかの。帰るならばもう帰らねばなるまいぞ。

気を引いて見る親の顏。娘は今更のように見上げる。

お父様、?私?はお願いがあって出たのでございます。どうぞお聞き遊ばしてください。

お関はきっとなって?畳?に手を突く時、はじめて?一雫?幾層の憂きを洩らし始めた。

父は?穏?かならない色を動かして、改まって何かのと膝を進めた。

私は今夜限り、原田へ帰らない決心で出て参ったので御座います。勇の許しで参ったのではなく、あの子を寝かして、太郎を寝かしつけて、もうあの顏を見ない決心で出て参りました。まだ私の手より他には誰の守りでも承知しないほどのあの子を騙して寝かせて夢の中に、?私?は鬼になって出て参りました。お父様お母様、察してくださいませ。私は今日まで遂に原田の身についてお耳に入れましたことも無く、勇と私との仲を人に言った事は御座いません。しかし千度、百度も考え直して二年も三年も泣き尽くして、今日という今日どうでも離縁を貰って?頂?こうと決心の臍を固めました。どうぞお願いで御座います。離縁の状を取って下さい。私はこれから内職なり何なりして亥之助の片腕にもなられるよう心がけますから、一生一人で置いて下さいませ。

わっと声を立ててお関は襦袢の袖を噛みしめた。墨絵の竹も紫竹の色には出づる哀れの物になる。

それはどういう子細なんだと父も母も詰め寄って問いかかる。

今までは默っていましたけど、私の家で夫婦がさし向かいを半日見て下さったら大抵お分かりになりましょう。物を言うのは用事のある時慳貪に申し付けられるばかり。朝起きまして機嫌を聞けば、不図脇を向いて庭の草花をわざとらしい褒め言葉。これにも腹は立ちますけど、夫の遊ばす事だから我慢して私は何も?言葉争?いした事も御座いません。なのに、朝飯上がる時から小言は絶えず、召使いの前で散散と私の身の不器用不作法をお並べなさる。

それはまだまだ辛抱もしましょうけれど、二言目には教育の無い身、教育の無い身とお?蔑?みなさる。それはもとより華族女学校の椅子にかかって育った者ではないに相違なく、ご同僚の奥様方のようにお花のお茶の、歌の画のと習い立てた事も無ければそのお話しのお相手は出來ません。だけど、できなかったら、人知れず習わせて下さっても済むべきはずでしょう。何も表向き実家の悪いのを?吹聴?なさって、召使の女どもに顏の見られるような事をせずともよさそうなもの。嫁入って丁度半年ばかりの間は、関や関やと下へも置かないようにして下さったけど、あの子が出来てからという者は丸でお人が変わりました。思い出しても恐ろしゅう御座います。私は暗闇の谷へ突き落されたように暖かい日の影という物を見た事が御座いません。初めの中は何か冗談にわざとらしく邪険に遊ばすのと思っておりましたが、全くは私にお飽きなさったのです。こうもしたら出て行くか、ああもしたら離縁をと言い出すかと虐めて虐めて虐め拔くので御座いますよ。お父様もお母も私の?性分?はご存知。よしや夫が藝者狂いなさろうとも、囲い者してお置きなさろうとも、そんな事に悋気する私でもなく、侍婢どもからそんな噂も聞えますけど、あれほど?働?きのあるお方ですもの。男の身のそれくらいはありうちでしよう。余所行きには衣類にも気をつけて気に逆らわないよう心がけておりますのに、ただもう私のする事は一から十まで面白くなく思しめなさる。箸の上げ下しに、家の内が樂しくないのは妻の仕方が悪いからだと?仰?る。それも、どういう事が悪い、ここが面白くないと言い聞かせて下さるようならいいのですけど、一筋につまらない、くだらない、分からないやつ、とても相談の相手にならない、言わば太郎の乳母として置いて遣わすのと?嘲?って仰るばかり。ほんに?夫?と言うのではなく、あのお方は鬼で御座います。ご自分の口から出て行けとは?仰?いませんけど、私がこんな意気地無しで太郎の可愛いさに気が引かれ、どうでもお言葉に違背せず、はいはいとお小言を聞いております。すると張りも意気地もないぐうたらの奴。それからして気に入らないと仰います。そうかといって少しなりとも私の言う事を立てて負けない気にお返事をしましたら、それを?取?に出て行けと言われるのは必定。私はお母様として出て來るのでも何でも御座いません。名の立派な原田勇に離縁されたからといって、夢更殘り惜しいとは思いません。だけど何も知らないあの太郎が片親になるかと思いますと意地も無く我慢も無く、詫びて機嫌を取って、何でも無い事に恐れ入って、今日までも物言わずに辛抱しておりました。お父様お母様、私は不運で御座います。

お関は口惜しさ悲しさを打ち出し、思いも寄らない事を語った。兩親は顏を見合わせて、さてはそのような憂き仲かと呆れて暫し言う事無し。母親は子に甘いならい、聞く事毎に身に沁みて口惜しく感じた、父親は何と思し召すか知らないが、母親は猛って前後も?顧?みない。

もともとこっちから貰ってくださいと願ってやった子では無い。身分が悪いの学校がどうしたのとよくもよくも勝手な事が言われた物。先方は忘れたかも知れないが、こちらは確かに日まで覚えている。お関が十七のお正月、まだ門松を取りもしない七日の朝の事だった。元の?猿楽町?のあの家の前で、お隣の?小娘?と追羽根して、あの子の突いた白い羽根が通りかかった原田さんの車の中に落ちたといって、それをお関が貰いに行ったんだ。その時初めて見たとか言って、人橋掛けてやいやいと貰いたがる。ご身分柄にも釣り合いませんし、こちらはまだ根っからの子供で何も稽古事も仕込んでは置きません。支度も只今の有様で御座いますからといって幾度断ったか知れない。だけど、何も?舅??姑?の喧しいが有るわけでは無し、わしが欲しくてわしが貰うには身分も何も言う事はない。稽古は引き取ってからでも充分させられるからその心配も要らない。兎角呉れさえすれば大事にして置こうからと、それはそれは火のつくように催促した。こちらから強請ったわけではないけど、支度まで先方で整えて、言わばお前は?恋女房?。私や父様が遠慮をしてさのみは出入りをしないのも、勇さんの身分を恐れてではない。これが?妾?などに出したのではなく、正当にも正当にも百曼陀羅頼みに寄越して貰って行った嫁の親。大威張りに出入りしても差し支えはない。だけど、あちらが立派にやっているに、こちらがこの通りつまらない暮らしをしていたら、お前の縁に縋って婿の助力を受けもするかと他人様の思惑が口惜しく。痩せ我慢ではないけど、交際だけはご身分相応に尽して、平常は会いたい娘の顏も見ずにいます。それを何の馬鹿馬鹿しい親無子でも拾って行ったように?大層?らしい。物が出来るの出来ないのとよくそんな口が利けたもの。默っていては際限もなく募ってそれはそれは癖になってしまいます。第一は女中どもの手前で奥様の威光が削げて、末には御前の言う事を聞く者も無く、太郎を仕立てるにも母親を馬鹿にする気になられたら何としますか。言うだけの事はきっと言って、それが悪いと小言を言ったら、何の私にも家がありますと言って出て来るがよかろうではないか。ほんに馬鹿馬鹿しい。それほどの事を今日の日まで默っているという事がありますものか。あんまりお前が大人し過ぎるから我がままが募られたのであろう。聞いたばかりでも腹が立つ。もうもう退けているには及びません。身分が何であろうが父もある母もある。年は行かないが亥之助という弟もあれば、そのような火の中にじっとしているには及ばないこと。なあ父さん、一遍勇さんに会って、充分?油?を取ったら宜う御座いましょう。

先刻より腕組して目を閉じていた父親は落ち着いて尋ねた。

ああ、お袋、無茶なことを言ってはならない。わしさえ初めて聞いて、どうした物かと思案に暮れる。お関のことならば並大抵でこんな事を言い出しそうにもない。よくよく辛さに出て来たと見える。ところで今夜、婿殿は不在か、何か?改?まっての事件でもあったのか。いよいよ離縁するでも言われて来たのか。

?夫?は一昨日より家へは帰りません。五日、六日と家を空けるのは常の事。さのみ珍らしいとは思いませんけど、出際に召物の揃えかたが悪いと言って、どれほど詫びても聞き入れが無い。それを脱いで叩きつけて、御自身洋服に召し替える。ああ、私ぐらい不幸せな人間はあるまい、お前のような妻を持ったのはと言い捨てにお出ておいで遊ばしました。何んということで御座いましょう。一年三百六十五日物を言うこともなく、偶々言われるはこのような?情?ないことばをかけられる。それでも原田の妻と言われたいか、太郎の母で?候?と顏をおし拭っている心か、我が身ながら我が身の辛抱がわかりません。

もうもうもう、私は夫も子も御座いません嫁入しない昔と思えばそれまで。あの素直な太郎の寢顏を眺めながら置いて来るほどの心になりましたからは、もうどうでも勇の側にいることは出来ません。親はなくとも子は育つと言います。それに私のような不運な母の手で育つより継母御なり、お手掛けなり気に適った人に育てて貰ったら、少しは父親も可愛がって後々あの子のためにもなりましょう。私はもう今宵限りどうしても帰ることは致しません。

奇麗に言えども言葉は震えた。父は溜息をついた。

無理はない。居辛くもあろう。困った仲になったものよ。父親は暫くお関の顏を眺めていた。大丸髷に金輪の根を卷いて黒縮緬の羽織を何の惜しげも無く着ている。わが娘ながらも何時しか整った奥様風。これを結び髮に結い替えさせて綿銘仙の半天に?襷?がけの水仕業させる事如何にして忍ぶべき。太郎という子もあるものである。一端の怒りに百年の運を取はずして、人には笑われものとなる。身は昔の斉藤の娘に戻れば、泣くとも笑うとも再び原田太郎の母とは呼ばれる事はないのである。

夫に未練は殘さずとも我が子の愛が断ち難い。離れていよいよ物をも思うだろうし、今の苦労を恋しがる心も出づべし。こんなに?形?好く生れた身の?不幸?である。不相応の縁に繋がれて幾らの苦労をさせる事と哀れさが増さる。

いやお関、こう言うと父が無慈悲で汲み取ってくれないのと思うかも知らないが、決してお前を叱るではない。身分が釣り合わねば思う事も自然に違う。こちらは真から尽す気でも、取りようによっては面白くなく見える事もあろう。勇さんだってあの通り物の道理を心得た、利発の人ではあり、随分学者でもある。無茶苦茶に虐め立てるわけではあるまいが、得て世間に褒めものの敏腕家などと言われては極めて恐ろしい我が儘者。外では知らぬ顏に切って回すが、勤め向きの不平などまで家へ帰って当り散らされる。的になっては随分辛い事もあろう。なれどもあれほどの夫を持つ身のつとめ。区役所通いの腰弁当が釜の下を焚きつけてくれるのとは格が違う。従って喧しくもあろう。難しくもあろう。それを機嫌の良い様に整えて行くのが妻の役。うわべには見えないが。世間の奥様という人達の何れも面白くおかしい仲ばかりはあるまい、身一つと思えば恨みも出る。何のこれが世の勤めというもの。殊にはこれほど身柄の相違もあることだったら、人一倍の苦もある道理。お?袋?などが口広い事は言えるが、亥之が昨今の月給にありついたのも?必竟?は原田さんの口入れではなかろうか。七光りどころか十光りもして、余所ながらの恩を着たと言われたのは辛かろうとも、一つは親のため弟のため、太郎という子もあるもの。今日までの辛抱がなるほどならば、この後もできない事はあるまい。離縁を取って出たが宜いか。太郎は原田のものになる。そっちは斉藤の娘、一度縁が切れては二度と顏を見に行く事もあるまい。同じく不運に泣くほどならば、原田の妻で大泣きに泣け。なあ、関、そうでは無いか。合点がいったら何事も胸に納めて知らぬ顏に今夜は帰って、今まで通り?謹?んで世を送ってくれ。お前が口に出さなくとも親も察する?弟?も察する、涙はてんでに分けて泣こう。

因果を含めてこれも涙を拭った。お関はわっと泣き出した。

それでは離縁をと言っていたのも我が儘で御座いました。成程太郎に別れて顏も見られないようになれば、この世にいても甲斐もないもの。唯目の前の苦を逃れたとしてもどうなる物で御座いましょう。ほんに私さえ死んだ気になれば三方四方波風たたず、兎もあれあの子も両親の手で育てられます。

つまらない事を思い寄せまして、貴君にまで嫌な事をお聞かせ申しました。今宵限り関は亡くなって、?魂?一つがあの子の身を守るのと思います。そうすれば夫の辛く当たるくらいは?百年?も辛抱出來そうな事。よくお言葉も合点が行きました。もうこんな事はお聞かせ申しませんから、心配を下さいますな。

拭った後からまた涙。母親は声を立てて、何というこの娘は不幸せなんだろ。

また一頻り大泣きの雨。曇らぬ月も折から淋しい。後ろの土手の自然生えを弟の亥之が折って来て瓶に插した?薄?の穗の招く手ぶりも哀れの夜だった。

実家は上野の新坂下にある。駿河台への路は茂る森の木の下で暗佗しい。しかし、今宵は月もさやかで、広小路へ出れば昼も同様。雇いつけ の?車?宿?などない家だから、路行く車を窓から呼んだ。

合点が行ったら兎も角帰れ。主人の留守に?断?り無しの外出だから、これを咎められとも申訳の言葉はあるまい。少し時刻は遅れたけど車ならば一飛び。話しは重ねて聞きに行こう。先ず今夜は帰ってくれ。

手を取って引き出すような事もきっと親の慈悲、お関はこれまでの身と覚悟した。

お父様、お母様、今夜の事はこれ限り。帰りますから私は原田の妻で御座います。夫を誹るは済みませんから、もう何も言いません。関は立派な夫を持ったので、弟のためにもいい片腕。ああ安心だなと喜んでいて下さい。

私は何も思うことは御座いません。決して決して不了簡など出すような事はしませんから、それも案じて下さいますな。私の身体は今夜を始めに勇のものだと思いまして、あの人の思うままになんとなりして貰いましょう。それではもう私は戻ります。亥之さんが帰ったら宜しく言って置いて下さい。お父様もお母様もご機嫌よう。この次には笑って参ります。

是非無さそうにお関は立ち上がった。母親は無けなしの?巾着?を下げて

駿河台までいくらで行くと門外の?車夫に声をかける。

あ、お母様、それは私がやります。ありがとう御座いました。

大人しく挨拶をしてお関は格子戸を潜った。顏に袖を押し当て涙を隠して乘り移る哀れさ。家に父が咳払いの声も潤む。