第三章

书名:
当代日本文学的战争记忆危机——村上春树作品的战争叙事
作者:
冯英华,李雪著
本章字数:
157132
更新时间:
2023-09-25 11:11:53

図「新京市街地図」(1941年)1982年復刻、謙光社資料部

注:新京動植物の地図に象(4)が表記されているが、計画図面ということである。

「新京動植物園」の歴史的な意味、すなわち「満洲国」建設における「新京動植物園」の役割を明瞭化する必要がある。近代日本における動物園の発展過程について研究した若生謙二は、「新京動植物園」については次のように述べている。

つまりこの動物園は、植民地支配を補強するために、住民の国家帰属意識を

醸成する施設として、満州国住民の日本への同化政策の一端を担うものとして

設けられたのである。新京動植物園は、一面では入植者への誘致施設としての

役割を担いつつも、基本的には植民地支配に伴う文化的支配を目的として建設

されたものであった。

若生謙二「近代日本における動物園の発展過程に関する研究」「造園雑」46(1)、1982年、p.8。

日本の資本主義済は、恐慌と不況をて行きづまり、植民地支配の強化と

軍国主義化によって、その打開をはかろうとしてきた。動物園史におけるこの

時代の特徴は、侵略政策との関係に顕著にあらわれている。1932年、関東軍が

傀儡政権として建国した「満洲国」に、1938年、新京動植物園が開設された。

「満洲国」は日本にとって、市場獲得と大陸支配の基地としての意義をもって

いたが、その首都に設けられた動物園建設の目的は、「新京動植物園の建設計画」

によれば、次の通りである。「従来軍閥政治に虐げられ、教育の程度低く国家の

何たるかも知らず、ひたすら為政者の搾取から遁れんとする自主的観念に培れ

来った満州国住民に対し、動植物園の如き一般的な軟か味ある文化施設を設け

て社会知識の開発に努め、…、不言不語の裡に国民の歓心を国都に集中せしめ

従って国家観念を滴養せしめん」

中俣充志「新京動植物園の建設計画」「博物館研究」第13巻第2号、日本博物館協会、1940年、p.4。

ことが第1としてあげられていた。つまり

この動物園は、植民地支配を補強するために、住民の国家帰属意識を醸成する

施設として、満州国住民の日本への同化政策の一端を担うものとして設けられ

たのである。新京動植物園は、一面では入植者への誘致施設としての役割を担

いつつも、基本的には植民地支配に伴う文化的支配を目的として建設されたも

のであった。

前掲論文「近代日本における動物園の発展過程に関する研究」、p.8。

したがって、「満洲国」崩壊寸前という時代背景の設定から見ると、この「新京の動物園」に起こったフィクションの「動物園襲撃」は、一つの時代の暴力が段階的に焉を迎えたことを意味するものであろう。「新京動植物園」が物語の舞台になるのは、文学表現の便利さから選ばれたというだけでなく、植民地社会における「新京動植物園」の意味を重要視したものであろう。このように、ノモンハンと「新京の動物園」にクローズアップされた暴力は、現代社会の代表的な悪人とされる绵谷ノボルによる暴力と輪を成している。

5. 「満洲」から引揚げの記忆——歴史の実像に关して

第3部第10章「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」の冒頭は「満洲」からの引揚げ船で始まる。筋に不在の語り手がナツメグの代わりにアメリカ潜水艦と遭遇した光景を語ってくれる。そして、引揚げの光景からモンタージュのように視が切り替えられて、幼いナツメグが見なかったはずの動物園での動物射殺に向けられる。

ナツメグはそのとき佐世保に向かう運送船の甲板に立っていたし、そこで実

際に目にしていたのはアメリカ海軍の潜水艦だ。

彼女が蒸し風呂のような船倉を逃れて甲板に立ち、ほかの多くの人々と一緒

に手すりにもたれて、微かな風を受けながら波ひとつない穏やかな海面を眺め

ているときに、その潜水艦は何の前触れもなく予兆もなく、まるで夢の一部の

ように出し抜けに海上に浮かび上がってきた。まずアンテナとレーダーと潜望

鏡が海面に姿を見せ、次に司令塔が波を立てて水を分かち、やがて濡れた鉄の

塊が夏の光の下にすらりとした裸身を曝した。潜水艦という限定された体裁を

とっていたものの、それはむしろ何かの象徴的なしるしのように見えた。ある

いは意味のわからないたとえのように。

潜水艦は獲物の子をうかがうように、しばらく運送船と並行して進んだ。

やがて甲板のハッチが開き、乗組員たちが一人また一人と、どちらかといえば

緩慢な動作で甲板に姿を現した。誰もあわててはいない。上官たちは司令塔の

デッキから、大きな双眼鏡で輸送船の子を観察していた。時折そのレンズが

きらりと太陽に光った。輸送船は本土に向かう民間人を満載していた。その大

半は女性と子供たち、目前に迫った敗战の混乱を避けるために故国に引き揚げ

ようとする満州国日系官吏や満鉄の高级職員の家族だ。洋上でアメリカの潜水

艦に攻撃されるかもしれないリスクも、中国大陸にとどまる悲惨さと比べれば

まだ承服できるものだった——少なくとも実際に

それが眼前に姿を現すまでは。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、pp.9293。

(中略)

満州国の崩壊は目の前に迫っていた。

誰もがそのことを承知していた。関東軍の参謀たち自身がいちばんよく承知

していた。だから彼らは主力部隊を後方に撤退させ、国境付近にいた守備部隊

や開拓農民たちを事実上見殺しにした。非武装農民たちの多くは先を急ぐ——つ

まり捕虜を抱えている余裕のない——ソ連軍の手で惨殺された。女性たちの大半

は暴行されるよりは集团自決の道を選んだり、あるいは選ばされることになっ

た。国境近くの守備隊は彼らが「永久要塞」と名付けたコンクリートの城にこ

もって激しく抗战したが後方からの支援はなく、圧倒的な火力を受けてほとん

どの部隊がそこで全滅した。参謀や高级将校の多くは朝鮮との国境に近い通化

の新司令部に「移動」し、皇帝溥儀とその一族も大急ぎで荷物をまとめて、専

用列車で首都を脱出した。首都警備にあたっていた「満州国軍」の中国人兵士

たちの多くはソ連軍侵攻のニュースを聞くとすぐに兵営を脱出し、あるいは反

乱を起こして指揮をとっていた日本人将校を射殺した。当然のことながら、彼

らは日本のために命をかけて荒野の中に作り上げた満州国の首都、新京特別市

は不思議な政治的空白の中にとり残されることになった。満州国の中国人高级

官僚たちは、無用な混乱と流血を避けるために、新京市を非武装都市として無

血開城することを主張したが、関東軍はこれを退けた。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、pp.9596。(下线は冯英华)

「ねじまき鳥クロニクル」における歴史記述は、第1部のノモンハン(1938年)から、第3部では战直前(1945年8月)の場に飛躍的に移り変わっている。「1Q84」において「満洲」引き揚げの記忆は要的に語られているが、ここの「満洲」引き揚げの記忆は、甲板の上の光景を通して象徴的に描かれている。実際の「満洲」引き揚げについて、歴史研究での実

证的な成果を参照する。「満洲国」政府が瓦解し、日本在満大使館·領事館の機能が停止したのち、在留日本人は各地に日本人居留地を作って相互扶助、避難民受入れに当たった。1945年9月1日にはその中央機関として長春に「東北地方日本人救済会」が設けられた。翌1946年引揚げ事業開始とともに本部が瀋陽に移され、「全東北日僑善後連処」と改称されて引揚げ日本人の中心窓口となった。ソ連軍政下では全く取り上げられなかった日本人の送還問題がようやく動き出したのは、中国国民政府東北行営が瀋陽に入り、その下部機関である「日僑俘管理処」が活動を開始してからである。国民政府は山海関に近い葫蘆島を拠点とし、アメリカ軍の協力を得て引き揚げ事業を開始した。第1次遣送の先陣を切って、1946年5月7日、錦西·葫蘆島地区の2400余名が引揚げ第1船に乗船することができた。ついでに5月9日、瀋陽において日管から日僑に対して全日本人を対象とする引揚命令が下され、作業は本格化することになった。処ではさしあたり瀋陽·開原·鉄嶺·撫順·本渓湖·海城·鞍山·遼陽(のち5月24日、四平·公主嶺·長春を追加)に集した日本人を対象として第1期遣送計画を立てた。1946年5月から10月のこの第1期、いわゆる「100万遣送」といわれる期間に、待機していた在留日本人の大部分が帰国することができた。なお、中共軍支配地からの日本人の南下は、1946年6月(第2次)国共停战協定が成立したのち、アメリカ軍将校の斡旋·仲介によってはじめて可能になった。これにより、1946年8月から10月までの3ヶ月間に、236759人が移動を完了し、この第1期遣送に加わることができた。ソ連軍の占領がいた旅大地区の引揚げは最も遅れて1946年12月3日に始まり、翌47年3月31日までに22万人が引き揚げた。第2次遣送は1948年7月の5千人、第3次遣送は1949年秋の3千人であった。これら3回の遣送により一般日本人215037名、陸海軍人10917名、合計225937名がこの地区から帰国した。しかし旅大地区にはなお1200名余の技術者とその家族が留用され、残留させられた。

山本有造编著「満洲——記忆と歴史」京都大学学術出版会、2007年3月、p.1819。

「ねじまき鳥クロニクル」におけるナツメグは、「満洲国」日系官吏や高级職員の家族として、5歳だったナツメグと母親は他の一般の日僑より一足先に引き揚げ船に乗せられ、果として無事に日本に帰国できて、幸運だったと言える。これは「1Q84」の父親の逃避行と少々重なる物語の設定である。明らかに、引き揚げの苦難は「動物園の話」の重点ではないが、一般の引き揚げ記忆を逸脱する、特例として捉えられているのである。

6. 動物処分と児童文学

動物銃殺はこの「動物園襲撃」の中心的な内容となる。歴史の実相についていえば、佐藤昌の論考によれば猛獣たちは「薬殺」された。猛獣たちを銃殺したという村上の小説の設定はフィクションと言える。この節では、「動物射殺」を分析するにあたって、战後の児童文学における「動物園での動物殺し」の例を取り上げて検討する。村上の「動物園襲撃」との异同は興味深い。歴史的な出来事として、東京の上野動物園で熊、象、ライオンなど二十七頭の猛獣が殺された事件は、当時かなり大きく報道された。土家由岐雄の「かわいそうなぞう」を例として対照してみよう。この作品は1951年に童話集「愛の学校·二年生」(東洋書館)に発表された後、1970年8月、金の星社より「おはなしノンフィクション本」として出版された。あらすじは以下の通りである。第二次世界大战後期、東京にある上野動物園では空襲で檻が壊れた際の猛獣逃

亡を防ぐため、動物たちが殺されることになった。ライオンや熊が殺され、残すは象のジョン、トンキー、ワンリーだけとなった。象たちに毒の餌を与えたが、象たちは餌を吐き出してしまった。毒を注射しようにも、象の皮膚が固いため針が折れてうまくできなかった。それで、餌や水を与えず、餓死するのを待つことにした。象たちは可哀想に餌を希うが、ついに餓死するという果となる。「ねじまき鳥クロニクル」の「動物園襲撃」を児童文学の「かわいそうなぞう」と比べた場合、者層が异なることは言うまでもないが、語りの構造もより複雑だと言える。二つの物語が発生した背景は共通で、战争の後期に、战火の下で動物たちが逃げ出したら危険ということで、東京都の指示により野獣たちを殺処分する战時猛獣処分の命令が出されたというものである。ただし、「動物園襲撃」の舞台は外地である「満洲」に移されている。「新京の動物園」を験したのは当時子どもだったナツメグだったという設定から見れば、両方とも、子ども目を内包する語りとなっている。战後において「記忆」の記述の仕方という観点で見る場合、「動物殺処分」をテーマにする両作品は重要な題材ではないか。「動物園襲撃」では、象以外の豹、狼、熊などの動物も次々と射殺されている。

彼らは豹を殺し、狼たちを殺し、熊を殺した。その巨大な二頭の熊を射殺す

るのに一番手間がかかった。熊たちは数十発の小銃弾を撃ち込まれながら、そ

れでもなお檻に激しく体当たりし、兵隊たちに向かって歯をむき出し、唾を散

らして咆哮した。熊たち、どちらかといえばあきらめのいい(少なくともは目

にはそう見える)猫科の動物たちとは違って、自分たちが今こうして殺されつ

つあるという事実が、どうしてもうまく得できないようだった。おそらくそ

のせいで、彼らが生命という名で呼ばれている暫定的な状況に最的に別れを

告げるまでに、必要以上に長い時間がかかった。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、p.106。

「ねじまき鳥クロニクル」においては、象はあまりにも大きくて、処分する

のは不便なので、局殺さなかったことになっている。動物を射殺する光景は

血みどろで、野獣たちが懸命にもがく姿はリアルに表現されている。「射殺」の

残忍さのインパクトがあり、明らかに子ども向けに書かれたものではない。战

時下における虐殺を象徴的に表現する場面だと言える。次に「かわいそうなぞ

う」の具体的な描写をみよう。

まい日、えさをやらない日がつづきました。トンキーとワンリーも、だんだ

んやせほそっていきました。ときどきみまわりにいく人をみると、よたよたと

たちあがって「えさをください。」「えさをください。」と、ちがらないこえでせ

がむのでした。

土屋由岐雄「かわいそうなぞう」「愛の学校二年生」日本児童文学者協会、岩崎書店、1962年、p.131。

〈中略〉

ついにワンリーは十いく日めに、ドンキーは二十いく日めに、どちらも、て

つのおりにもたれながら、はなをたかくさしあげてばんざいのげいとうをした

まま、しんでしまいました。

同書、pp.135136。(下は馮英華)

ワンリーとドンキーがえさをこいねがって、ついに餓死したプロセスの哀れが強調され、者(子ども)の同情を引き起こそうとしている描写である。動物(象)が绝対的な弱者として捉えられている。「動物園襲撃」の場合、野獣たちは反撃できる相対的な弱者として描かれている。長谷川潮は、「かわいそうなぞう」について、次のように論じている。「猛獣と言えども、囚われたものである以上は人間に対して弱者であり、いつの時代でも、まず弱者が牺牲にされるのは、動物でも人間でも同じである。そういう弱者の立場に立って猛獣虐殺を扱った文学作品は、今日においても意味を持って入る。だが、それらが本当に力を持ちうるのは、ただセンチメンタルに猛獣の死を語るのではなくて、真実に基いてその責任を追求しているときなのである。」

長谷川潮「ぞうもかわいそう——猛獣虐殺神話批判」「战争児童文学は真実をつたえてきたか」梨の木舎、pp.2930。

村上は1949年の生まれで、子ども時代に「かわいそうなぞう」をんだことがあるかどうかは確かめられないが、小学校教材にも収録されたこの作品は、战後児童文学の名作として広く知られている。「動物園襲撃」と「かわいそうなぞう」とは、類似した歴史上の出来事を叙述しているとはいえ、异なる方向の「記忆」を提示している。むしろ前者では、被害が強調される「記忆」の書き換えが行われ、加害の記忆が血みどろなイメージで表現されていると考えられる。

7. 「満洲国」陸軍軍官学校についての证言

「新京の動物園」における動物射殺事件の後、第3部第28章「ねじまき鳥クロニクル#8(あるいは二度目の要領の悪い虐殺)」では暴力がグレードアップする。この章で語られるのは、8人の兵士が4人の中国人を動物園に連行して、虐殺した話である。中尉は中国人たちのうち3人を銃剣で殺し、北海道出身の若い兵士に命じて、残りのひとりをバットで叩き殺させた。この場面は「ねじまき鳥クロニクル」における反復する暴力のクライマックスとなる。「満洲国」軍の士官学校の中国人逃走兵が捕まった緯は次のように述べられている。

「この連中は満州国軍の士官学校の生徒でした。新京防衛の任務に就くのを拒否して、昨日の夜中に日系の指導教官二人を殺して脱走したのです。我々は夜間巡回中に彼らを発見してその場で四人を射殺し、四人を捕縛しました。二人だけがにれて逃げてしまった」

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、p.274。

「満洲国」崩壊寸前に、士官学校生の「反逆」の歴史的背景が反映されている。具体的にどこの士官学校かはが明言されておらずないが、やはり「新京の動物園」と同、固有名詞は避けられている。ここでは「満洲国」陸軍軍官学校についての回想文を参照し、分析する。

【原文】伪满长春陆军军官学校孙景大

陆军军官学校成立于1939年春,结束于1945年8月日寇投降,寿命6年

半。共招生7期19个连,二千人,毕业生共三期计八百多人。其中有日本学生

200多人。仅三期和六期有日本学生。四期至七期,因中国抗战胜利,“满洲国”寿

终正寝,军校也随之解体,因而未能毕业。

招生来源,除三、六两期从日本国招来两百来名学生外,都是从伪满高中、

国高毕业生中(伪满学制改革,从1939年起将初高两级中学合并,学制为四年,

名为国民高等学校)招生,经过考试录取的。但这个学校不与其他大学统考,而

是单独招生,学科考试与一般大学相同,身体检查较为严格。校部还有学生的档

案、照片、指纹等,俱备极齐。日伪当局,表面上对学生的思想控制不严,实际上外

松内紧,特别是对高年级学生,更是注意考察其言行及思想动态。一次在饭厅两

国学生拉队对打起来,战局一开,两军对峙,板凳饭桶,皆为武器,战斗十分激

烈。事后日寇宪兵队开来几部汽车,准备抓人。校长南云亲一郎在家得知,用电

话斥退了宪兵队,平息了这一事件。这是老牌殖民者(日本军少将,伪满中将)

采取的安抚方法,防止激化而已。(《长春文史资料》)

孙邦、于海鹰、李少伯编「伪满军事伪满史料丛书」吉林人民出版社、1993年12月、pp.656657。

【文】偽満洲国長春陸軍軍官学校孫景大

陸軍軍官学校は、1939年の春に設置され、1945年8月に日本の降伏ととも

に消滅するまで6年半にわたり存在していた。入学者数は7期19連隊で2000

人であった。卒業生は合計3期800人以上であった。中に日本人学生は200人

以上がおり、3期と6期だけにいった。4~7期生は、中国の抗日战争勝利で、

偽満州国が滅亡し、学校が解体されたため、卒業できなかった。

学生の募集は、日本から来た3期と6期の200名を除き、偽満洲国の高级中

学校と国民高等学校(学制改革により、1939年から初级中学校と高级中学校が

合併されて四年制となり、「国民高等学校」と呼ばれるようになった)の卒業生

を対象として、試験により採択した。ただし、この学校は他の大学との共通試

験とはせず、独立募集とされていた。学科試験は普通の大学と同であるが、

身体検査が厳しかった。学校には学生の身上調書(履歴書など)、写真、指紋な

どが完備されていた。傀儡当局は、表面的には生徒たちへの思想制は厳しく

なさそうに見せかけていたが、実際にはその逆であった。特に上级生の言行や

思想動向を更に注意·考察していた。ある日、食堂で両国の学生たちが仲間を

組んで争った。両者が対峙し、ベンチや食器も武器とされ、喧嘩は非常に激し

かった。後で日本の憲兵隊の自動車が走ってきて、人々を逮捕しようとした。

校長の南雲親一郎は事情を知り、電話で憲兵隊を引き下がらせ、事件を鎮めた。

これは、この古くからの植民者(日本の陸軍少将、偽満洲国の陸軍中将)が激

化を防ぐために取った方法であった。(「長春文史資料」)

この回想文からもわかるように、傀儡国家であった「満洲国」には、支配——被支配というアンバランスな権力構造の中で、火種が密かにたまっていた。「ねじまき鳥クロニクル」での士官学生の逃走や反逆は、歴史の実相に基づいたものである。それは想像力の発揮によって芸術的に表現された「記忆」と言えよう。「ねじまき鳥クロニクル」の物語世界では、暴力が中心的に語られているが、それについては改めて詳しく検討する。次章では、これらの「ノモンハン」、「新京の動物園」の記忆を作品の全体構造と合せて、さらに分析を深める。

8. 遅子建「伪满洲国」と暴力の描写

「伪满洲国」(日本語「満洲国物語」)は、遅子建が、7年間にわたり図書館や古書店などで歴史資料の調査を行った上、1998年4月から1999年12月にかけて執筆した長编小説である。2000年10月に作家出版社より刊行され、その後、2004年に人民出版社より再版された。日本語版は孫秀萍により翻され、2003年7月に河出書房新社より出版された。

「ねじまき鳥クロニクル」と「伪满洲国」は、いずれも「満洲」の記忆を取り入れた作品であるが、々な面で違いを見せている。明らかに、「伪满洲国」では「満洲国」が直接なテーマとして取り扱われるが、「ねじまき鳥クロニクル」では「満洲国」に関わる記忆は挿話として入れられた形となっている。両作品は、ほぼ同じ時期=1990年代に創作された。遅子健は黒竜江省の出身で、「満洲国」についての験を持たない世代である。遅子建は史料調査に基づいて、広大な「満洲国」の全体像を書き上げた。村上春樹の場合は、プリンストン大学の図書館などで「ノモンハン」や「新京動植物園」についての歴史資料を調べた上で書き始めたのである。この節では、具体的な両作品の違い、特に暴力についての描写に注目する。

「伪满洲国」は一般の人々の日常生活の描写を通して、大きな歴史を呈示している。一般人の喜びと悲しみ、「黒の土地」の風習が濃厚に描かれた作品である。登場人物は広い範囲にわたり、中国人、日本人、朝鮮人、ロシア人を含み、さまざま階级の人間、溥儀から庶民、乞食、娼婦、日本軍人、日本の開拓民までが々登場する。登場人物のそれぞれの日常生活の進展がこの小説の筋である。呉義勤は「伪满洲国」の歴史叙述について、「遅子建は実在の歴史時期を描いているにもかかわらず、彼女は歴史を記録しようともしない。大きな政治的事件は作家の主な注目対象になっていない。その中の人物はみんな政治的な影の下で暮らしているが、作家が関心を持っているのは彼らの内面の世界や感情だ。このような語り方は、作者には手慣れたものだ。したがって、それはこの長编の成功したところと思う」

吴义勤、贺彩虹等「歴史·人性·叙述新长篇讨论之一:「满洲国」」「小说評論」(200101)山东师范大学中文系研究生、2001年1月p.8。拙、原文:「迟子建写的虽是一段真实存在的历史时期,但她无心为那段时期作史,巨大的政治风云没有成为作家主要的关注对象,虽然其中的人物都在那团政治阴影下生活,但作家所关心的仍然是他们的内心世界和情感生活,这种叙述对于作家来讲,是她轻车熟路的。因此,我认为这也是她这部长篇的成功之处。」

と述べている。

「伪满洲国」では、平頂山虐殺事件、731部隊などの战争中の暴力は、庶民が遭遇した事件として描かれており、歴史事件の全貌の再現が目指されているわけではない。たとえば、この小説では、731部隊の人体実験の歴史についての描写は、個人の体験を通して語られる。教師の王亭業は、反日スローガンが隠された詩で捕まり、投獄されて、精神异常になり、最後には731部隊に送られる。王亭業は実在した人物ではないが、実在したとしてもおかしくない人物像である。また、平頂山虐殺事件は第二章「一九三二年」第六節で詳しく描写されている。

【原文】

他们所处之地的南面站着一排排手端刺刀的日本兵,北面的奶牛饲养场的铁

丝栅栏像网一样阴森森地绝断他们的后路。西面的断崖陡壁如冷面杀手一样让人

不可逾越,东面的山坡上则放着几个用布盖着的带支架的东西。人们窃窃私语着,

把它们当成一台台气派的照相机。有个还在襁褓中的小孩子叼着妈妈的奶头香甜

地吮吸着,他不时发出“吧唧吧唧”的裹奶声,就好像鱼儿在水中悠闲地吐气泡。

一对平素总是吵闹不休的小夫妻紧紧地拥抱在一起,男的不时用手去揉搓妻子的

头发,使那头发蓬起如一堆乌云。正在人们惊魂未定的时候,蒙着什么东西的布

被刷拉拉地扯开了,一挺挺机关枪把它黑洞洞的枪口对准众人。就在一个日本军

官挥手之间,机关枪的火舌像炽烈的岩浆一样喷涌而出,顷刻间,人群中血肉横

飞,惨叫声惊天动地地响起。一个八岁的孩子当时正啃着月饼,子弹当胸穿透他

的脊梁,他弹跳了一下,手中的半块月饼飞向空中。这月饼落下时滑着一个老人

血肉模糊的脸,立刻就成了血饼了。

迟子建「伪满洲国」人民文学出版社、2005年、p.34。

【文】

村民が座っている場所から南側に、日本兵が横並びに立って皆を見据えてい

た。北側は鉄の柵が張られ、西側は断崖になっているので、蟻一匹逃げる隙が

なかった。東側の丘には何か所かに布で覆った何物かが置いてあった。人々は

ひそひそとささやき、布の下はカメラではないかと推測した。不安が漂うなか

で、坊だけが母親の乳首を美味しそうに音を立てながら夢中にしゃぶっていた。

普段は喧嘩ばかりしている若夫婦も抱き合っていて、夫は妻の髪の毛を何度も

撫で下ろした。すすり泣きも聞こえてきた。急に布が取り除かれ、機関銃の黒

い銃口が死神のように人の群れを睨み付けた。人々はざわめいた。指揮官が手

を振り下ろすと、銃口から一斉に火が吐き出され始めた。一瞬のうちに、人間

の血と肉が飛び交い、凹地には驚天動地の悲鳴が響いた。一人の8歳の子ども

は月餅を嚙んでいるところに、弾丸が胸から背骨を透過した。この月餅が落ち

た時、一人の老人の血まみれな顔に擦れると、たちまち血色の月餅になってし

まった。(文は馮)

中秋節の美しい夜に起こった事件の残虐さは、神の視点でクローズアップされたように語られている。美蓮一家は楊浩だけが奇迹的に生存した。「伪满洲国」では、歴史事件に対する捉え方の趣旨が、「ねじまき鳥クロニクル」とは違うことは明らかである。歴史事件の部はイマジネーションで構成されているが、リアリティーを感じさせる。「ねじまき鳥クロニクル」における暴力のシーンは、主に、ノモンハンでの皮剝ぎ、動物の射殺、4人の中国人の惨殺という形で見られる。「ねじまき鳥クロニクル」においては、ノモンハン事件や「満洲」引き揚げという大きな歴史の実像を尊重した上で、歴史事件を直接描写するのではなく、フィクション性が際立ち、メタファーとしての意味が強調され、物語の寓意性が重視されている。遅子建は「伪满洲国」を創作したときの思いを次のように述べている。

私の基本的な態度は、歴史を尊重し、歴史の真実を保持し、作家としてある

べき良知を持つとともに、作品中の人間に、中国人にしろ、日本人にしろ、す

べてにヒューマニズムの意味を付与する、というものである。

中国語原文:「我的基本态度是,尊重历史,保持历史的真实,在保有一个作家应有的良知的同时,我对作品中的人,不管他是中国人还是日本人,都赋予人性的意义。」「附:〈温情是寒夜尽头的几缕晨曦〉」「伪满洲国」、人民文学出版社、2005年、p.711。

(文は馮)

上の引用からも分かるように、「伪满洲国」では歴史への尊重、人間性重視にポイントが置かれている。つまり、遅子建は自らの想像力に基づき、具体的で生き生きとする人物像を創作したのである。それと対照的に、「ねじまき鳥クロニクル」では、血みどろなイメージの表現に重点が置かれ、登場する中国人やモンゴル人は、「記号」のような他者として取り扱われ、言葉も表情もほとんど描写されていない。「伪满洲国」では、日本人の人間性にも、筆を多く費やしている。楽観的で善良な庶民·中村正保から、センチメンタルな羽田少尉、凶悪な北野南次郎に至るまで、人間性の多な側面を豊かに表現している。1990年代以後の「記忆の時代」において、战争未験世代の、日中のこの二人の作家は、学ぶという姿勢で「満洲」の記忆を异なる表現で構築しており、体験化記忆を験化させ、文化的記忆の形成にポジティブな役割を果たしていると言える。

本章では、植民地や战争に関する异なる態の「記忆」と「ねじまき鳥クロニクル」との比較を通して、村上春樹が再構築した「記忆」の特徴を明らかにした。具体的に歴史研究の成果を参照し、中国語「偽満」資料(证言や験談)、小説「静かなノモンハン」、児童文学「かわいそうなぞう」における該当する内容や側面を取り出して、「ねじまき鳥クロニクル」での「ノモンハンの話」、「新京の動物園」と対比し、その村上による「記忆」の実像と虚像を明確し、特にテクストに語りえない、語られない「記忆」の存在を確認した。そして、「ねじまき鳥クロニクル」を同時代に創作された中国小説「伪满洲国」と比較して、战争という暴力の描かれ方、歴史記述の違いを論じた。「ねじまき鳥クロニクル」では、物語のフィクション性が故意に強調され、寓意性が重視されている。「伪满洲国」では、一般の人々の日常生活の描写で、大きな歴史が呈示され、人間性重視にポイントが置かれていると論じた。

鈴村和成は、「村上はここで、満州の歴史、日本の行った战争と現代とを歴史的にんでいるのかというと、必ずしもそうではない。あるいは満州の出来事でなくてもよかったかもしれない。そういう「かもしれない」という暫定性が仕組まれながら語られている歴史なんですね。」

鈴村和成、沼野充義「対談:鈴村和成、沼野充義「ねじまき鳥」は何処へ飛ぶか——村上春樹「ねじまき鳥クロニクル·第3部鳥刺し男编」をむ」「文学界」第49巻10号、文芸春秋社、1995年、p.104。

と論じている。しかし、本章での分析を通してわかるように、「ねじまき鳥クロニクル」の「記忆」の原形となる「ノモンハン事件」や「新京動植物園」は、現在の日本社会にとってそれぞれ特別な意味を持つことがわかる。作者は真剣に取捨選別をして「満洲」を選んだのだと言える。したがって、このテクストにおける「満洲」記忆は暫定的なものだとはいえず、むしろ「満洲」以外の歴史が組み込まれたとしたら、作品の伝える意味も大きく変わると考えられる。

次章ではメタファーの解釈·暴力としての「記忆」·コミュニケーションと「記忆」、という三つの方面から作品全体を分析し、「記忆」の物語の中での意味を検討する。

第三章「ねじまき鳥クロニクル」におけるコミュニケーションの切断と「記忆」の回復

第三章「ねじまき鳥クロニクル」

におけるコミュニケーションの

切断と「記忆」の回復

はじめに

「ねじまき鳥クロニクル」は、初めて战争という形の暴力が正面から扱われた作品である。この小説の創作はアメリカで行われたと言える。村上は1991年、プリンストン大学に客員研究員として滞在中に、第1部と第2部を執筆した。1993年7月に、村上はプリンストンからマサチューセッツ州ケンブリッジへ移って、執筆をけた。ケンブリッジに住んでいる間、第3部の取材のために、中国東北部とモンゴルに渡って実地調査をした。1995年1月の阪神·淡路大震災のときも、第3部を書き上げたのも、ケンブリッジ滞在の時代だった。

1991年1月に日本を出てアメリカに向かう準備をしていたとき、ちょうど湾岸战争が始まった。「準战時体制」に包まれ、村上は不安を感じる。村上には、アメリカの土地に立って日本を見る契機が与えられることになった。彼は、アメリカ体験の感想などを記したエッセー集「やがて哀しき外国語」で、次のように語る。

でもただひとつ真剣に真面目に言えることは、僕はアメリカに来てから日本

という国について、あるいは日本語という言葉についてずいぶん真剣に、正面

から向かい合って考えるようになったということである。僕は正直に言って、

若いころ、小説を書き始めたころは少しでも日本という状況から遠くへ逃げた

いと思っていた。言い換えれば、少しでも日本語的なものの呪縛から遠ざかり

たいと思っていた。

村上春樹「やがて哀しき外国語」講談社、1994年2月、pp.278279。

この作品は村上春樹作品の最も大きな転換点と言われている。彼自身も「デタッチメント」から「コミットメント」への変化について、「「ねじまき鳥クロニクル」はぼくにとってほんとうに転換点だった」と語っている。

河合隼雄、村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」岩波書店、1996年、12月、p.69。

つまり、「中国行きのスロウ·ボート」が「対社会意識の目覚め」を示す作品だと言えるとすれば、「ねじまき鳥クロニクル」は、村上が大いに社会への関心を示しはじめた転換点といえる。その後に発表された「アンダーグラウンド」(講談社、1997年)は、村上が地下鉄サリン事件の被害者と関係者にインタビューを行ってまとめた作品である。

「ねじまき鳥クロニクル」についての先行研究は数多く存在するが、「記忆」という観点からはさらなる論考が必要である。

川村湊は、ハルハ河の「こっち」と「あっち」を繋ぐ橋は、小説の「こっち」と「あっち」の世界を何とか架橋しようとするものである、と、作品の構造について分析している。

川村湊「現代史としての物語——ノモンハン事変をめぐって、ハルハ河に架かる橋」「村上春樹スタディーズ04」栗坪良樹他编、若草書房、1999年、pp.2838。

橋本牧子は、「遠い昔の「ロマン」の記忆として語られてきた「満州」という出来事を、加害者としての「日本」·「日本人」による暴力として〈歴史化〉し、新たな「脈」のもとで、「今·ここ」に生きる我々の〈歴史物語〉として語り出そうとすること。村上春樹が「ねじまき鳥クロニクル」で試みたことは、〈歴史〉を、否応なく我々の眼の前にあるものとして、あるいは我々の内にあるものとして描き出そうとすることであった」

橋本牧子「村上春樹論——80年代·90年代の軌迹——」(博士論文)広島大学大学院教育学研究科文化教育開発専攻、2003年3月23日、p.86。

と肯定的に論じている。

一方で、この作品については批判的な評論もある。蓮實重彦は次のように語る。

問題は、たまたま起こってしまった半世紀後の反復のほとんどが、イマジネ

ーションの世界で起こっているということだ。……すべては想像の世界のでき

ごととして解消されてしまうのだ。修羅場では「想像することは命取りになる」、

だから、「想像してはいけない」と周囲の人物から忠告されていながら、「僕」

の振る舞いはいずれも想像によって保護されている。どうやら「僕」は、ナツ

メグの父親の物語に登場していたバットを凶器として、クミコの兄(=「绵谷

昇」)を惨殺したかのようなのだが、それとて、イマジネーションの中のできご

とにすぎないだろう。

蓮實重彦「歴史の不在」「朝日新聞(夕刊)」1995年8月29日。

すなわち、「ねじまき鳥クロニクル」では、主人公は内面の心理活動だけを行っており、現実世界での悪としての绵谷ノボルに対しては、実際の行動を何も取っていないという批判である。

前章では、記忆研究の観点から「ねじまき鳥クロニクル」における「ノモンハン」と「新京の動物園」に焦点をあて、多態の記忆と比較しながら、主に表象としての「記忆」を分析した。本章では、先行研究を踏まえた上で、前章での検討にき、メタファーの解釈·暴力としての「記忆」·コミュニケーションと記忆、という三つの方面から作品全体を貫くモチーフの分析につなげて、物語としての作品の意味を検討する。植民地や战争をめぐる記忆が、いかに叙述され、それがいかなる意味を持つのかについての具体的な考察を行う。

1. 「ねじまき鳥」と井戸

「ねじまき鳥クロニクル」は、仕掛けが多く詰め込まれており、非常に隠喩性の高い作品である。迷宮のようなムラカミ·ワールドは者にとって難解である。そのため、本章ではまず、「ねじまき鳥」と「井戸」の、メタファーとしての意味を明らかにしたい。

主人公「僕」(岡田トオル)の妻であるクミコは、近所の木立の中で、ねじでも巻くようなギイイイッと規則的な声で鳴く鳥を「ねじまき鳥」と名付けた。姿の見えない「ねじまき鳥」は、毎朝、僕の近所にやってきて、「僕」の静かな生活は変わっていく。そして「僕」は、出会ったばかりの女子高校生の笠原メイから、「ねじまき鳥」というあだ名で呼ばれるようになった。「僕」はクミコに電話で頼まれて、いなくなった猫を探しに行くが、彼女は「たぶん路地の奥の空家の庭にいるんじゃないかと思うの。鳥の石像のある庭よ」

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、2003年7月、p.18。

と言う。そこで初めてその路地の奥に行ってみると、「たしかに翼を広げた鳥をかたどった石像が置かれ」ていて、「こんな不愉快な場所からは少しでも早く飛び立とうと翼を広げているみたいに見えた」。

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、2003年7月、p.26。

村上作品における鳥たちの意味について、ジェイ·ルービンは「村上作品における鳥たちが意識の世界と無意識の世界の活発なやりとりの象徴だとすれば、こうした凍りついた鳥たちは一種の記忆喪失を示唆する」

ジェイ·ルービン著、畔柳和代「ハルキ·ムラカミ言葉の音楽」新潮社、2006年9月、p.257。

と解釈している。

次に「ねじまき鳥」が作品に出ているシーンを分析する。北海道出身の若い兵隊が大猫類(虎)を銃殺した後で、「ねじまき鳥」の鳴き声が聞こえる。

(もちろん本人にはわからないことだが、この兵隊は十七ヶ月あとにイルク

ーツク近くの炭坑で、ソビエトの監視兵にシャベルで頭を割られて死ぬことに

なる)。彼は手のつけねのところで額の汗をぬぐった。ヘルメットがひどく重く

感じられた。がようやく気を取り直したように、一匹また一匹と鳴き始めた。

やがてそれに混じって鳥の声も聞こえた。その鳥はまるでねじを巻くような奇

妙な特徴のある声で鳴いた。ギイイイイイイ、ギイイイイイと。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、2003年7月、p.100。

「ねじまき鳥」の鳴き声が聞こえたところで、語り手はこの兵隊の一七ヶ月後のシベリアでの運命を明かしている。いて、第3部第28章「ねじまき鳥クロニクル#8(あるいは二度目の要領の悪い虐殺)」では、この兵隊は、四人の中国人を野球バットで殴り、そのうち一人に向かって銃を撃った後で、再び「ねじまき鳥」の鳴き声を聞く。そして語り手は「伍長はシベリアの収容所でペストでしぬ」

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、2003年7月、p.279。

と他の兵隊たちの運命を語る。この若い兵隊だけは「ねじまき鳥」の鳴き声を聞いた。この若い兵隊は岡田トオルの分身のような存在である。兵隊自身はこれからの運命を全然知らないが、兵隊の中に潜り込んだ「トオル」はそれを知っているはずである。前に挙げたジェイ·ルービンと沼野充義の論述を合わせて考えれば、ねじまき鳥のねじを巻くというのは、暴力としての歴史記忆が蘇ってくることのメタファーと解釈してもよいと考えられる。この作品は、「クロニクル」(=年代記)という語をタイトルとしていることからも推測されるように、年代·歴史が重要な役割を果たしている。第1部では、タイトル裏ページに「一九八四年六月から七月」、第2部では「一九八四年七月から十月」と年·月が明記されている。第3部では年代は明記されていないが、作品盤で妻と再会した主人公「僕」(岡田亨)が「一年と五ヵ月ぶり」と言っていることから計算すると、第1部で夏に妻が出て行ってから1年5ヶ月後の一九八五年十二月までが、「僕」の語りの「現在」として描かれていることになる。そして、「僕」が出会った人物たちの語りやコンピューター内のファイル等を通して、「ねじまき鳥」がねじを巻くことで過去の時代の出来事も語られていく。すなわち、战争の時代の「ノモンハン」や「新京の動物園」である。したがって、本作のタイトル「ねじまき鳥クロニクル」の隠喩的な意味は「歴史」のねじを巻く年代記ということである。

そして、「ねじまき鳥クロニクル」において、もっとも重要なメタファーは井戸だと言える。最初の長编小説「風の歌を聴け」にもすでに井戸が登場しているが、その後、「1973年のピンボール」(講談社、1980年6月)の直子の町の井戸、「ノルウェイの森」(講談社、1987年9月)の野井戸、そして本作でのモンゴル草原の井戸と宮脇邸の井戸、というように、村上作品では井戸というモチーフは頻繁に用いられてきた。「井戸」というメタファーについては、フロイトの精神分析学で少し分析する。

「僕」は空き家の井戸の底に降りて、妻のクミコを探し出す決意をする。ジェイ·ルービンは「井戸のなかへ、つまり自分のなかへ降りることは、婚という誓にふさわしい人間になるためにトオルが直面しなければならない試練である」

ジェイ·ルービン著、畔柳和代「ハルキ·ムラカミ言葉の音楽」新潮社、2006年9月、p.255。

と指摘している。第3部で、「僕」はまた井戸の底に下りて行く。

壁に取り付けた鉄の梯子をつたって真っ黒な井戸の底に下りると、僕はいつものように手探りで、壁に立てかけておいた野球のバットを捜し求める。

(中略)

井戸の底は深海の底によく似ている。そこではあらゆるものごとが圧力に押さえつけられるように、原形のままにじっととどまっている。

(中略)

僕はの奥の方に、その微かな繋がりの発生を感じとることができる。そう、それでいい。あたりはとても静かだし、彼らはまだ僕の存在に気づいてはいない。僕とその場所を隔てている壁が少しずつゼリーのように柔らかく溶解していくのがわかる。僕は息をひそめる。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」講談社、2003年7月、p.8589。

々な意識や無意識の幻影を自由に走らせた後で、「僕」はバットで壁を叩くが、やはり恐怖を感じたので、地表にった。「井戸」は精神分析の概念「イド」と同じ発音であり、その象徴である。イドは精神分析では人格構造に関する基本的概念のひとつであり、人間が生まれつき持っている無意識の本能的衝動、求などの精神的エネルギーの源泉である。イドは快を求め不快を避ける快楽原則に支配されている。

松村明監修「デジタル大辞泉」小学館、2013年4月、http://kotobank.jp/word/イド、(C)Shogakukan Inc.2014年9月18日検索。

井戸を降りる行為は、無意識の世界へと繋がって行くことを意味する。暗の中で、「僕」は思いを巡らせ、肉体の存在を見失ったかのように、完全に記忆や意識の流れに呑み込まれ、そして意識と無意識のあいだを彷徨う。トオルが井戸の底で験したのは、自己の内面における闘いである。「僕」が井戸の底に関心を持つようになったきっかけは、間宮中尉から聞いた話だった。間宮中尉は、ノモンハンでロシア兵に逮捕され、山本がモンゴル兵によって皮をはがれるのを目撃した後、枯井戸のそばへ連れて行かれる。そこで彼は、銃に撃たれて死ぬよりも、井戸の中に飛び込むことを選び、その中で数日間を過ごした。間宮は「僕」に、暗い井戸の底で一日にほんの数分間地上からの光が届いたときの感動や、死の幻影を見たことなどを語った。局、彼は本田の予言通り生き残って、本田によって井戸のなかから助け出されたのだった。こうして、战時下のモンゴル草原と1980年代の世田谷区は井戸によって繋げられ、間宮中尉と「僕」は、同じ内面の体験を共有することになる。

2. 遍在する暴力性

「ねじまき鳥クロニクル」には暴力が遍在している。これまでの村上作品にはない、得体の知れぬところから湧き出る暴力が登場する。作品で描かれる暴力には、他者の身体に対する物理的な破壊力という一般的な意味の暴力のみではなく、精神的暴力や、さらには政治的な暴力も見られる。具体的には、間宮中尉が目撃した、山本が生きたまま身体の皮を剥がされる場面、赤坂ナツメグが見たか、あるいは見なかった新京の動物園での動物の射殺、シナモンによってパソコンファイルで伝えられた、銃剣で逃走兵の内脏をえぐって刺殺する場面、そして、绵谷ノボルの加クレタに対する性暴力、さらに「僕」の「绵谷ノボル」に対するバットによる「撲殺」など、個々の暴力の物語の反復により、暴力の编年史として大きな物語が構成されている。この中でも、战争の記忆は暴力の究極的な姿といえよう。そこでは登場人物の冷酷さが生々しく表現されており、山本、皮剥ボリス、绵谷ノボルという冷血な人間像が描き出されている。山本上官と皮剥ボリスの造型は、現代社会においてエリート政治家が所有する暴力性にも通じている。ソ連軍人がモンゴル人兵士に命令し、冷酷な日本軍人である山本を皮剥ぎにするモチーフは、人類の奥底に潜む暴力の普遍性を表現したものだと考えられる。ならば、井戸への降下は、まさに暴力の根源を探っていく行為だということになる。

绵谷ノボルはクミコの兄である。彼は、エリートにならなければ生き残されないという父親の人生観を受けいで、済学者の道を選び、イエールの大学院、東大の大学院をて研究者となった。34歳のときに出版した済学の専門書が批評家から绝賛され、マスメディアの脚光を浴びる存在となる。伯父である衆議院議員、绵谷義孝の地盤をいで政界への進出を図る。見合い婚は二年しかかず、現在は独身である。绵谷ノボルとは、現代日本社会における具現化された邪悪である。岡田トオルは最初からずっと绵谷ノボルに対して、嫌悪感を抱えている。そして、占い師の加マルタの妹=加クレタが绵谷ノボルにレイプされた。加クレタは次のように語る。

「その痛みはまるでかなてこのように、私の意識の蓋を強い力でこじあげてい

ました。痛みは意識の蓋をこじあけ、私の意思とは関係なく、その中にある寒

天のようなかたちをした私の記忆をずるずるとひきずりだしていました。(中略)

なんだかすべての記忆とすべての意識がすっかり抜け落ちてしまったみたいで

した。何もかもが自分の外に出ていってしまったように思えました。(中略)

そして意識がったとき、私はまた別の人間になっていました。」

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、2003年7月、pp.445446。

クレタは绵谷ノボルによる性暴力を詳しく語った。果として「すべての記忆とすべての意識がすっかり抜け落ちてしまった」とあるように、ノボルがクレタに対して行った性暴力は、「記忆」を他者から抹消しようという政治的な暴力のメタファーと考えられる。「僕」は井戸の底で、绵谷ノボルのテレビでの講演を夢見た。「そのような人々のことは忘れてしましょう。途方に暮れた人には、途方に暮れさせておけばいいのです」

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、2003年7月、p.359。

と語る绵谷ノボルに対して、「僕」の怒りは湧き上がった。「绵谷ノボルはテレビという巨大なシステムを使って、僕ひとりに暗号のようなメッセージを送りつけることができるのだ」

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、2003年7月、p.360。

と「僕」は思った。ノボルは、トオルが内面で「記忆」を取りそうとする行為を妨害する発言をしている。ここでは、「記忆」を損なう绵谷ノボル=政治権力による暴力が示唆されている。村上作品の男性主人公としては珍しく、「僕」は怒りを抱えたように描かれている。

トオルがクミコをから現実世界へ連れすためには、まず绵谷ノボルという邪悪に直面しなければならない。そこで、トオルはクミコを取りすために、井戸の壁の向こうの、クミコであるはずの女のいる208号室で、ノボルらしき男をバットで殴り倒す。すると現実に、ノボルは長崎で脳溢血で倒れた。ここでは、トオル自身の内面の奥底にも暴力の衝動が潜んでいることが示されている。トオルはようやく起き上がれるようになって、あざの消えていることに気づく。トオルは勇気を持ってポジティブな行動をみせたのである。

2004年の作品「アフターダーク」もまた、人間の無意識領域にある暴力性をモチーフにしている。柴田勝二は、「クミコの姉や加クレタを陵辱した過去を持つ彼の分裂が、いわばわかりやすく白川に凝縮されている」、「こうした不可解な他者的な「底」が人間に遍在する」

柴田勝二「批評遍在する「底」——「ねじまき鳥クロニクル」「アフターダーク」における暴力」「敍説Ⅲ:文学批評」花書院、2008年12月、p.128。

と绵谷ノボルと白川の共通点について指摘している。

「僕」は井戸の底、の中に座って思いを巡らせて、クミコと上野動物園の水族館での最初のデートのことを思い出す。そのとき、クミコは「僕」にこう語る。

「……本当の世界はもっと暗くて、深いところにあるし、その大半がクラゲみたいなもので占められているのよ。私たちはそれを忘れてしまっているだけなのよ。そう思わない?地球の表面の三分の二は海だし、私たちが肉眼で見ることのできるのは海面というただの皮、膚、にすぎないのよ。その皮膚の下に本当にどんなものがあるのか、私たちはほとんど何も知らない。」

村上春樹「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、p.337。

(傍线原文)

「皮膚の下に本当にどんなものがあるのか」という記述は、ユング心理学における集合的無意識を思い起こさせる。前章では、すでに暴力の「記忆」の例として、山本上官の皮剥ぎのシーンを論じた。上の引用文に暗示されたものと合わせて考えれば、「皮剥ぎ」とは「皮膚を剥がして、下を見る」という意味で、人間の内面を掘り出す意味合いも帯びていると考えられる。それは、集合的無意識のかげに生息する抽象的な暴力性を探り出すことの、具現化された場面と言える。その場面を見ることに堪えられなかった間宮中尉は、その表面的な残忍さに恐怖を感じただけではなく、恐らく、その具現化された「集合的無意識のかげ」=「皮を剥がれた身体」にもショックを受けたのである。間宮中尉とトオルは二人とも井戸に降りたことがあり、無意識世界で通じ合い、暴力の「記忆」をも共有する。

「ねじまき鳥クロニクル」に描かれた暴力は、自己の底にのみ存在するのではなく、他者にも、そして人間同士の共通する集合的無意識にも由来するであろう。本作においては、々な形の暴力が展示されており、そこには性暴力、战争の暴力、さらに政治的な暴力も含まれている。このようにして、暴力の遍在する编年史(クロニクル)が構成されているのである。

3. コミュニケーションの切断と「記忆」の獲得

村上春樹文学においては、登場人物の間のコミュニケーションの障害と世代間の断绝がたびたび設定されている。村上は、1995年11月「ねじまき鳥クロニクル」第3部の刊行直後、心理学者の河合隼雄との対談で、次のように語っている。

「主人公はいろいろな登場人物にコミットメントを迫られるのです。たとえば、

女の子、笠原メイさん、彼女にもコミットメントを迫られるし、それから……。

(中略)もうひとつ、間宮中尉、彼は自分の人生というものをしていこうと

するんです。いろいろなかたちで、彼はコミットメントを迫られる。ただ奥さ

んのクミコさんだけが逃げていく。去って行く。でも、彼がほんとうにコミッ

トメントしたいのは彼女なのです。」

村上春樹、河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」新潮社、pp.8586。

(下は馮英華)

ここで村上のいう「コミットメント」とは、人間との関わりを深めるという意味であり、即ち、他人と深いコミュニケーションを取るという意味である。この小説で、「僕」は々な他の登場人物に深く関わって、コミュニケーションを取らなくてはならないという設定となっている。その中でも、一番重要な「コミットメント」はクミコとの夫婦関係であり、クミコへのコミュニケーションを取ろうとすることが、本作の主な筋となっている。

3.1コミュニケーションの中断

村上が夫婦関係というテーマを取り扱いはじめたのは、短编「ねじまき鳥と火曜日の女たち」からである。村上春樹の長编には、自作の短编を元にして書き換えたものが少なくない。短编「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は最初1985年12月に「新潮」(1986年1月号)に掲載され、その後「パン屋再襲撃」(文藝春秋、1986年4月)に収録された。また、「パン屋再襲撃」(文春文庫、1989年4月)、「村上春樹全作品1979—1989 ⑧ 短编集3」(1991年7月)に収録されている。この短编をもとに、「ねじまき鳥クロニクル」「第1部泥棒かささぎ编」の冒頭の章「1火曜日のねじまき鳥、六本の指と四つの乳房について」が書かれたのである。

この短编の粗筋は以下の通りである。ある日の火曜日、失業中の「僕」が家でスパゲティをゆでていると、全く聞き覚えのない声の女の人から電話がかかってくる。ばかばかしいと思っていると、今度は会社にいった妻から電話がかかってくる。「僕」は妻から、家の裏にある「路地」に入って、行方不明になった猫(ワタナベ·ノボル)を捜すように言いつけられた。午後になって、「僕」は猫を捜しに「路地」に入る。そこで「僕」は「きれいな耳をした娘」に出会う。彼女に誘われるがまま、「僕」は彼女と一緒に、空き家の猫の通り道で待っていたが、猫は一匹も現れなない。そして夜、家に帰ってきた妻は、猫を見つけられなかった「僕」を非難しつつ泣き伏す。

この短编が日常の風景のなか、夫婦の齟齬が飼い猫の失踪をきっかけに、もはや隠しようもなく表面化してしまうという物語

石倉美智子「夫婦の運命2村上春樹「ねじまき鳥と火曜日の女たち」論」「文研論集」巻号22、1993年9月。

だと石倉美智子は指摘している。それはあたかも「現実世界の〈コンセント〉が抜かれた状態」というべきで、齟齬が齟齬として断绝したまま残っている構造であるとする。それとは対照的に、齟齬をして放置せず、〈他者のいる世界への帰還〉を図って、その「解決の道を模索しようと試みた」のが長编の「ねじまき鳥クロニクル」であると論じ、そして電話の女と女子高校生を、形を変えた「妻」の分身として捉えている。本論では、この先行研究を踏まえて、さらに詳しく分析する。

村上春樹の小説では、女が男の元を離れていく設定が多い。「羊をめぐる冒険」では、妻は4年間の婚生活をて、「僕」と離婚して家出をした。そして「1Q84」では、天吾の母親は父親を裏切って離れた。「ねじまき鳥クロニクル」でも、「僕」と妻の「クミコ」の間に亀裂が出来ることで、コミュニケーションが中断される設定がなされている。「クミコ」は亡くなった姉以外の家族に対しては心の扉を閉じていたが、「僕」に対して心を開くようになり、本田さんの大きな後押しにより、やがて婚に至った。二人の付き合いの中でコミュニケーションはスムーズに進んだ。しかし、6年間の婚生活をて、二人の間の隔たりは知らないうちに広がってきた。物語の最初では、夕食を巡る夫婦喧嘩が描かれている。「僕」が中華鍋で牛肉とピーマンを炒めたことで、「クミコ」は「僕」を責め始める。

「私は牛肉とピーマンを一緒に炒めるのが大嫌いなの。それは知ってた?」

「知らなかった」

「とにかく嫌いなのよ。理由は訊かないで。何故かわからないけど、その二

つが鍋の中で一緒に炒められるときの匂いが我慢できないの」

「君はこの6年間、一度も牛肉とピーマンを一緒に炒めなかったのかな?」

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」講談社、2003年、p.47。

これは非常に象徴的な場面と言える。婚してから6年がったのに、「僕」はクミコの日常の食習慣さえ知らない。作者である村上が、自分が中華料理を食べない理由は昔の战争と関わりがある、と語ったことがあること

イアン、ブルマ「イアン·ブルマの日本探訪:村上春樹からヒロシマまで」石井信平、TBSブリタニカ、1998年、pp.9293。

から推測すれば、ここでのクミコには多少村上と重なるところが見受けられる。「僕」とクミコとの間にこのような齟齬が生じたことは、战争の記忆の喪失を示唆しているのであろう。そして「僕」は、だんだん妻のクミコと「コミットメント」ができなくなっていることに気づいて、そのことを断的に考えつづける。

ひとりの人間が、他のひとりの人間について十分に理解することというのは

果たして可能なことなのだろうか。(中略)

その夜、僕は明かりを消した寝室の中で、クミコの隣に横になって天井を見

ながら、自分はこの女についていったい何を知っているのだろうと自問した。

(中略)

それはただの入口なのかもしれない。そしてその奥には、僕のまだ知らない

クミコだけの世界が広がっているのかもしれない。それは僕に真っ暗な巨大な

部屋を想像させた。僕は小さなライターを持ってその部屋の中にいた。ライタ

ーの火で見ることが出来るのは、その部屋のほんの一部にすぎなかった。

僕はいつかその全貌を知ることができるようになるのだろうか?あるいは僕

は彼女のことを最後までよく知らないまま年老いて、そして死んでいくのだろ

うか?もしそうだとしたら、僕がこうして送っている婚生活というのはいっ

たい何なんだろう?そしてそのような未知の相手と共に生活し、同じベットの

中で寝ている僕の人生というのはいったい何なんだろう?

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」第1部、講談社、pp.4354。

夫婦間のコミュニケーションが円滑でなくなり、加姉妹と笠原メイの何度かのやり取りのうちに、いつしか「クミコ」が行方不明になる。クロゼットの中には妻のワンピースやブラウスなどが残されたままである。短编「トニー滝谷」でも、「トニー滝谷」が交通事故で亡くなった妻の残した服を、残された影のように見る描写がある。こうしてコミュニケーションの決定的な断绝が顕在化する物語が開幕する。そのほか、田中さんがノモンハン事件の時に聴覚を失ったこと、ナツメグの息子=シナモンが6歳の時から声を喪失したこと、老世代の田中さんの不在というこれらの設定は、コミュニケーション切断の物語に伏を敷いていることにほかならない。この小説は、「僕」が「クミコ」を探す過程で、井戸の中に降りたり、奇妙な人物と出会ったりすることを通じ、「ノモンハン」と「新京の動物園」の「記忆」を獲得する、コミュニケーションの回復を求める物語としてむことができる。

3.2妻の空白を埋める笠原メイ

複数の女性が々と登場し、岡田トオルに会話したり、アドバイスしたりして、妻の不在の空白を埋める。その中でも一番重要な存在が笠原メイである。「僕」は、猫を探しに行った際、裏の通路辺りにある

庭で笠原メイと出会った。そして、「僕」が何回か加マルタとやり取りをしている間に、「クミコ」が行方不明になった。「クミコ」とのコミュニケーションが成立しない代わりに、笠原メイはコミュニケーションの復帰に重要な役割を果たしている。高校生だが学校に通っていない笠原は、「僕」に対してアドバイスしたり、命令口調で指示を出したりすることが見られる。具体的にいえば、最初に井戸を持ち出したのはやはり笠原である。

「ねえ、ネジマキドリさん、井戸を見たくない?」

「井戸?」と僕は訊いた。井戸?「涸かれた井戸があるのよ、ここ」、彼女は言っ

た。「私、その井戸のことがわりに好きなんだけど、ネジマキドリさんは見たくない?」

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」第1部、講談社、p.104。

「僕」は笠原の導きで井戸の中に降り、底に座って、暗の中で夢を見たり、思いを巡らしたりする。その間に、笠原は密かに梯子を撤去した後、再び現れて、また蓋をぴったり閉めた。「僕」は井戸の底で、彼女がってくることをずっと待つ。こんな彼女のやり方は「クミコ」の失踪と重なるであろう。笠原メイはまさに「クミコ」の分身のような存在であることが暗示されている。井戸の蓋を閉めたのは、「僕」が「クミコ」に「コミットメント」する条件をまだ満たしていないからである。すなわち「クミコ」が不在の間に、笠原メイはコミュニケーション回復の方法を「僕」に教える。笠原は何らかの神秘的な原因で突然現れ、「僕」と「クミコ」を繋げる役目を果たす。そして笠原が「僕」から離れた後、赤坂ナツメグが再び登場し、空白を補うことになる。このようにしてコミュニケーション回復のプロセスにおける挫折と修復が何度もり返される。物語は夫婦関係で始まり、自己に内面に深く入り、他者と井戸の底で繋がっていく。こうして、かつての战争と現実の日本社会が奇妙にリンクする重層的な世界が生成される。また、笠原メイを含めた女性たちは「僕」をサポートする役割をも果たしている。

ねじまき鳥さんと会わなくなってからも、私はねじまき鳥さんの顔のあざの

ことをよく考えた。突然ねじまき鳥さんの右の頬ほおに現れたあの青いあざのこと。

ねじまき鳥さんはある日穴ぐまみたいにこそこそと宮脇さんの空き屋の井戸の

中に入って、しばらくして出てきたらあのあざがついたね。今思いだしてみる

となんだかウソみたいなのだけれど、でもそれはほんとうに私の目の前で起こ

ったことなのね。そして私は最初に見たときからずっと、そのあざのことをな

にかとくべつなしるしなんじゃないかと思っていました。そこにはたぶん何か、

私にはわからない深い意味があるんだろうって。だってそうでなければ、急に

顔にあざができたりしないものね。

だからこそ私は最後に、ねじまき鳥さんのあざにキスをしてみたのです。ど

んな感じのするものだか、どんな味がするものだかどうしても知りたかったか

ら。べつに私は毎週そのへんの男の人の顔にキスしてまわっているわけではな

いのよ。そのときに私が何を感じたか、そして何が起こったか——それについ

てもまたいつかあらためてゆっくりと話したいと思う(うまく話せるかどうか

自信はないけど)。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.15。

新京の動物園の獣医であったシナモンも、顔に青いあざがついている。作品の盤で、「僕」が謎の208号室で绵谷ノボルをバットで殴り倒した後、あざは消えた。あざというのは歴史の傷の顕在的な印としてのメタファーである。井戸は「歴史」に繋がる通路でもあり、「僕」は井戸の底に長く居ることによって、「歴史」の現場に迫っていく。核心に近づけば、近づくほど、あざは熱くなってくる。笠原メイがあざにキスすることは、まさに歴史のトラウマと直面する勇敢な行為を励ますという意味なのである。

笠原メイの手紙が届かないことも、コミュニケーションの回復のプロセスにおける不順を象徴している。「僕」がの208号室で、ノボルらしき人をバットで殴り殺したあと、現実の世界では、ノボルが長崎での講演中に脳溢血で昏倒した。そして「僕」はコンピューターで「ねじまき鳥クロニクル#17」にアクセスして、クミコからの手紙をむ。病院に運ばれたノボルの生命維持装置のプラグを抜くつもりだとクミコは手紙で語る。そして、猫もってくる。「僕」は家でクミコを待ちける。「僕」は笠原メイに会いに行き、そこで彼女から、彼女が五百通の手紙を「僕」に書いたことを知らされる。その手紙は、「笠原メイの視点」というタイトルで、7通に分けて丸ごと引用の形で提示されている。果たして手紙はほとんど届かなかったはずである。作品の最後で、ようやく「クミコ」からのメッセージが届き、笠原メイからの手紙も届いた。

林の中を並んで歩いているときに、笠原メイは右手の手袋を取り、僕のコー

トのポケットにつっこんだ。僕は「クミコ」の仕種しぐさを思い出した。彼女は冬に

一緒に歩いているときによくそうしたものだった。寒い日にはひとつのポケッ

トを共有するのだ。僕はポケットの中で笠原メイの手を握った。

彼女の手は小さく、奥まった魂のように温かかった。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.415。

「クミコ」と笠原という二つの手がかりが合流し、コミュニケーションの回復が成立したというハッピーエンドで物語は収束する。第3部では謎解きというより、者により明確で明るい末を提示する。邪悪な绵谷ノボルと战うプロセスを通して、「僕」とクミコはようやくコミュニケーションが取れるようになった。

3.3コミュニケーションの回復と「記忆」の獲得

村上自身の言葉によれば、「ねじまき鳥クロニクル」は「デタッチメント」から「コミットメント」への作風の大きな転換点である。岡田トオルはこれまでの村上作品における受け

身タイプの男性主人公と違って、妻を探すために绵谷ノボルと战う、というポジティブな姿勢を示している。妻を取りすために、「僕」は井戸に降りて、内面で間宮中尉と繋がる。そして、赤坂ナツメグ·赤坂シナモンとの出会いを通して、上の世代が体験した、語り得ない新京の動物園にかかわる「記忆」が蘇ってくる。この作品は、コミュニケーション回復を求めるプロセスにおいて若い世代が「記忆」を積極的に受けぐ物語ともめる。本田さんのことを思い出す時、「僕」の心理活動が次のように描写されている。

でも僕らは、少なくとも僕は、本田さんの話が好きだった。それは僕らにと

っては想像力の範囲を超えた話だった。多くは血なまぐさい話だったが、汚い

服を着た今にも死にそうな老人の一部始を聞いていると、なんだかまるでお

とぎ話のように現実味を失って響いた。彼らは世紀近く前に満州と外蒙古との

国境地帯で、草もまともに生えていないような一片の荒野をめぐって熾烈しれつな战

闘をり広げたのだ。僕は本田さんの話を聞くまで、ノモンハン战のことなん

てほとんど何も知らなかった。

「村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1」第1部、講談社、2003年7月、p.86。

コミュニケーションの回復とともに「記忆」も蘇ってくるエピソードがいくつか設定されている。第1部ではノモンハンの話を、老人世代の間宮中尉が恰好の聞き手である「僕」に語り、第3部では赤坂ナツメグにより、動物園の記忆が蘇ってくる。第1部の間宮中尉による単一な語りとは异なり、第3部第10章「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」における語り手は実際に体験を記忆として所有する個人に還元することができない。赤坂ナツメグとシナモンが共有する記忆が多角的視点より再現される。こうして、战後世代=「僕」の内面における精神的な負担となる「満洲」の战争の記忆が蘇ってくる。赤坂ナツメグは引き揚げ船の上で一種の霊媒のように、半ば催眠状態で新京動物園での襲撃を「見た」話を「僕」に語る。第10章冒頭では次のように叙述されている。

一九四五年八月のあるひどく暑い午後に、一群の兵士たちによって射殺され

ることになった虎たちについて、豹たちについて、熊たちについて、〈赤坂ナツ

メグ〉は語った。記録フィルムを真っ白なスクリーンに映写しているみたいに、

順序正しく、ありありと彼女はその出来事を物語った。そこにはひとかけらの

曖昧さもなかった。しかしそれは彼女が実際に見なかった情景だった。ナツメ

グはそのとき佐世保に向かう運送船の甲板に立っていたし、そこで実際に目に

していたのはアメリカ海軍の潜水艦だった。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.92。

彼女はそのとき、日本の兵隊たちが広い動物園の中をまわりながら、人間を

襲う可能性のある動物たちを次々に射殺していく光景を見ていた。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.95。

引用部に明らかなようにこの語りは俯瞰的である。具体的に語られる記忆の内容は、「満洲」から引き揚げる開拓民たちの船がアメリカの潜水艦と遭遇する場面と、動物園での射殺に至る緯である。ここでは「順序正しく」とあるように、記忆の「再現性」が強調され、語られる記忆が再構成されたことを示している。その背後には、「歴史のねじを巻く鳥」という神秘な力が動いているからである。赤坂ナツメグは満州から引き揚げたが、父親はシベリアで命を喪っており、世代間のコミュニケーションの断绝は明らかである。本来見るはずのない「記忆」がテレパシー、あるいは霊媒のような超自然的伝達作用により再現されるということは、「記忆」に関して語りえないものの存在を逆説的に暗示しているのである。赤坂ナツメグにかかわる物語では、もう一つのコミュニケーションの切断が設定されている。

シナモンの言語能力の喪失により、通常のオーラルコミュニケーションが不可能となる。しかし、シナモンは過去と現在を見通す能力を有する。作品では、第28、29章にあるように、「僕」はコンピューター内に発見した「ねじまき鳥クロニクル」というファイルを開き、「動物園襲撃」の编「ねじまき鳥クロニクル#8」をむ。「僕」はこの後日譚の作者がシナモンだと推測する。

この〈ねじまき鳥クロニクル#8〉がシナモンによって語られた物語であるこ

とはまず間違いがなかった。彼は〈ねじまき鳥クロニクル〉というタイトルの

ものに16の物語をコンピューターの中に書き記し、僕はたまたまその中の8

番目の物語を選択してんだわけだ。僕はさっき自分がんだ物語のおおよそ

の長さを思い浮かべ、単純に16倍してみた。決して短い話ではない。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.282。

そしてナツメグが息子のシナモンに「新京の動物園」について語り聞かせたことを回想する描写がある。

私は小さなシナモンに潜水艦と動物園の話をしたの。昭和二十年の八月に私

が運送船のデッキで見たもののことを。アメリカの潜水艦が大砲をまわして私

たちの乗った船を沈めようとしているあいだに、日本の兵隊さんたちがお父さ

んの動物園の動物たちを射殺してまわったことを。私はその話を長いあいだ誰

にも話さずに一人で抱え込んできた。そしてその幻影と真実とのあいだに広が

る薄暗い迷路を黙々と彷徨っていたの。でもシナモンが生まれたときこう思っ

た。私がこれを語ることのできる相手はこの子供しかいないってね。シナモン

が言葉を理解しないうちから、私はその話を何度も何度も彼に話して聞かせた。

シナモンに向かってその一部止を小さな声で物語っていると、それらの情景

はまるで蓋をこじ開けるように私の前に生き生きとよみがえってきた。

言葉が少しわかるようになると、シナモンはその話を何度も私にり返させ

たわ。私は百回も二百回も、あるいは五百回くらいかもしれないけど、その話

をり返すことになった。でもそれはただそのままり返したというだけじゃ

ないの。私が話すたびに、シナモンは物語の中に含まれる別の小さな物語を知

りたがった。その樹木の持つ違う枝について知りたがった。

だから私は彼に訊かれるままにその枝を辿り、そこにある話を物語った。そ

のようにして物語はどんどん大きく膨らんでいった。

それはね、私たち二人だけの手で作り上げた神話体系のようなものだったの。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、pp.156157。

赤坂ナツメグと息子のシナモンがいかに「動物園襲撃」の話を共有しているかが詳述されている。これは発達心理学でよく論じられる、幼児の啓蒙教育としての「み聞かせ」の場面である。通常の場合、親は幼児に本や童話などをみ聞かせたり、音楽を聞かせたりする。しかし、战時下の「動物射殺」という不確定で暴力的な記忆は、幼いナツメグの心に刻まれた、人生を貫くトラウマと言える。「満洲」の引き揚げと新京の動物園の記忆をり返し聞かせることによって、親世代が体験したトラウマ的な記忆は、子世代がそれを自分の傷としても受けぐことになる。局、ある日、シナモンは言葉を話せなくなった。それは「その物語から出てきたものが彼の舌を奪って持って行ってしまった」

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.158。

からである。つまり、子供のときに親から受けいだトラウマ的な記忆が、身体に悪い影響を与えたのである。さらに、第3部第28章「ねじまき鳥クロニクル#8(あるいは二度目の要領の悪い虐殺)」は、全体がファイルの引用として提示される。「僕」はコンピューター内に見出したファイル「ねじまき鳥クロニクル#8」を開く。それは「動物園襲撃」という挿話の稿であり、8人の兵士に拘引され動物園内で殺害された4人の中国人について記述されていた。中尉は彼らのうち3人を銃剣で殺し、北海道出身の若い兵士に命じて、残る1人をバットで撲殺させた。その時、若い兵士はねじまき鳥の鳴く声を聴く。人間の奥底に潜んでいる暴力性が具現化された形で提示される。「僕」は、記忆にかかわるシナモンの内面の動きについて、次のように推測している。

おそらく物語のどの部分が事実でどの部分が事実ではないということは、シ

ナモンにとってはそれほど重要な問題ではなかったはずだ。彼にとって重要な

ことは、彼の祖父がそこで何をしたかではなくて、何をしたはずかなのだ。そ

して彼がその話を有効に物語るとき、彼は同時にそれを知ることになる。

「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、講談社、2003年7月、p.284。

したがって、「動物園襲撃」の物語は、まずナツメグが語り、シナモンがそれを聴き取ることによって、二人に共有された記忆なのである。シナモンが、母親の述懐に自身の想像を加味して記忆を再構成していく。このように獣医(祖父)——ナツメグ(母親)——シナモン(息子)という三世代のコミュニケーション的記忆の中断と回復という構図が明らかになってくる。コミュニケーション回復へ至る過程の「入り口」は井戸となり、井戸の底=無意識世界において超現実的に過去と現在は連している。同時に、「彼の祖父がそこで何をしたかではなくて、何をしたはずかなのだ」が示してくれるように、世代間のコミュニケーションの切断という設定は、物語りえないもの、語り切れないものの存在を示唆し、それに伴う記忆の変容や不確定性が如実に提示されている。第1部と第2部をさらに展開させた第3部は、過去についての想起する行為を前面化させ、「僕」の物語やナツメグ、シナモンの物語と同じ位相でテクストを構成している。それらを見通す能力を持つシナモンが存在するからこそ、この物語の全体は初めてひとつの年代記として語ることが出来るようになる。

そして「僕」は、一つ上の世代に当たる間宮中尉との「コミットメント」を、間宮中尉による聞かせの行為と聞く行為という記忆のシェアにより、成し遂げる。間宮中尉が体験した九死一生のノモンハン体験は、残忍な皮剥ぎの目撃によるショックも含めて、心的外傷ストレス障害となる。战後、間宮中尉は本田さんと何も語らないままでその記忆を共有してきた。間宮中尉は、自分の战後の人生はまるで「抜け殻」のようなものだと感じた。良い聞き手である「僕」は、赤坂ナツメグと間宮中尉に耳を傾けて、彼らのトラウマ的体験を聞くことによって、わずかに相手の傷を愈やすという役割を果たした。こうして、「僕」と間宮中尉や赤坂ナツメグ等の「コミットメント」が成し遂げられ、コミュニケーションの回復ができたわけである。

「ねじまき鳥クロニクル」からは、種々の暴力によるトラウマを克服するために、コミュニケーションの回復を図る物語をみ取ることができる。「僕」を含む複数の語り手によるナラティブが交錯し、複数の視点から「記忆」が語られる。その中では暴力の遍在性が強調され、作中の「歴史」はまさに、反復する暴力の年代記(クロニクル)として設定されている。皮剥ぎ、動物の射殺、そして4人の中国人が銃剣とバットで殺害された事件、これらのかつての战争という暴力と、現代社会における性暴力、政治的な暴力とを合わせて、暴力の编年史が構成されているのである。作中で、「僕」と間宮中尉はそれぞれ井戸の底に降り、かつてのモンゴル砂漠と「現在」の東京という二つの异なる空間で類似した体験をする。井イ戸ドに降りる行為は無意識領域に入る通路の隠喩であり、战時下のノモンハンと現代の東京は、井戸により繋がっているのである。作中の1980年代の平穏な社会の表層下に、暴力の衝動が潜んでおり、その暴力は绵谷ノボルという姿で具現化されている。绵谷ノボルによる性暴力は、他者の「記忆」を損なう行為の隠喩である。作者の自作言及では、アメリカ体験と地下鉄サリン事件は、現代社会における暴力を考え直す契機を与えてくれた

「解題「ねじまき鳥クロニクル」2」「村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2」第3部、pp.421434。

。村上は、暴力の根源を探るために、暗喩性に富む物語群を作りあげ、暴力という人類の負の遺産といかに対応するか、と問いかけている。本作でクローズアップされた「満洲記忆」は、このような暴力の表象なのである。

そして、個人の記忆、世代間にわたる個人の战争記忆が描写されたと同時に、集合的記忆やアイデンティティーについての強い意識が窺える。「ねじまき鳥クロニクル」を発表した後、村上春樹はアメリカで受けたインタビューで次のように発言している。

(前略)私はその原因を知らない。それは私の父の話だからかもしれない。私の

父は1940年代に战争を参加した世代に属します。私が子供だったとき、父は私

にストーリーを語ったことがあります。それほど多くはないが、それは私にた

くさんのことを意味します。そのころ父親の世代に何があったかを知りたかっ

たんです。その記忆は、一種の遺産みたいなものですから。でもこの本で書い

たことは僕の創作です——最初から最後までフィクションですよ。僕が創作し

ました。

Miller, Laura. “The Salon Interview:Haruki Murakami.” Salon 17 Dec.1997.web.14 Dec.2014.拙訳。原文:...I dont know why. Because its my fathers story, I guess. My father belongs to the generation that fought the war in the 1940s. When I was a kid my father told me stories—not so many, but it meant a lot to me. I wanted to know what happened then, to my fathers generation. Its a kind of inheritance, the memory of it. What I wrote in this book, though, I made up—its a fiction, from beginning to end. I just made it up.

(文は馮)

引用部から明らかなように、「世代」·「記忆」·「フィクション」という三つのキーワードは、「ねじまき鳥クロニクル」解のための補助としてきわめて有効である。「ねじまき鳥クロニクル」においては、暴力の遺産として植民地や战争の「記忆」が濃密に語られており、子世代が積極的に旧世代からその記忆を引きごうとするのがこの作品の重要なテーマの一つといえる。旧世代=間宮中尉や獣医は歴史の記忆を背負っており、子世代としての「僕」は妻を探す途中で井戸に降り、奇妙な体験を通してノモンハンや「新京動物園」の記忆を獲得し深化させていく。さらに獣医——赤坂ナツメグ——シナモンのように三世代にわたる「新京の動物園」の記忆の承、或いは記忆の正確な承の不可能性が提示されている。「僕」が、シナモンの書いたと思しきファイルをんだ後で、シナモンにとって重要なことは彼の祖父が「そこで何をしたかではなく、何をしたはずかなのだ」ということだと気付くように、三世代にわたる記忆に関して、想起と忘却の力学による変容が提示されている。コミュニケーション回復の物語の中で、「記忆」への眼差しが強く表れている。この小説で取り上げた、战争という大きな暴力の根源がどこにあるのかという問いかけは、後に「アンダーグラウンド」、「束された場所で」でする。長编「1Q84」における天吾の父子関係にも、「記忆」に執着するモチーフが引きがれている。アライダ·アスマンは当事者が参与するコミュニケーションが介在する記忆から文化的記忆への移行について、次のように述べている。

われわれが今日かかわっているのは、記忆の問題の自己止揚ではなく、逆に

その先鋭化なのだ。なぜなら、時代の证人たちの験記忆が将来失われてしま

うことを防ぐためには、それは後世の文化的記忆へ移し変えられなくてはなら

ないからだ。そうして生きた記忆は、メディアによって支えられた記忆に道を

譲る。

アライダ·アスマン著、安川晴基「想起の空間——文化的記忆の形態と変遷」水声社、2007年、p.28。

「ノモンハンの話」と「動物園襲撃」のような虚と実の混在する物語は、近代日本における歴史の一局面を忠実に再現することを作者が目指したものではない。記忆の保存装置として、「ねじまき鳥クロニクル」に組み込まれたモチーフは、想起の可能性や力を者に示した。歴史が、感受性に富む文芸作品の中で「ねじまき鳥年代記」に寓意化されたことによって、記忆の喚起、ひいては構築が遂げられている。村上自身が語るように「日本における個人を追求していくと、歴史に行くしかない」

村上春樹、河合隼雄「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」岩波書店、1996年、pp.4546。

のだろう。現在の日本人のアイデンティティーへの追究には、他人とのコミュニケーションの回復を通して、かつての战争の記忆を獲得することが不可欠だと認識されている。

第四章「1Q84」における「満洲」体験

第四章「1Q84」における

「満洲」体験

はじめに

本章では、村上春樹の文学について、主に「1Q84」を中心に、伪満についての記忆に焦点を当て、他の植民者と被植民者双方の験談や证言などと比較しつつ考察していく。無論、「1Q84」における「満洲」開拓や引き揚げの描写は常に小説の一部であり、しかも隠喩性の高い作品なので、記号となる中国や「満洲」開拓は他の证言や歴史研究の論述とは明らかに違いがある。したがって、その小説の芸術性とフィクション性を意識しながら、「1Q84」における植民地の記忆の特徴を明らかにすることにしたい。まず、歴史研究の成果を参照し、「満蒙開拓团」の歴史を十分に把握することが重要である。「1Q84」において、「満洲」開拓の記忆がいかに語られたかを究明するために、その語られた内容そのものに直接注目し、他の態の「記忆」との関係性の中で、「1Q84」における植民地の記忆の特徴を掴み、作中での意味、現在の社会に与える意味を分析する。分析にあたり、具体的な体験談や证言に対しては、出来事の時間、記述の時間、〈いま〉という三つの時間の区別を重要視する。また、小説としての「1Q84」に対しては、作中の現在と書行為の現在との関連性も無視できない。次章では作品のモチーフに配慮しつつ、「記忆」と物語との相互関係を検证し、作品全体における「記忆」の役割を解析する。それを前提として、村上春樹による战争や植民地の「記忆」の語りの、現在(2010年前後)というコンテクスト下での機能を重要視する。このような作業を通して、「文化的記忆」

安川晴基は、ヤン·アスマンが1980年代末に提唱した「文化的記忆」というコンセプトを次のように括している。「文化的記忆という概念が要しているのは、各々の社会、そして各々の時代に固有の、再利用されるテクスト、イメージ、儀礼の体である。それらを「保つ」ことで、各々の時代の各々社会は、自己の像を固定させて伝える。つまり主として過去に関する(しかしそれだけではない)、集团によって共有された知識のことであり、その知識に依拠して集团は自らの一と独自性を意識する」安川晴基「文化的記忆のコンセプトについて——者あとがきに代えて」、アライダ·アスマン著、安川晴基「想起の空間——文化的記忆の形態と変遷」水声社、2007年、p.564。

の形成や変遷のプロセスにおいて、村上文学はいかなる役割を果たしているか、という問題の考究を意図している。

「1Q84」の第1部(BOOK1)と第2部(BOOK2)は2009年5月に新潮社から発売され、その後、第3部(BOOK3)が2010年4月に発売された。BOOK1とBOOK2は2009年11月に第63回「毎日出版文化賞文学·芸術部門」を受賞した。簡体字中国語版は2010年5月(BOOK1)、2010年6月(BOOK2)、2011年1月(BOOK3)と順次に出版された。2013年、英版は国際IMPACダブリン文学賞に候補として推薦された。世界各地での影響はすばやく広がっている。文庫本は2012年6月、BOOK1、BOOK2、BOOK3をそれぞれ前编と後编とに分冊する形で、全6冊として新潮文庫より出版された。

本章では「1Q84」における植民地の記忆の表象を直接分析した上で、特に父子関係と「満洲」開拓の記忆を物語内容のなかで捉える。アライダ·アスマンは「芸術は、もはや思い出さないということを、文化に思い出させる」

アライダ·アスマン著、安川晴基「想起の空間——文化的記忆の形態と変遷」水声社、2007年、p.440。

と述べたが、村上春樹文学は「想起」と「忘却」のはざまでいかなる相を呈しているかを詳しく検討してみよう。「1Q84」の作中の世界は、1984年から微妙にずれた「1Q84」年の日本であり、「ねじまき鳥クロニクル」の時代設定も、1984年の日本になっている。本論は「1Q84」を「ねじまき鳥クロニクル」の延長上にある作品だと認識した上で、分析を進めていく。

1. 青豆とタマルに託される「記忆」——満鉄と樺太

「1Q84」という作品は、1984年から「1Q84」年への平行世界のスライドが提示され、現実の世界と想像の世界が混淆し合う構造を持つ。「1Q84」における战争や植民地の記忆は遠景に過ぎず、この小説の時代設定である1980年代の記忆の前景化が顕著である。作品の中では、植民地や战争に関する記忆は、験者ではない登場人物によって語られたり、筋の不在な語り手の記述により再現されたりしている。その歴史の「記忆」は作中の現在とコントラストを成している。本論では、まず、登場人物のうち青豆、タマルと天吾の父親にむ「記忆」を析出する。

1.1青豆——弱者の代弁者——歴史の残像

青豆とタマルの描写には、歴史の記忆が間接的に叙述されている。青豆はこの物語を牽引する能動的な主人公である。青豆の両親は「证人会」の信者であった。彼女自身も幼少期には毎週日曜日に母に連れられて家庭訪問による布教活動に従事しており、信者であることを強いられて育てられた。だが、10歳の時に弃教を宣言し、家族との交流が绝える。青豆は歴史関連の書物を愛し、歴史の試験では常にクラスで最高点を取った。青豆は家庭内暴力を受けた女性たちに味方し、被害者のために復を代行する殺し屋へと成長する。暗殺を済ませた後、緊張する神を

鎮めるために、ミュージックバーで酒を飲みつつ、歴史に関する本をむ。

ショルダーバッグから本を出してんだ。一九三〇年代の満州鉄道につい

ての本だ。満州鉄道(南満州鉄道株式会社)は日露战争がした翌年、ロシ

アから鉄道路とその権益を譲渡されるかたちで誕生し、急速にその規模を

拡大していった。大日本帝国の中国侵略の尖兵となり、一九四五年にソビエ

ト軍によって解体された。一九四一年に独ソ战が開始されるまで、この鉄道

とシベリア鉄道を乗りいで、下関からパリまで十三日間で行くことができた。

ビジネス·スーツを着て、大きなショルダーバッグを隣りに置き、満州鉄

道についての本(ハードカバー)を熱心にんでいれば、ホテルのバーで若い

女が一人で酒を飲んでいても、客選びをしている高级娼婦と間違えられるこ

とはあるまい、と青豆は思う。しかし本物の高级娼婦が一般的にどんなかっ

こうをしているのか、青豆にもよくわからない。もし彼女が仮に裕福なビジ

ネスマンを相手にする娼婦であったなら、相手を緊張させないためにも、バ

ーから追い出されないためにも、たぶん娼婦には見えないように努めるだろ

う。

たとえばジュンコ·シマダのビジネス·スーツを着て、白いブラウスを着

て、化粧は控えめにして、実務的な大振りのショルダーバッグを持って、満

州鉄道についての本を開いているとか。

それに考えてみれば彼女が今やっているのは、客待ちの娼婦と実質的にさ

して変わりないことなのだ。

村上春樹「1Q84 BOOK1」新潮社、2009年5月、p.103。以後、引用にあたり、「1Q84 BOOK1」「1Q84 BOOK2」「1Q84 BOOK3」を、それぞれBOOK1、BOOK2、BOOK3と略記する。

この部分の「満州鉄道」の歴史に関する叙述において、さりげなく歴史的情報を補足するスタンスを語り手は取っているように感じられる。「満鉄」が「侵略の先兵」と呼ばれること、及び主人公の弱者の代弁者という位置づけに、作品全体の基調、歴史観が反映されていると考えられる。ミュージックバーやモダンな女性と「満鉄の歴史」とは、如何にもコントラストを成している异質な時空間を感じさせるが、歴史的暴力、加害の記忆を通して、作中の現在である「1Q84年」における暴力が際立たせられている。満鉄および旧ソビエト連邦との战争は、また「ねじまき鳥クロニクル」を連想させる。「ねじまき鳥クロニクル」もまたノモンハン事件ならびに新京についての歴史的要素を取りいれた作品だからである。ここでも相変わらず、「満洲」は村上に愛用される記号として扱われている。

また、青豆という登場人物には、作者自身が投影されていると考えられる。村上は2010年のインタビューで、かつての歴史少年であった験を吐露し、「中央公論社の「世界の歴史」なんかおもしろくて、中学から高校にかけて、全巻何度もり返しみました」と述べている。

村上春樹「村上春樹ロングインタビュー」「考える人」(NO.33)、新潮社、2010年、p.25。

また、村上はノモンハンと出会った緯を次のように語っている。

ずっと昔、小学生の頃に歴史の本の中で、ノモンハン战争の写真を目にし

たことがあった。今でもはっきりと覚えているけど、そこには奇妙にずんぐ

りとした古っぽい战車と、これもまた奇妙にずんぐりとした古っぽい飛行機

の写真が載っていた。そして一九三九年の夏に、満州駐屯の日本軍とソビエ

ト·モンゴル人民共和国(外モンゴル)連合軍とのあいだに、満州国国境

をめぐる激しい战闘があり、日本軍が大きな被害を受けて撃退されたという

短い記述があった。

村上春樹「辺境·近境」新潮社、1998年、p.165。

ここから、歴史の本を愛した験が、村上の「記忆」に大きな影響を与えていることは明らかである。战後生まれの村上にとって、アジア·太平洋战争や帝国——植民地に関する記忆は、験に即して感受されるのではなく、主に学ぶという姿勢によって得られた情報である。したがって、「記忆」の時代である現在において、「体験」や「证言」と异なる「記忆」の語りかたがもとめられ、「記忆」の再構築もされつつある。

そして、あゆみという女性警察官が登場する。彼女は青豆とバーで出会い、親しい友人となる。青豆にとって、あゆみは大環以来、初めて自然な好意を感じた相手である。2人は一緒に、バーで男を物色するようになる。青豆とあゆみの間に、女性に暴力を振るった男性についての会話がなされる。

「覚えてない」

「あいつらはね、忘れることができる」とあゆみは言った。「でもこっちは忘れない」

「もちろん」と青豆は言った。

「歴史上の大量虐殺と同じだよ」

「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえ

る。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れら

れない。目も背けられない。記忆は親から子へと受けがれる。世界という

のはね、青豆さん、一つの記忆とその反対側の記忆との果てしない闘いなん

だよ」

BOOK1、p.525。

引用部には、「歴史」の記忆の承、加害と被害の対立関係に対する強い意識が、登場人物の青豆とあゆみを通して反映されている。青豆の親友であった大環は夫のDVに耐えられずに自殺した。そしてあゆみもホテルで殺害された。したがって、青豆には弱者の代弁者としての性格が付与される。女性が受けた性暴力と歴史上の大きな暴力とは、相応して、共通するように捉えられている。

1.2タマルと樺太——朝鮮民族という他者の記忆

サブキャラクターであるタマルにも植民地の記忆が重ねられている。タマルは、战の前年に樺太で生まれた。両親は労働者として徴用された朝鮮人であり、战後、渡日が禁じられることとなる。1歳のタマルは日本人帰国者にされるかたちで北海道に渡り、両親と別れる。その後、カトリック系の施設に入れられ、形ばかりの養子組により日本国籍を取得する。元来は「朴」という名字だったという以外に、自らのルーツが失われている。それは個人的な験として語られるが、植民地開拓の集团的記忆が仮されていると言えよう。同時に、親子間における記忆の断绝も描かれている。タマルによる身の上話は次のように語られる。

「さよならをいうのはあまり好きじゃない」とタマルは言った。「僕は両

親にさよならを言う機会さえ持てなかった」

「亡くなったの?」

「生きているか死んでいるかも知らない。俺はサハリンで战の前の年に

生まれた。サハリン南部は日本の領土になって当時樺太と呼ばれていたが、

1945年の夏にソビエト軍に占領されて、両親は捕虜になった。父親は港湾施

設で働いていたらしい。日本人の民間人の大半はほどなく本国に送還された

が、俺の両親は労働者として送られてきた朝鮮人だったから、日本にはし

てもらえなかった。日本政府は引き取りを拒否した。战とともに朝鮮半島

出身者はもう大日本帝国臣民ではなくなったという理由で。ひどい話だ。親

切心ってものがないじゃないか。希望すれば北朝鮮には行けたが、南には

してもらえなかった。ソビエトは当時国の存在を認めていなかったからな。

俺の両親は釜山近郊の漁村の出身で北に行く気はなかった。親戚も知り合い

も北には一人もいない。まだ、赤ん坊だった俺は、日本人の帰国者の手に

されて、北海道に渡った。当時のサハリンの食糧事情は最悪に近いものだっ

たし、ソビエト軍の捕虜の扱いもひどかった。両親には俺のほかに何人か小

さな子供がいたし、俺をそこで育てることはむずかしそうだった。

先に一人で北海道に帰しておいて、あとで再会できると思ったんだろう。

あるいは体よく厄介扱いをしたかっただけかもしれん。詳しい事情はわから

ん。いずれにせよ再会することはなかった。

両親はたぶん今でもサハリンに残っているはずだ。まだ死んでいなかった

らということだが」

BOOK2、p.31。

村上春樹文学に「朝鮮人」は希に登場するが、タマルには、忘却される恐れのある少数者の記忆がされている。タマルの独白は、战争と植民地の時代における被害者の代弁ともなる。すなわち、朝鮮支配と战後の渡不能という被害である。このような形で、帝国——植民地の構図が、自己——他者の関係性へ投影させられている。タマルは金持ちの老婦人の指示のもと、青豆と協力して、社会的暴力の被害者たる女性の怨嗟を肩代わりする。青豆とタマルの共通点は、二人とも弱者の立場に立ち、強者とされるリトル·ピープルや教团のリーダーと战おうとしていることである。

このような弱者への眼差しについて、村上自身はエルサレム賞を受賞した際に、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」

大胡田若葉、早川誓子编·翻協力「心をゆさぶる平和へのメッセージ——なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したのか」ゴマブックス、2009年5月、pp.5053。

と語っている。青豆とタマルに対する描写からは、作者が「卵」=弱者の立場にシンパシーを寄せており、「壁」と表現される強者に挑むという図式がみ取れる。

2. 父の「満洲」体験——证言、遅子建「伪满洲国」との対比

まず、本作における「満洲」体験に関する叙述を取り出してみよう。主人公である天吾の父が初めて登場するのは、天吾の不幸な子供時代が語られるシーンにおいてである。そこで語り手は、父親の「満州国」時代から、战後にNHK集金人になるまでの閲歴を詳しく説明し、この個人的体験談を通して、その背景に潜む大きな歴史を浮かびあがらせている。以下、父の「満洲」体験を、「満洲への入植」、「引き揚げ」、「战後の語り部」という三つの部分に分けて分析する。

2.1「満洲」への入植

「満洲」入りは次のように記述される。

天吾の父親は战の年に、満州から無一文で引き揚げてきた。東北の農家

の三男に生まれ、同郷の仲間たちとともに満蒙開拓团に入り満州に渡った。

満州は王道楽土で、土地は広く肥沃で、そこに行けば豊かな暮らしを送れる

という政府の宣伝を鵜呑みにしたわけではない。王道楽土なんてものがどこ

にもないことくらい、最初からわかっていた。ただ彼らは貧しく、飢えてい

た。田舎に留まっていても餓死寸前の暮らししかできなかったし、世の中は

ひどい不景気で失業者が溢れていた。都会に出たところでまともな仕事が見

つかるあてもない。となれば満州に渡るくらいしか生き延びる道はなかった。

有事の際は銃をとれる開拓農民として基礎訓練を受け、満州の農業事情につ

いてのまにあわせの知識を与えられ、万歳三唱に送られて故郷をあとにし、

大連から汽車で満蒙国境近くに連れていかれた。そこで耕地と農具と小銃を

与えられ、仲間たちとともに農業を営んだ。石ころだらけのやせた土地で、

冬には何もかもが凍り付いた。食べるものがないので野犬まで食べた。それ

でも最初の数年は政府からの援助もあり、なんとかそこで生き延びることは

できた。

BOOK1、pp.169170。

ここでの「満洲」入りの体験についての記述には、そのコンパクトさにもかかわらず、多くの情報が含まれている。天吾の父親は東北地方の貧農として生まれ、満蒙開拓团に参加する。歴史の実相を参照すれば、父親の体験は、まずその時代においてごく一般的な開拓民の個人的な体験と重なるところがある。天吾の父をはじめとする無数の開拓民の験の集積によって、開拓民の全体像は形成されている。このようなきわめて私的な体験さえも、個人が属するさまざまな集团の内部におけるコミュニケーションや関係性に影響しけることで、記忆は再構築され、固定され、維持される。したがって、ここで共有された記忆は、ある種の集合的記忆として描かれたものと考えられるだろう。村上は「ロングインタビュー」にて、集合的記忆に関して次のように語っている。

僕の言う「歴史」は、たんなる過去の事実の羅列でも引用でもなく、一種

の集合的記忆としての歴史です。たとえば、ノモンハンでの間宮中尉の強烈

な験も、ただの老人の思い出話ではなく、僕の血肉となっているものであ

り、現在に直接の作用を及ぼしているものです。そこが大事なんです。

村上春樹、前掲書「村上春樹ロングインタビュー」、p.26。

この「ロングインタビュー」で、村上は自ら作品中における「歴史」描出の方法に対する認識を吐露している。すなわち、「1Q84」においても作者は意識的に「集合的記忆」を作品に導入していると考えられる。そして、天吾の父親が無事に日本にれたことは、幸運な体験とも言える。

「満洲事変」(1931年)以後、日本は計画的に中国東北へ移民を送った。その移民のプロセスは、三つの段階に分けられる。第一段階は1932年から1936年までで、組織的·計画的に中国東北への試験移民をおこなった時期である。この間、武装してやってきた農業移民は治安維持の役割を担い、関東軍による東北人民の抗日闘争に対する鎮圧を助けた。そのため、この時期は武装移民の段階とも言われる。

第二段階は1937年以後の大規模移民の時期である。関東軍によってなされた「20年百万戸移民計画」(1937年—1956年)という提案は広田内閣の七大国策の一つともなった。「満洲国」政府もまた日本人移民政策について、最的には日本人移民100万戸計500万人は中国東北人口の1割を占めるようになるだろうと推定した。このように日本は数百万の移民によって中国東北に「大和民族」を指導的な中核とする植民秩序をつくり上げようとしたのだ。当時、日本の拓務省は、それを次のように明かしている。「現在満洲国の人口は概ね三千万であるが二十年後に五千万に達するであらう。その時その一割五百万人の日本内地人を満洲に植えつけ、民族協和の中核たらしむれば、わが対満政策の目的は自ら達せられる。」

満洲開拓史刊行会编「満洲開拓史」全国拓友協議会、1966年7月、p.182。

その目的は、つまり中国東北を、事実上、日本領土の一部にすることであった。

第三段階は1941年以後の移民が衰微してきた時期である。太平洋战争が勃発すると、日本国内の青壮年労働者の中には応召されて軍隊に入る者が増え、また日本国内の軍事工業も拡大して農村にほとんど労働力の余剰がなくなってきたため、移民の源泉が枯渇しはじめたのだ。その他、関東軍が南方战に動員されるのに伴って、移民团員で応召されて軍隊に入るものが急速に増加した。日本の移民政策は事実上すでに崩壊しはじめていたのだ。

孫武「序文」「中国農民が证す「満洲開拓」の真相」小学館、2007年7月、pp.45。

天吾の父親が「満洲」に渡った具体的時期ははっきりとは述べられていないが、「有事の際は銃をとれる開拓農民として基礎訓練を受け」からみれば、1932—1936年の武装の段階と重なる設定だと推定できる。

ここで、試みに「満洲」開拓の日本人体験者の「证言」や験談を取り上げて、「1Q84」の語り手により語られた父親の「満洲」体験と比較してみよう。「再会~35年目の大陸行~」(以下、「再会」

と略記する

)はNHKによって制作されたドキュメンタリーで、1980年9月19日に放送された。その中では元「満洲開拓青少年義勇軍」の阿部金造の证言が取り上げられている。阿部は、宮城県の農家の次男に生まれ、15歳のときに、「鍬と鉄砲を肩」に、300人の仲間とともに「満洲」に渡った。彼はかつての開拓团の迹地である永吉県烏拉街人民公社を訪れ、战時の思い出と战後の認識を次のように語った。

な~にも、政府から認められないですよ。ただ、貧乏百姓の、貧乏職人の

子供が、満洲に行ってしんじまったと。それだけじゃないかと思うですよ。

私が。ひがむかどうかはわかりませんけど、未だに政府なんて、なに一つお

前たちご苦労だって言ってくれないですからね。(泣き.顔伏せる)(一時語

り中断)せめてもね。それだけ認めてもいいだけれども、そうすれば、宅友

会で集まっても、もっと朗らかな話ができるだとおもうですけれどもね。あ

まり過去に触れたがらないですよ。思い出話はするですけどね。

Q:やっぱり、日陰もの的なあれになっちゃったわけですね。そうですね

(沈黙)。義勇隊だけで、2万5、6千死んでいますからね。一般開拓团では

8万以上でしょう。全部入れれば、開拓関係だけで。それで、战後になって

からの評価というのは、侵略者の手先だったと、それだ、それは少しむごい

ですよ。

ちょうび(?(ママ))、恐ろしいですよ。白が黒になっちまったのですか

ら。

気が付いた時には、自分達が悪人ですからね。35年前にぃ~、は~

南誠「「中国残留日本人」の語られ方」——記忆·表象するテレビドキュメンタリー」、山本有造编「満洲——記忆と歴史」京都大学学術出版会、2007年、pp.269271。

この证言には政府に対する不信感が込められ、「加害者」と「被害者」の重層性が認識されている。「1Q84」において、明らかにテクストのなかの天吾の父親の自己認識は、自分はいろいろ苦労したが、被害者でもないし、加害者でもない、というもので、ただぼんやりとした、自慢すべき験だと認識している。例えば、「世の中はひどい不景気で失業者が溢れていた。都会に出たところでまともな仕事が見つかるあてもない。となれば満州に渡るくらいしか生き延びる道はなかった」

BOOK1、p.169。

と語られるように、父親にとって身過ぎ世過ぎのため「満洲」に渡るのは止むを得ない選択であると認識されており、彼は歴史の渦巻きに流されてしまった一般庶民としての無力感に襲われている。しかし、子世代の天吾が父親とのコミュニケーションにより受動的に受けいだ「満洲」の記忆はどんな形になったのかは、テクストの中では明確にされていない。

そして、「王道楽土なんてものがどこにもないことくらい、最初からわかっていた」

同書、同頁。

と語る程度には、天吾の父親は、国家イデオロギー宣伝の背後の現実を見通していたが、それが战後、战時中の国家に対する憎悪として表出されることはない。それは先述の阿部金造による国家に騙されたことへの怒りに満ちた证言とは対照的である。天吾の父親は战時中の国家に対しても、战後の国家に対しても、不満を表す言葉は一つも発することなく、ただ生きていくために勤勉に働いているだけだ。「1Q84」における「満洲」の記忆の射程は、战後日本社会において公的に歴史化された「満洲」の記忆とはかけ離れたものがある。植民地での支配——被支配というマクロな構造的状況への自覚がない父親像が設定されている。「満洲」移民験者による集合的記忆は、植民支配による「被害」と「加害」、そして「はかない郷愁」というノスタルジアとしての性質を有する重層的なものである。無論、天吾の父親による「満洲」の記忆は、「満洲」移民体験者による集合的記忆に重なる部分があるというのは、明らかである。

さらに、中国人作家遅子建の小説「伪满洲国」

遅子建「伪满洲国」作家出版社、2000年。

を例として取り上げてみよう。民間人の立場で語られた「満洲」記忆はステレオタイプな記忆と比べて异色であり、大きな歴史事件が编年体で語られている。本作には羽田少尉と開拓团团員が登場し、両者の会話が次のように描写されている。

【中国语原文】

羽田少尉是第二次护送移民开拓团成员去北满东部了。他感觉自己就像个农场主,在把他的一大群羊往一个目的地赶。两批被保护的成员人数基本一致,都是接近五百人。不同的是上一批移民是深秋,沿途是苍凉的景象,而且由于不断受到抗日武装的袭击,他们整日提心吊胆,船当时靠了佳木斯港的码头却不敢让开拓团成员上岸,只能在船上诚惶诚恐地过夜,弄得成员们心情很坏,他们有无数问题问羽田:“满洲国的人跟我们不是一家人吗,他们为什么不让我们上岸?”羽田想说:“你们来种他们种着的土地,他们当然不会高兴了。”可羽田不能这么说。(略)

羽田这次护卫的移民是七月八日从东京出发的,经过一星期之久的海上漂泊和跋涉,他们个个显得面目憔悴。一位来自北海道的移民后悔不迭地说,他以为到满洲来一路会受到老百姓的欢迎。因为他们是来帮助他们建设新国家的。没料到沿途的群众对他们十分不友好,他在街上看见一个中国小女孩长得非常顽皮可爱,就把手中提着的一个小木偶送给他。女孩的妈妈坚决地拒绝了,抱着孩子飞快地走掉,好像那木偶里藏着炸弹似的。这位渔民很伤感地说,早知如此,不如在家继续当渔民了。

遅子建「伪满洲国」人民文学出版社、2005年、pp.7273。

【文】

羽田少尉が開拓团团員を護衛して北満の東部に行くのは、これが二回目になる。自分がファーマーみたいに、羊の大群を一つの目的地に追い立てている。二回とも团員数は500人近いという大きな团体だ。時期が違うだけだった。前回は秋の後半に入る頃だったので、道沿いの風景は見渡すかぎり荒涼としていた。そのうえ、抗日部隊に绝え間なく襲撃されたので、毎日怯えながら移動した。船が佳木斯港に着いたにもかかわらず、銃弾に撃たれることを恐れて、团員たちはなかなか船から上陸できなかった。局船の上で一晩過ごし、皆が抑えきれない不満と疑問を羽田にぶつけてきた。「満人はわれわれと同じ家族だと言ってたじゃないか。なぜ船から降ろしてくれないんだ。」「皆さんが彼らの土地を耕すために来たんだから、彼らが嬉しく思わないのは、当然でしょう。」羽田はそう答えたかったが、口には出せなかった。(中略)

今回、羽田が護衛に当たった移民は、7月8日に東京を出発し、一週間の苦労した船旅をて、やっと満洲に辿り着いたので、皆はやつれた顔をした。北海道から来た一人の团員は悔しげに言った、「満洲という新国家建設を助けるために来たんだから、熱烈歓迎されると思っていたのに、とんでもない。街で可愛い女の子に会ったから持っていた人形の玩具をあげようとしたら、母親が出て来て、まるで爆弾でも仕掛けた物みたいに拒绝され、挙句には子

供を抱えて逃げて行ってしまったよ」。さらに「こんなことが分かっていたら、家で漁をけていた方がましだった」と哀しそうに付け加えた。(文は馮、

下は馮)

遅子建が描いた「満洲」の記忆は、小さな人物の運命に目を向けさせることで、中国東北庶民の日常の背後に「抗日」という伏を施している。々な小人物のミクロな物語が、大きな歴史の物語を構成する。その中には日本人の登場人物もおり、開拓民が被害者と加害者の両義性を重ねる「人間」として取り上げられる。ヒューマニズムの立場で、他者=日本人の人間性を理解しようとする遅子建のポジションが見られる。「1Q84」での天吾の父親とは対照的に、この北海道出身の開拓民は国家イデオロギー宣伝を信じていたが、実際に「満洲」の大地に辿りついた後、「悔しさ」を表すことになる。それに対して、天吾の父親は、ただ事後的な反省もなく空虚を抱えたまま生きている人物像である。

2.2「引き揚げ」

「1Q84」のテクストでは、父親の引き揚げの体験は以下のように叙述されている。

一九四五年八月、ようやく生活が落ちつきを見せ始めた頃、ソビエト軍が

中立条を破弃し、満州国に全面的に侵攻した。欧州战をさせたソビ

エト軍は、大量の兵力をシベリア鉄道で極東に移動し、国境を越えるため

の配備を着々と整えていた。父親はちょっとしたで親しくなったある役人

からそのような切迫した情勢をこっそり知らされ、ソビエト軍の侵攻を予期

していた。弱体化した関東軍はとても持ちこたえられそうにないから、そう

なったら身ひとつで逃げ出せるように準備をしておけと、その役人は彼に耳

打ちしてくれた。逃げ足は速ければ速いほどいい、と。だからソ連軍が国境

を破ったらしいというニュースを耳にするや否や、用意しておいた馬で駅に

駆けつけ、大連に向かう最後から二番目の汽車に乗り込んだ。仲間のうちで

その年のうちに無事に日本に帰り着けたのは彼一人だけだった。

BOOK1、pp.169170。

この「満洲」体験は、苦労した長い旅だったが、ラッキーな冒険でもあったかのように描かれている。歴史の実相をみれば、日本敗战後、「満洲」における支配——被支配の構造は逆転された。実際に、多くの「満洲」引き揚げ者にとって、「引き揚げ」体験は悲劇的であった。長野県の「満洲」への開拓团の「引き揚げ」状況を例としてあげよう。敗战に伴い、大混乱に陥った。冬になると気温が氷点下になり、多くの老人や幼児が牺牲者になった。「引き揚げ」のプロセスの開始も遅れ、長期にわたった。逃避行の途中で、ソ連軍や現地住民に襲撃されたり、数百人の開拓团員が集团自決をして亡くなったりした場合もある。収容所へ入ってからも、厳冬期をむかえて発疹チフス等の病気が蔓延し、あるいは食料不足で、亡くなった例も多い。長野県内で郷里に無事生還した人数は17698人であり、これは渡満者のうちのわずか52.5%であるという。死亡者(ソ連抑留中の死亡も含む)は14939(44.3%)、行方不明者220人、中国への残留者884人となっている。

これらのデータは、坂部晶子の研究「「満洲」験の社会学——植民地の記忆のかたち」(世界思想社、2008年)に拠るものである。坂部晶子は「長野県満洲開拓史」に基づいて、長野県の満洲開拓团の引き揚げの状況を概観している。「長野県満洲開拓史」(编·各团编·名簿编)長野県開拓自興会満洲開拓史刊行会、1984年。

長野県民に限らず、多くの験者にとって、帰国への最後の難関は引き揚げ船だったという。战後、中国に残留した女性たちや、肉親と離れた孤児たちもいて、「引き揚げ」の未帰還者としての彼らの験が知らされる。

「1Q84」のテクストにれば、「満洲」から引き揚げてきた父に対して、「満州」での験を父と共有する知人は、その共有する「満洲」験により信頼関係を持った上で、NHKの集金人の仕事を绍介することになる。事前に情報を知り、うまく「満洲」を脱出したのも、一般的な「満洲」験を逸脱した物語の設定である。一方で、「仲間のうちでその年のうちに無事に日本に帰り着けたのは彼一人だけだった」という叙述は、実際の悲劇的な「引き揚げ」状況とほぼ一致する。したがって、天吾の父親には「先見の明」があったことになり、見事に「満洲」を脱出したストーリーは、特殊な例として作られたのである。一般開拓民の集合的記忆を逸脱したところもあることは明らかである。

2.3「満洲」体験の語り部

引き揚げの記忆の語り方は、それぞれ战後へどう向き合っているかを示唆する。帰国後の父親にとって、「満洲」体験を語る相手は息子しかいない。天吾の父親は体験者としての語り部の役目を果たせず、記忆のシェアはスムーズに進んでいない。実際に战後、一部の「満洲」体験者は村人に帰国報告をして、語り部の役目を負った。それでは、天吾の、父親の「体験」に対する反応は如何に描かれているだろうか。「いやというほど聞かされた」

BOOK1、p.171。

と語り手が叙述するように、天吾は、父親の「満洲」体験に対して、かなり受動的な姿勢を見せている。父親は人生の自慢話をするように、息子に体験を語ろうとする意は非常に強い。彼は「子守歌」や「童話」の代わりに、それを色彩に富む語り方で子供に語る。父親から「満洲」体験をり返し聞かされた果、子供世代の天吾は受動的に父親の人生の記忆を受けいだはずである。天吾が父から受けいだこのような「満洲」体験は、個別的な、口頭により生まれた記忆なので、ある種の「コミュニケーション的記忆」といえる。コミュニケーション的記忆は可変的であり、この記忆を体現している担い手=次世代が交代すれば、その内容も移っていく。アライダ·アスマンは「何らかの共通の知識の基盤が失われてしまえば、异なる時代や世代間のコミュニケーションは途切れる」

アライダ·アスマン著、安川晴基「想起の空間——文化的記忆の形態と変遷」水声社、2007年、p.25。

とコミュニケーション的記忆の危機を指摘している。天吾の父子間におけるコミュニケーションはさほどスムーズではないとは言え、隔たりある父子関係を通じた「記忆」の伝承が表象されている。

3. 「1Q84」における「記忆」の空白——中国側の「満洲」記忆

「1Q84」において、父親の「満洲」体験には、当然存在していたであろう植民地の住民が欠如している。歴史の実相をみれば、一部の開拓团の日常は中国人社会と断绝していた場合もあるが、マジョリティーである中国の人びととの間に全く接点を持たずにいられることは不可能であったろう。つまり、父親の記忆と現実との間には齟齬がある。父親はそもそも当時中国人のことを意識していなかったのか、それとも無意識のうちにその部分を忘却したのか、あるいはトラウマとして現地住民に関わる記忆を抑圧しているのか、はっきりとは描かれていない。テクストに語られていない空白の部分の存在は、想起された「満洲」と実際の「満洲」のずれを提示している。ここに、天吾の父親と、「トニー滝谷」での父親=滝谷省三郎という父親像との類似性が見られる。「そのようなわけで、日中战争から真珠湾攻撃、そして原爆投下へとの到る战乱激動の時代を、彼は上海のナイトクラブで気楽にトロンボーンを吹いて過ごした。战争は彼とはまったく関係のないところで行われていた。要するに、滝谷省三郎は歴史に対する意志とか省察とかいったようなものをまったくといっていいほど持ちあわせない人間だったのだ。」

「村上春樹全作品1979—1989 ⑧ 短编集Ⅲ」「トニー滝谷」講談社、1991年、pp.227229。

滝谷省三郎の人生と天吾の父親の人生に共通するのは、人生を貫く虚無感である。体験した場所はそれぞれ异なるが、战時下の時代においては、かなりラッキーな験だと言える。天吾の父親は大連から汽車で「満蒙国境」の近くまで行った。そこに広大な草原やアルカリ土壌の土地が広がる「満洲」の自然状況と、「満蒙開拓」という国家行為と合わせて、ちょうど「空虚」というイメージに相応しい。ところが、現代社会における暴力性を表現するための記号として扱われる「満洲」が、記号性を拒む性質を有することは無視できない。「1Q84」という物語においては、わざと「満洲」体験の空白が残されていることを、より明らかにするために、ここで、試みに证言や小説などの中国側の「記忆」を取り上げて分析する。そうすると、「1Q84」で語られた「満洲」体験の特徴が一層明確に見えてくるであろう。

3.1中国人体験者の記忆

まず、中国人体験者の证言を例としていくつか取りあげる。植民地時代に使役された中国人労働者の具体的な生活や現実については、1949年以後の中国各地で作成された資料集や聞き取り調査の記録を通して接近できる。特に1980年代以後、各地で「文史資料」の编纂が進められていく。これらは当事者の記忆や回想に基づいた過去の歴史の記録集となっている。中国東北各地でも各県、市、省ごとに多な歴史の证言が収集され、記録が编集される。「満洲国」期にかんする证言もその大きな割合を占めている。彼らの生の体験を知るために、彼ら自身による語りが最も重要である。体験者·斉福清(男70歳)の证言を見よう。

訪問地点:樺川県中伏郷七星村

訪問日時:1992年9月12日

1939年に日本「開拓团」はやってきた。私たち農民は集賢県官部落に追い

払われて「県内開拓民」となり、荒地を開墾させられた。しかし、当時そこ

は水草の生い茂った放牧地で、全く開墾の仕がなく、多くの人が餓死した。

その後、わが家は七星にった。七星は日本「開拓团」の本部のあるところ

で、私たちはそこを「紅部」と呼んでいた。私は「開拓团」の土を借りて「開

拓团」の家に住み込んだ。私たちは「官工」(無償労働)に出て、日本人の

ために働かなければならなかった。日本の現場監督は非常に厳しく、ある時、

「開拓团」の外壁を築造した際、ちょっと早目に帰ろうとしたら、ひどく殴

られた。

孫武、梁玉多著「日本移民地調査訪問資料」、西田勝编、鄭敏·孫武编著「中国農民が证す「満洲開拓」の真相」小学館、2007年7月、p.119。

次に、大野郷開拓团にかんする記忆を例として挙げる。

【中国语原文】

重盘剥,大野乡开拓团罪行累累

大野乡开拓团的盘剥罪行:一是对内,团长等公事人员的生活与日民生活截然不同,团长身穿呢料,家有钟麦,一日三餐菜肴丰富;而日民生活却很艰苦,主食靠供给,副食靠园田的自种蔬菜。但日民的等级观念很强,认为当官的穿得好,吃得好是天经地义的,从不攀比,表面上也看不出有什么抱怨情绪。二是对外,也就是对邻近中国农民的盘剥,手段有两种:一是高价租地,日本人坐收渔利。特别是沿河地带,地势低洼,既没有防洪工程也没有排涝设备,几乎年年有洪涝之灾,而定的高租也从不减税,中国农民将所收成的粮食交租后,多数所剩无几,过着吃糠咽菜,沿街乞讨的生活。另一种是生产季节雇佣打零工的农民,特别是生产旺季,一天雇工达500余人,团部将雇工分到各日民户后,由日民分配活计,规定数量,监督质量。雇工们按劳动数量多少由日本农户发给劳动工票,由雇工本人到大野乡团部领取工钱。雇工们劳动强度大,时间长,但工价低得可怜,男壮劳动力一天只能赚5角,女工只能赚3角钱。当地流传着这样一首民谣:“大野乡,地垄长,日不落,汗水淌,扎破脚上鞋,搂断破锄扛,赚来三五角,回家哄儿郎”。尽管这样,日本人的钱也是很难赚到手的。日民们对雇工监督很严,时常因质量不好,遭到日本人“巴嘎呀路”(混蛋)的骂斥和扣工钱。雇工们每逢遇到这种情况,知道和日本讲不出道理,只好回村找当时做邮差的陆家村民刘景新祈求。由于刘景新经常给大野乡开拓团团长及公事人员送信和邮包,时间长了,有些私人感情,靠这种关系打通关节,村民们才可以把工钱拿到手。(摘自《盘锦文史资料》第三辑)

【文】

ひどい搾取、大野郷開拓团の罪多し

大野郷開拓团の搾取の罪:その一、内に対しては、团長や公の人の生活は、

团員とは完全に异なる。团長はウールの服で、時計を持ち、一日三度の食事

は豊富であった。それに対して、日本人团員の生活は難しくて、主食は配

に頼り、副食は自ら栽培した野菜であった。ところが、团員は階级意識が強

くて、官僚がいい生活をするのは当たり前なことだと思っている。互いに張

り合わないし、表には不満も見えない。その二は外に対する場合だ。つまり

近所の中国人農民への搾取のことだ。その手段は二つあった:高い値段で土

地を賃借することで、日本人は漁夫の利を得た。特に、河沿いの地帯は、地

勢が低くて、水防のプロジェクトや排水の設備もない。毎年水害に襲われ、

高い小作料に加え、減税をしたこともない。農民たちは、収穫した食料を小

作料として支払うと、残りは少なく、貧困な生活をし、路頭で物乞いをする。

もう一つは、生産季節にアルバイトを雇うことだ。一日に500人を雇い、開

拓团は雇い人を割当て、日本人团員が指示を出し、数量を決め、品質を監視

する。雇い人は労働の量に基づき、日本人農家から労働票を受け取る。その

雇い人はまた大野郷本部で料をもらう。雇い人は仕事がハードで、労働時

間も長いが、料はきわめて少ない。大人の男性は一日5角、女性が3角し

か稼げない。当地には次のような民謡が流行した:「大野郷、耕地も長く、

日の入りも来ない、汗を流し、靴が突き破られ、壊れた鍬を担いながら、三、

五角を稼いで、息子をあやす」。にもかかわらず、日本人からお金を稼ぐの

は難しい。雇い人は日本人团員に厳しく監視され、品質がよくないという理

由で、時々「馬鹿野郎」と怒鳴られたり、賃金を減らされたりする。雇い人

は、毎回この場合だったら、日本人と理論しても意味ないと思って、村にっ

て、郵便員を勤める陸村の劉景新に訴える他ない。劉景新はよく大野開拓团

と公の人に郵便配達をしており、時が長くなると、個人的な関係ができ、こ

の人脈で意思疎通ができ、やっと賃金が村民の手に入ったのだ。(「盤錦文史

資料」第三集より)孙邦、于海鹰、李少伯编「伪满史料丛书经济掠夺」吉林人民出版社、pp.769771。(文は馮)

大野郷開拓团についての記録は、聞き取り調査に基づいて整理されたものである。当地の農民たちの土地は「買収」という名義で略奪され、さらに中国人労働者はひどく搾取された。この場合、植民地における支配側と被支配側の日常は深く関連している。次に強制労働に連行された证言を例として取り上げる。

【原文】当劳工的苦难经历

李青山口述王杰整理

悲惨的遭遇

我们被押送的地方叫做老黑沟,位于黑龙江省黑山县境内。地处山区,山高林密,古木参天,是人迹罕至之处。把我们抓到这个地方,就是给鬼子修筑地下仓库,整天挖山洞、砸石头、背石头、挑石头、砌石头,一天要干十七八个小时。早出工披着星光,晚归来带着月亮,吃不饱,睡不好,累得筋骨断,瘦得骨如材。干活时再累也不敢直腰,谁要直腰被鬼子监工看见,就得狠狠地砸你一木剑(木头做的剑形木棍)。劳工如牛马,经常挨打受骂,打死一个劳工如同打死一只小鸡。我亲眼看见,有一个劳工活活被日本监工给打死,扔到了万人坑里。当时我们编了一个顺口溜:

老黑沟阴森森,

周围全是山,

当中一线天,

劳工受尽牛马罪,

吃不饱来穿不暖;

鬼子好比阎王,

万人坑里把人填。孙邦、于海鹰、李少伯编「伪满史料丛书伪满社会」吉林人民出版社、pp.56。

【文】

労工としての苦難的歴

李青山口述、王傑整理

悲惨な遭遇

私たちは黒竜江省黒山県内にある老黒溝というところに護送された。山地

で、山も高いし、森も茂っている。古木は天に届いているかのようである。

人びとの姿は希にしか見られない。日本人のために地下倉庫をつくるために、

こんなところに連行されたのだ。日、洞窟を掘ったり、石を砕いたり、背

負ったり、担いだり、積み上げたりして、17、18時間もかける。星がまだ見

える朝にやり始め、月が見えるほど遅い時間に帰る。よく食えなかったし、

睡眠も十分取れなかった。骨が折れたように疲れて、柴のように痩せてしまっ

た。それにしても、いくら疲れたと感じても、腰を伸ばすことができなかっ

た。管理人に見られたら、容赦なく木刀(木で作った剣のかたちの棒)で打

たれる果になる。労工は牛、馬のように、ややすると殴られて、怒鳴られ

ていた。一人の労働者を殺すのは、小鳥を殺すと同じように簡単だった。私

は自ら、一人の労働者が殴られて殺された後、万人坑に投げ捨てられたことも見たことがある。当時、私たちは韻文を作った:

老黒溝は陰鬱で、

周りは山々、

真ん中に一しか残らない光景、

牛と馬のように操られ、

食べ物も衣装も足りない;

日本人は閻魔みたい、

万人坑に人間を埋めた(文は馮)

以上の被害者側の験談と证言からわかるように、「満洲国」という半植民地社会における支配——被支配の権力構造は植民地社会の日常を規定している。中国人労働者の生活は食事が中心であり、済制下での過酷な配制度により、労働者の生活は貧困化してゆき、その不満から「満洲国」に対して労働者たちが非組織的に抵抗活動を行っていた子が明らかに表現されている。植民した側の人びとにとっての日常世界と、植民された側にとっての日常世界とは、地域によって分断されている場合もあるが、搾取と略奪に基づく植民支配は、完全に中国の人びとの存在を排除することはできない。植民地における支配——被支配関係の権力性は、支配された側の労働者の日常生活を凌駕する。支配された彼らはその不合理性や抑圧に耐えざるを得ない。口承で残された「韻文」は労働者たちの辛酸と怒りが凝縮されたものであり、これも体験者たちが共有する集合的記忆なのである。

3.2小説「伪满洲国」における抵抗と被害の記忆

次に、中国文学「伪满洲国」に描かれた被害と抵抗の記忆を例と取り上げる。「伪满洲国」での、父子関係ではない吉来と、学校の先生である王亭業の間の会話は、次のように展開されている。

【中国语原文】

王亭业见往来行人都把目光集中到那对母子身上,就对吉来说:“你不上学校也好,你不用学日本话了。”

“我们先生说了,中国人要说中国话,不学日本话。”吉来的话刚一出口,王亭业就把脖子左右扭了扭,四顾无人后,他说:“你说话的声音太大了,这样不好。以后在街上说话要小点声。别告诉别人我刚才跟你说的那些话。”王亭业提着药摇摇晃晃地离开了。他离吉来远了的时候,就不再背着手走路,那摞草药又回到前面去了。吉来憋不住想笑。他想虽然街上的日本人越来越多了,他不和他们打交道就是。迟子建「伪满洲国」人民文学出版社、2005年、p.3。

【文】

周囲の目がその母親と子どもに向けられるのを見計らって、王亭業は吉来に言った。「学校に行かなくてもいい。日本語を習わなくて済むからね」

「塾の先生が言ったよ。中国人は中国語を喋らなくちゃ、日本語を習わな

いって」と吉来が言った途端、王亭業は吉来に念を押してから、周りを見回

した。「大声をだしちゃだめ。これから外で喋る時は、声を抑えて話さない

とだめだよ。それから、私が言ったことも、他人には喋るんじゃないぞ」

そして、王亭業はゆっくりと歩き出した。吉来から遠くなったら、彼の手

は前にり、漢方薬の包みも元通りにぶら下がった。吉来はその姿を見て、

笑いたかった。「この街に日本人が増えたけど、付き合わなければ済むこと

さ」と思った。(文は馮)

ここでは当時の中国における一般人の密かな抵抗が描かれている。半植民地下での中華ナショナリズムの描写である。王亭業は抵抗する意識を抱えながら、迫害されることをも恐れていて、大きな声を出さない。ここでは、植民地社会の支配——被支配の構造の中に置かれている生活の日常の部が生々しく描き出されている。王亭業は一人の悲劇的な主人公で、当時「満洲国」に生きる知識人の典型的な人物像である。彼の最的な行き場は731部隊になる。「伪满洲国」では、平頂山事件や731部隊の人体実験のような残忍な歴史上の事件も描かれている。「伪满洲国」という小説は、「跋一」(日本語「後書き一」)

「跋一」同書、2005年、pp.705706。で記されているように、遅子建が7年間をかけて図書館や古本屋で歴史資料を収集し、研究した上で執筆した小説である。被植民社会での集合的記忆の変遷の一端が「伪满洲国」に見られる。「満洲国」における被植民者である中国の験についても、植民地社会における暴力的構造によって規定された圧倒的な被害者像として描かれることがほとんどであった。民衆の視点から、日常の些な生活の描写で大きな歴史を表現しようとするこの作品は、植民期以後の中国東北社会において「満洲国」にかんする集合的記忆が維持され、変化していくことをも意味する。「1Q84」での父親の「満洲」体験には、加害の記忆が完全に欠落しているように設定され、しかも部がなく、骨としての大きな歴史事件しか述べられていない。

以上のように作品内外における「記忆」の比較を通して、「1Q84」における父親の「満洲」験には大きな空白が施されていることが、さらに明確になってくる。日本人による回想録や歴史の記述のなかには見出しがたい具体性、状況の詳さは中国人当事者の证言に見られる。勿論、小説としての「1Q84」での父親像は批判的に描かれており、歴史を還元しようとする作品でもないし、作者自身には、未体験者世代、しかも加害者側の後世として、歴史の具体性と詳さを備えた「満洲」記忆を作品に織り込むことはそもそも難しいであろう。

4. 父子間におけるコミュニケーションの断绝と「和解」

「1Q84」においては、これまで村上春樹の作品のなかではあまり詳しく描かれることのなかった「父」が前面に登場し、そのほかにも何組かの親子関係が設定されている。設けられた関係性は作品の解釈に大きな示唆を与えるものだと思われる。その中で、最も重点的に描かれているのは天吾と父の関係である。天吾がゴーストライターとして「空気さなぎ」を書き直した立場、すなわち「1984」年から「1Q84」への切り替えに参与した重要な役割のほかに、彼に仮された問題は父子関係にある。天吾の母は彼が子供のときから不在だった。父子家庭で天吾は、日曜日ごとに、父にNHKの集金に連れて行かれるたび、執拗に満蒙開拓について聞かされる。このような形で、前世代から次世代への記忆の伝承という問題が浮上してくる。

4.1トラウマとしての日曜日と抑圧される記忆

子世代の天吾と父親との関係は、スムーズに進むわけではない。天吾にとってNHKの集金に連れて行かれる日曜日はトラウマとして刻まれている。毎週日曜日に父とともに集金ルートを回らされるため、级友たちのように遊べず、クラスで「NHK」とあだ名される「异人種」にならざるを得なかったこともある。小学校5年生の時、ついにそれを拒绝し、父親からの自立を宣告した。しかしながら、大人になった今でも「日曜日が現実の脅威ではなくなった今でも、日曜日の朝に目を覚まし、わけもなく暗い気持ちになることがある。身体の節々に軋みを感じ、吐き気を覚えることもある。そういう反応が心に染みついてしまっているのだ。おそらく深い無意識の領域まで」という。考えてみれば、天吾の心身における反応は、トラウマとして記忆された体験の長期にわたる影響として出現する混乱である。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)症状である。このPTSDはり返しテクスト中で強調されている。天吾はテレビ·アンテナを見かけても、つらい思い出が呼び起こされるようになる。

二人並んで車窓の外を眺めていた。のっぺりとした平板な土地に、これと

いう特徴のない建物が、どこまでも際限なく立ち並んでいる。無数のテレビ·

アンテナが、虫の触角のように空に向けて突き出している。そこに暮らす人々はNHKの受信料をちゃんと払っているのだろうか。日曜日には天吾は何かにつけて受信料のことを考えてしまう。そんなこと考えたくなんかないのだが、考えないわけにはいかない。BOOK1、p.180。

以上のように現れる天吾の症状についてさらに考えてみよう。児童期のトラウマは心理上の変化をもたらし、青年期になってから種々の心身両面での障害として現出する。では、父親の「満洲」体験と天吾のトラウマ的なNHK集金活動には、いかなる関連性が存在するのだろうか。子供は実際に自ら災難を体験しなくとも、親の口述により、つらい験を認識し、内面化していく。天吾の場合は、父親の「満洲」体験に抵抗しており、父親の「満洲」体験を想起するためには何らかの刺激が必要となる。トラウマである集金活動は「満洲」体験を想起する媒介として機能する。天吾が恐怖の「日曜日」の「記忆」を「想起」すると、父親のことを思い出してしまい、それに連動して植民地「満洲」の〈記忆〉も呼び起こしてしまう。その記忆は世代交代とともに、変容していく。フロイトの精神分析によれば、自分の記忆の一部が耐え難く、健全な生活を極端に妨げる場合、反射的に記忆を意識下から排除することにより障害を回避する反応を「抑圧」と呼ぶ。C.S.ホール著、西川好夫「フロイト心理学入門」清水弘文堂、1987年、pp.132138。明らかに天吾にとって「日曜日の記忆」はあまりにも辛いものなので、彼は反射的にそれを意識下から排除しようとしている。「満洲の記忆」は「日曜日」と直しており、無意識下に封印され、抑圧される。したがって、トラウマとして通底する「記忆」は、想起の空間=「満州」から、想起の時間=「日曜日」に移行したといえる。さらに、この記忆を所有している担い手が交代すれば、その内容もまた変容するであろう。こうして战争や植民地の「記忆」の承に伴うアイデンティティーの変化が提示されている。

同時に、「1Q84」に描かれた父子関係は、いささか作者自身の個人体験を反映しているとも考えられる。2009年エルサレム賞の授賞式スピーチで、村上春樹は唐突に、前年90歳で亡くなった父親の思い出を語っている。

父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、

徴兵され、中国の战場に送られました。战後に生まれた私は、父が朝食前に

毎日、長く深いおを上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父

になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、战場に散った

人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろ

うが区別なく、「すべて」の战死者のために祈っているとのことでした。父

が仏壇の前で正座している後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたよ

うな気がしました。

村上春樹「壁と卵」、大胡田若葉、早川誓子编集·翻協力「心をゆさぶる平和へのメッセージ——なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したか」、2009年、pp.5053。

战争の記忆について「死の影を感じた」と語ったように、父の战争体験を引ぐことは、村上の内面にもある種のトラウマを形成させたことを意味する。彼の創作は战争や植民地の記忆の影に大きな影響を与えられた。したがって、天吾と父の関係と作家自身における父子関係とは無ではない。世代間の記忆のの問題が強く意識されながら、天吾と父親の父子関係が描き出されたのであろう。

4.2「猫の町」という挿話

BOOK2第8章には、「猫の町」という挿話が描かれる。千葉の療養所へ向かう列車の中で天吾は、旅をテーマとした短编小説のアンソロジーをむ。そしてその中の「猫の町」という短编を、彼は二度、り返しむこととなる。

「猫の町」は「空気さなぎ」やチェーホフの「サハリン島」と同じく、作品へのテクスト引用のかたちで示される。名前も知らないドイツ人作家によって書かれたとされる「猫の町」は、両世界大战の間に書かれたものだと解説されている。一人の青年が列車に乗って気ままな旅をしている。途中ある町の無人駅に惹かれて降りると、そこは人間の姿が全く見えない猫があふれる町であった。青年は好奇心から勝手に町のホテルに泊まる。三日目に人間の匂いに気付いた猫が、グループを組んで、自警团のように捜査を始める。青年は町を脱出しようとするが、列車はスピードを落とさず通過し、停まらなかった。局、帰還することがかなわない彼は、元いた社会から自分が失われていることを悟った。そこは猫の町などではなく、彼が失われるため、彼のために用意された、現世から隔绝した場所だったのである。

このエピソード「猫の町」は、萩原朔太郎の「散文詩風な小説」と副題された「猫町」を想起させる。「猫町」は1935年8月「セルパン」第54号に発表された朔太郎後期の短编であり、詩人にふさわしく幻想的な作風となっている。「私」は精神的疲労感から麻薬に溺れる人物である。そのような「私」が旅先の温泉場で、犬のように肉ばかり食べる人々が集まった部落や、猫のように魚ばかり食べる住民の集まる部落の伝説を耳にする。そして「私」は、本当に猫ばかりの町に迷い込んでしまう。見慣れた普通の町が、突然見知らぬ町に変貌する。「私」の恐怖が頂点に達したとき意識が回復し、猫の姿が消えるという作品である。

「猫の町」と「猫町」との最大の相違は末のあり方にある。「猫町」の主人公「私」は無事にもともと自分が住んでいる町に辿りつくことができたのに対し、「猫の町」の青年は脱出できずに、もとの世界に帰れなくなる。青年にとって猫の支配する町は、「彼が失われるべき場所」なのである。

清岡卓行は「猫町」を執筆した当時の時代背景に着目し、「猫町」は全体主義と軍国主義に向かう日本の不気味さを書いたものだと指摘する。清岡卓行「解説」萩原朔太郎「猫町他十七篇」岩波文庫、1995年。

村上春樹が萩原朔太郎の「猫町」を参照したかは定かではないが、少なくとも「猫町」の全体主義との関連性については、すでに先行論に示されている。

本論では、天吾が療養所で父親に「猫の町」をみ聞かせる場面に注目したい。「猫の町」という物語を聞かせるということは自分自身の生き方を宣言する行為であり、このときはじめて天吾は父親に自分の生き方を伝えることができたのではなかろうか。母親の謎を巡っての父子間のやり取りの後、父親は「何かんでもらえませんか」と要求する。そして、天吾は父に文庫本の「猫の町」をみ聞かせる。

「その猫の町にテレビがあるのでしょうか?」、父親はまず職業的な見地からそう質問した。

「1930年代にドイツで書かれた話だし、その頃にはまだテレビはありません。ラジオはあったけど」

「私は満州におったが、そこにはラジオもなかった。放送局もなかった。新聞もなかなか届かず、半月前の新聞をんでおりました。食べるものだってろくになく、女もおらんかった。ときどき狼が出た。地の果てのようなところでした」

彼はしばらく黙して何かを考えていた。たぶん若いときに満州で送った、開拓移民としての苦しい生活のことを思い出しているのだろう。しかしそれらの記忆はすぐに混濁し、虚無の中に呑み込まれていった。父親の表情の変化から、そのような意識の動きがみ取れた。BOOK2、pp.180181。

(下は馮)

「猫の町」の世界は、青豆の名付けた「1Q84」年の世界=「月が二つある世界」と、重なる空間であろう。登場人物(冒頭で首都高速を走るタクシー運転手だけが例外かもしれない)は「猫の町」=「1Q84」年の世界という异界にれ込んでしまう。み聞かせの後、普段から口数の少ない父親が、意外にもこの「猫の街」に共感を示し、開拓移民時代の「満州」のことを思い出している。ともにテレビもラジオもなく新聞もなかなか届かないという、現代の現実世界からほど遠い、空虚な世界に過ぎないと考えられる。時間がつとともに、疎遠となった風景にまつわる記忆も「混濁し、虚無の中に呑み込まれ」る。「羊をめぐる冒険」の中の「満洲」に照らせば、川村湊が指摘するように「羊博士や右翼の大物が行った中国東北部、すなわち“満州”が、当時の日本人にとって〈新天地〉であり、新世界であったことはいうまでもない」

川村湊「“新世界”のわりとハート·ブレイク·ワンダーランド」「村上春樹スタディーズ02」若草書房、1999年7月、p.251。だろう。しかし川村は、「新しい世界、天地、大陸への渇望は、いつも人間たちを未来や虚構、夢や幻想の世界へと誘っていったのである」同書、p.256。ともしている。「1Q84」においても、虚無感を抱えている父にとって、「満洲」はすでに幻のようなものにすぎない。前節では、异なる態の「満洲」についての記忆を例として取り上げて、天吾の父親の「満洲」体験と対比したが、天吾の父親の「満洲」体験には、もともと現地に住んでいる人びとが不在であり、記忆の空白が残ったままである。したがって、「猫の町」と空白の残った「満洲」記忆は、重なっているイメージの世界と言える。

そして、天吾は長く拘泥している親子の血関係について、直截に「それでは、僕の父親は誰なんですか?」と父親に突きつける。「ただの空白だ。あんたの母親は空白と交わってあんたを産んだ。私がその空白を埋めた」BOOK2、pp.182183。と父親は答える。この答えを通して、天吾は始めて父親の内面に思いを巡らせる。

この男は空っぽの残骸なんかじゃない。ただの空き屋でもない。頑強な狭い魂と陰鬱な記忆を抱え、海辺の土地で訥々と生き延びている一人の生身の男なのだ。自らの内側で徐々に広がっていく空白と共存することを余儀なくされている。今はまだ空白と記忆がせめぎあっている。しかしやがては空白が、本人がそれを望もうと望むまいと、残されている記忆を完全に呑み込んでしまうことだろう。それは時間の問題でしかない。彼がこれから向かおうとしている空白は、おれが生まれ出てきたのと同じ空白なのだろうか?BOOK2、p.183。

(下は馮)

上の引用文で「記忆」とせめぎ合っていると述べられている「空白」とは、言葉を補うなら、「記忆の空白」即ち「忘却」である。「空白と記忆」のせめぎあいはまさに「忘却」と記忆のジレンマに当たる。「記忆」という問題への強い意識の表れと思われる。局、父の記忆の空白部は徐々に割合を増すが、この空白を埋める役を担当するのは子世代の天吾にほかならない。そして「僕の父は誰なんですか」というアイデンティティーの追求は、父親の記忆力の衰退とともに、解決は遠ざかっていき、永遠の謎になり、空白が残ったままにされている。

4.3父の退場と「和解」

BOOK2の第24章では、天吾は昏睡状態にある父親に理解を示し始める。天吾は自立するようになるまで育てられた恩を感じ、病状がさらに悪化した父親を看護するため、療養所に長く逗留するという設定になっている。父親はすでに会話のわからない状態にあるため、天吾は返事を期待することもなく、父に自分の過ごしてきた状況を語り聞かせる。

NHKの集金に連れ回されたことについては、今想い出してもうんざりするし、胸も痛む。嫌な記忆しかない。でもきっとあなたには、それ以外に僕とコミュニケーションをとる手段が思いつけなかったんだろう。なんて言えばいいんだろう、それがあなたにとってはもっともうまくできることだったんだ。あなたと社会との唯一の接点のようなものだった。きっとその現場を僕に見

せたかったんだろう。今になれば僕にもそれがわかる。(後略)BOOK2、pp.488489。

こうして天吾は心中を打ち明け、父と「和解」ができたとされている。ところが、この「和解」は天吾によって一方的になされたもので、双方による真の和解ではない。父子間における「コミュニケーションの断绝」は、果として完全に修復できない状況にされている。BOOK3では、さらに父子関係の物語がに向かう。天吾は子としての社会的義務を果たすため、父の死後、遺品の片づけや葬式の手配などを行う。父親の死に対する天吾の心理に力点を置いて描写されている。とりわけ次の二場面は着目に値する。

あなたが僕の実の父親であったにせよ、なかったにせよ、それはもうどちらでもいいことだ、天吾はそこにある暗い穴に向かってそう言った。どちらでもかまわない。どちらにしても、あなたは僕の一部を持ったまま死んでいったし、僕はあなたの一部を持ったままこうして生き残っている。実際の血の繋がりがあろうがなかろうが、その事実が今さら変わることはない。時間は既にそのぶん過し、世界は前に進んでしまったのだ。BOOK3、p.490。

「でもある場合には、死んだ人はいくつかの秘密を抱えていってしまう」と天吾は言った。「そして穴が塞がれたとき、その秘密は秘密のままでわってしまう。」同書、p.483。

「あなたは僕の一部を持ったまま死んでいったし、僕はあなたの一部を持ったままこうして生き残っている」という言葉が示すように、子供は父親の生物学的な生の延長上にあるのみならず、精神的な重複が存在している。そのような共有意識は、互いの記忆のシェアと確固とした自己同一性に由来するであろう。父の退場にともない、一部の記忆は維持され、一部の記忆は喪失せざるを得ない。作者の場合は、2009年エルサレム賞受賞式のスピーチで、前年に亡くなった父親の話を持ち出し、「父は私が決して知り得ない記忆も一緒に持っていってしまいました。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。」大胡田若葉、早川誓子编·翻協力「心をゆさぶる平和へのメッセージ——なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したのか?」ゴマブックス、2009年、pp.5053。と述べている。父の秘めた心の傷を自らの傷として受けいだ作者にとって、「父」は永遠に解き明かせない謎であるのかもしれない。作者自身の父子関係は、ある程度「1Q84」に投影されているであろう。

BOOK1で語られた父の「満洲」体験はBOOK3では詳述されないが、天吾が遺品を確認する場面で間接的に表されている。

NHKに入る以前の父親の人生を示す記録は、その封筒にはひとつとしてなかった。まるでNHKの集金人になったところから、父親の人生は開始したみたいだった。BOOK3、2010年4月、p.442。

この一節からわかるように、集金人となる以前の父親の人生は記録されていない。この不明

瞭な父親の「満洲」体験や战前の験は、「忘却」に瀕していると、村上春樹の「記忆」の語りは、示している。この作品では「記忆」の断绝に対する危機感が現れており、父子間における「記忆」の承ひいては世代的な責任について批判的に描かれているのである。2010年「1Q84 BOOK3」が出版された後、村上春樹は二泊三日のロングインタビューを受けて、「1Q84」の創作動機について、世代的な責任に言及している。

战争から帰ってきた父親たちが婚して、战後すぐに僕の世代が生まれた。(中略)理想主義なんてあっという間に壊れていった。やがてバブルははじけて、日本は多かれ少なかれ、舵をもがれた船みたいなありさまになってしま

う。僕らの世代は、それに対して責任をとってないんじゃないかという思いがあります。村上春樹「村上春樹ロングインタビュー」「考える人」No.33、新潮社、2010年、p.58。

このインタビューで村上は自ら「1Q84」の成立を詳しく説明している。世代責任は「1Q84」の解にあたって重要なキーワードの一つだと考えられる。「1Q84」では、記忆の時代である現在(2010年前後)における、多元的な「記忆」の構図が提示されている。同時に、作中の曖昧な血関係、及び父親の死去は、世代間における绝対的な「コミュニケーションの切断」を意味する。こうして、世代間における「記忆」の引きぎの問題が提起される。子世代の天吾は消極的で世代責任を担おうとはしない、親世代の父親は不完全な「満洲」体験を教えようとしている「記忆」の危機が顕在化される。「ねじまき鳥クロニクル」において、親世代に当たる間宮中尉は、子世代に当たる岡田亨にノモンハン事件の長い話をした。そして、子世代のシナモンは積極的に親世代の記忆を受けごうとしており、自ら想像力を発揮して、「満洲国」新京動物園で起こった暴力を叙述し、パソコンファイルにめた。この二つの作品における「記忆」の承の問題はかなり异なる描き方で提示されている。「1Q84」の天吾は親世代の「記忆」に対して消極的で無責任である。それに対して、「ねじまき鳥クロニクル」の岡田亨は親世代の験に対してよい聞き手となり、シナモンは積極的に上の世代の験を想像しようとしている。このような描き方の違いから、村上による対社会意識の注目点の変化が窺える。

「1Q84」においては、一義的な歴史叙述ではなく、多視点による複数の歴史叙述により合的な「記忆」が者に伝えられている。青豆は現代社会の被害を受けた女性の代弁者であり、タマルに関わる身の上の記忆は植民地で支配された側の記忆であるので、二人の共通点はどちらも被害者の立場に立ち、被害者の記忆を述べるようになっている。それに対して、天吾の父親による「満洲」体験は、加害意識も被害意識も両方とも欠落した自慢話のような記忆として描かれている。父親による「満洲」体験の空白を明らかにさせるために、他の日本人体験者による证言、战後生まれの中国人作家遅子建の小説「伪满洲国」、さらに中国側での聞き取り調査による证言や体験談を取り上げて、対比して検证した。「猫の町」と父親の「満洲」の類似性を提示した。こうして親世代の父親が子世代の天吾に不完全な「記忆」を伝えようとした物語が生成する。父親の満洲体験は、青豆とタマルに関わる「記忆」と明らかなコントラストを成している。ここでは、被害者=他者の記忆を作品世界に包摂しようとする作者のポジションが窺える。青豆の友達、女性警察官のあゆみは、次のように語る、「記忆は親から子へと受けがれる。世界というのはね、青豆さん、一つの記忆とその反対側の記忆との果てしない闘いなんだよ」

BOOK1、p.525。。このような記忆の闘いと承がこの作品世界を貫いている。

第五章「魂のソフト·ランディング」はありうるか——『1Q84』論

第五章「魂のソフト·ランディ

ング」はありうるか——『1Q84』論

はじめに

『1Q84』は複雑な構成をとっており、々なテーマを含む多義的な小説である。村上春樹自身も、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のような「合小説」村上春樹「るつぼのような小説を書きたい」『夢を見るために、毎朝僕は目覚めるのです村上春樹インタビュー集1997—2009』文芸春秋、2010年、p.501。 を書きたいと述べている。これまでの村上春樹作品にしばしば取り上げられてきた課題が、この作品には多数込められており、たとえばドメスティック·バイオレンス(DV)、カルト、战争の記忆などの諸問題を挙げることができる。

中村三春「村上春樹『1Q84』論(BOOK1、BOOK2)——歴史の書き換え、物語りの毒」『iichiko』

日本ベリエールアートセンター、2010年、p.57。

したがって、これまでの村上春樹作品以上に、み手によって多な解釈が可能となり、メタ小説的な特徴も濃厚に備えている。

『1Q84』には々な解釈が示されているが、战争や植民地の記忆をキーワードとする論述は少ない。

平居謙は『村上春樹小説案内——全長编の愉しみ方』の第12章「『1Q84』、BOOK13」で、「見えない恐怖」を形象化することは、近作に近いほど色濃く現れる春樹ワールドの主題のひとつである、と論じ、さらに、「村上春樹の小説はこれからどこへ向かうのでしょうか。(中略)恐らくこれからも本書『1Q84』に登場したリトル·ピープルは々に形を変えながら小説に登場し、それに対して主人公は果敢に立ち向かってゆくのではないでしょうか。そしてそれが勧善懲悪的·スーパーヒーロー的物語になるのを如何に水際で防ぎきるか」という問題を指摘している。

平居謙『村上春樹小説案内——全長编の愉しみ方』双文社出版、2010年、pp.136148。

小畑精和「『1Q84』はエンタテインメントだ——村上春樹を通して文化論的に日本の近現代を考える」は、『1Q84』を単なる典型的なエンタテインメントととらえ、「苦しむことによって醸成される創造的な時間を内包し、者·鉴賞者にも伝播させる「作品」があるのに対して、彼らを消費者として、時間を忘れさせようとするのがエンタテインメントだろう。『1Q84』は典型的なエンタテインメントと言えよう。村上春樹は痛みと対峙して、苦しむことを恐れずに言葉を紡いでいかなければ、人の心を「深くて広い」ものにすることはできない。さもなければそこにあるのは安易な愈しだけである」

小畑精和「『1Q84』はエンタテインメントだ——村上春樹を通して文化論的に日本の近現代を考える」『現代の理論』(特集 日本の近現代史を問う)vol.25、2010秋号、明石書店、p.143。

と批判している。

芳川泰久は、BOOK3が出版される以前の時点で出された村上春樹論において、精神分析に依拠し、「切断」を大きなテーマとして取り上げ、「精神分析が出発する〈ずれ〉というか、〈切断〉の記忆、それより先にはたどり着けないという不可能性を受け入れることから出発する地点をともに共有しているからこそ、村上春樹の物語論理は精神分析に似ているのである」

芳川泰久『村上春樹とハルキムラカミ——精神分析する作家』ミネルヴァ書房、2010年、p.76。

という観点から、村上春樹作品における時間性の問題や、「不気味なもの」の表象などを、绵密なテクスト分析によって明るみに出している。『1Q84』についても、切断と「ふたたび」の物語理論を適用し、「1984年の世界」に対する「1Q84年の世界」、そして「1Q84年」の世界の中でも、青豆と、もう一人の主人公·天吾が登場するふたつの物語を必要としているという点で、『海辺のカフカ』との構造の類似を論じている。

芳川泰久『村上春樹とハルキムラカミ——精神分析する作家』ミネルヴァ書房、2010年、pp.6869。

本章では、以上の先行研究を踏まえて、「記忆」を作品の構造のなかに置いて、分析する。

1. 「ずれ」と意識された記忆

『1Q84』の舞台となった1984年に、村上は短编集『蛍、屋を焼く、その他の短编』を上梓している。収録された作品群には、現実のただ中にふと生じた微妙でな「ずれ」や「現代への郷愁」とも言える感情が描かれている、と三宅晶子は指摘している。三宅晶子「生の現在としての「ずれ」」『新潮』1984年9月号、p.305参照。

『1Q84』では従来の村上文学における「郷愁」が引き继がれ、さらに、「ずれ」にかつてない比重が置かれて表現されている。覚えのない目の前の現象に不審を抱くことで、記忆との「ずれ」が生じるのである。過去との断绝を抱えている非リアリスティックな登場人物だからこそ、「ずれ」·「現代への郷愁」という感覚を生み出すという逆説である。ゆえに、作中人物の感じる「ずれ」は、記忆のゆらぎに起因すると言えるであろう。

村上春樹は記忆の問題を意識しながら、『1Q84』において重層的な近過去の世界を作り上げたと考えられる。主人公の一人である天吾は、一歳半の時の記忆に疑問を持ちけているし、青豆は、目前の世界が記忆の中の世界と奇妙にずれてリアリティーに欠けている、と感じるようになる。両者に共通して記忆のゆらぎが描かれているのである。ここで二つの例をあげてみよう。天吾は一歳半のときの「鮮明」な記忆にり返し悩まされている。

天吾の最初の記忆は一歳半のときのものだ。彼の母親はブラウスを脱ぎ、白いスリップの肩紐をはずし、父親ではない男に乳首を吸わせていた。ベビーベッドには一人の赤ん坊がいて、それはおそらく天吾だった。彼は自分を第三者として眺めている。あるいはそれは彼の双子の兄弟なのだろうか?いや、そうじゃない。そこにいるのはたぶん一歳半の天吾自身だ。彼には直感的にそれがわかる。赤ん坊は目を閉じ、小さな寝息をたてて眠っていた。それが天吾にとっての人生の最初の記忆だ。その十秒間ほどの情景が、鮮明に意識の壁に焼き付けられている。前もなく後ろもない。大きな洪水に見舞われた街の尖塔のように、その記忆はただひとつ孤立し、濁った水面に頭を突き出している。(中略)でもそんなことが果たして現実に起こり得るのだろうか?乳幼児の脳にそんな映像を保存しておくことが可能なのだろう。

あるいはそれはただのフェイクの記忆なのだろうか。すべては彼の意識が後日、なんらかの目的なり企みを持って、勝手に拵

え上げたものなのだろうか?記忆の捏造——その可能性についても天吾は十分に考慮した。そしておそらくそうではあるまいという論に達した。拵えものであるにしては記忆はあまりにも鮮明であり、深い説得力をもっている。そこにある光や、匂いや、鼓動。それらの実在感は圧倒的で、まがいものとは思えない。そしてまた、その情景が実際に存在したと仮定する方が、いろんなものごとの説明がうまくついた。論理的にも、そして感情的にも。

村上春樹『1Q84』BOOK1、新潮社、2009年5月、pp.3031。(下线は冯)

天吾はこのような原初の記忆——「母親の裏切り」を抱え、父親との血関係をも疑っている。この原初の記忆は、実際の1歳半の幼児にしては、信憑性のない記忆と言える。後の成長の過程で、何らかの原因で生まれた「フェイクの記忆」である可能性が高い。このような天吾の内省は、自らのアイデンティティの追求である。天吾の母親に関する唯一の記忆は、彼の苦しみの根源でもある。何らかの刺激で突然この記忆の映像がフラッシュバックしてくると、天吾は常に激しい「発作」に襲われる。その「発作」の症状は次のように描写される。

時間にして十秒ほどのその鮮明な映像は、前触れもなしにやってくる。予兆もなければ、猶予もない。ノックの音もない。電車に乗っているとき、黒板に数式を書いているとき、食事をしているとき、誰かと向き合って話をしていると(たとえば今回のように)、それは唐突に天吾を訪れる。無音の津波のように圧倒的に押し寄せてくる。気がついたとき、それはもう彼の目の前に立ちはだかり、手足はすっかり痺れている。時間の流れがいったん止まる。まわりの空気が希薄になり、うまく呼吸ができなくなる。まわりの人々や事物が、すべて自分とは無のものと化してしまう。その液体の壁は彼の全身を呑み込んでいく。(中略)そしてそのお馴染みの映像が何度も意識のスクリーンに映し出される。身体のいたるところから汗がふきだしてくる。シャツの脇の下が湿っていくのがわかる。全身がかく震え始める。鼓動が速く、大きくなる。

誰かと同席している場合であれば、天吾は立ちくらみのふりをする。それは事実、立ちくらみに似ている。時間さえ過すれば、すべては平常に復する。彼はポケットからハンカチを取り出し、口に当ててじっとしている。手をあげて、何でもない、心配することはないと相手にシグナルを送る。三十秒ほどでわることもあれば、一分以上くこともある。そのあいだ同じ映像が、ビデオテープにたとえればリピート状態で自動反復される。『1Q84』BOOK1、pp.3233。

以上の引用は、明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状であり、しかも、NHK受信料の集金のトラウマより深刻である。PTSDは精神·神科の診断基準の一つとして用いられている。『精神科診断計マニュアル』(第四版)では、衝撃的な出来事を体験した果、精神的なストレス障害が惹き起こされる原因を以下のように定義している。

トラウマ(外傷)的出来事にさらされ、以下の二つともが認められる。

(1) 実際の死、死の脅威、または重傷に関する出来事を、自分ないしは他人の身体に被るような出来事として、一度、または数度にわたり体験し、目撃し、または直面した。

(2) 強い恐怖、無力感、または战慄といった反応を示している。アメリカ精神医学会、高橋·大野·染矢『DSMⅣ精神疾患の分類と診断の手引き』医学書院、1995年、参照。

天吾にとっては、小児期における無視や心身への虐待がその主な発症要因だが、青年期における強い恐怖(リトル·ピープル)もその一つだと考えられる。それは「1Q84年」の世界を支配するリトル·ピープルがもたらした恐怖でもある。そして、天吾の「発作」により、一歳半のときの母親にまつわる記忆がスライドショーのように想起される。その記忆は、父ではない男が母親の乳首を吸っていて、それを幼児である天吾自身が目撃するというものである。しかし、天吾自身が意識しているように、もし母親に関する唯一の記忆が幻覚ではなく「事実」であったとするならば、そのことによって父親に対する思いは全く反転する。すなわち、天吾の実父は別の男である可能性が存在することになる。そして、天吾はまた、その記忆は捏造されたものではないかという疑念から、その理由に思いを巡らせる。

一歳半だかせいぜい二歳だかのときの記忆は、本当に自分が目にしたものなのだろうか、と天吾はよく考える。母親が下着姿で、父親ではない男に乳首を吸わせている情景。腕は男の身体にまわされている。一歳か二歳の幼児にそこまでのかい見分けがつくものだろうか。そんな光景がありありと部まで記忆できるものだろうか。それは後日、天吾が自分の身を護るために都合よく作り上げたフェイクの記忆ではないか。それはあり得るかもしれない。自分があの父親と称する人物の生物学上の子供ではないことを证明するために、別の男(可能性としての実の父親)の記忆を天吾の脳はどこかの時点で無意識のうちにこしらえたのだ。そして「父親と称する人物」を厳密な血液のサークルの中から排除しようとした。どこかに生きているはずの母親と、真の父親という仮説的存在を自分の中に設定することで、限定された息苦しい人生に新しいドアを取り付けようとしたわけだ。 『1Q84』BOOK1、pp.491492。(下线は冯)

天吾のこのような思索は、母親への記忆が偽りだという可能性を認めている。つまり、天吾の意識の底に潜んでいるのは、おそらく「この男の子供になりたくない」という願望であろう。さらに、人間の記忆は「」によって変容されていくことが語られる。アライダ·アスマンは「記忆が常に現在の諸々の要請に服従していることを強調する。今現在の情動、動機、意図は想起と忘却の番人だ。それらはどの思い出がある現在の時点で個人に近づくことができ、どの思い出が意のままにはならないかを決める」と指摘する。

アライダ·アスマン著、安川晴基『想起の空間——文化的記忆の形態と変遷』水声社、2007年、p.313。

ここから、天吾が自分の出生に抱く強い不信感は、何らかの動機や原因に基づくものだと推測される。彼は、幼い頃から、母親の不在のために母性的愛情を得られなかった。彼はまず母親に対して複雑な感情を抱いており、そして、母親の裏切りが真実であるならば、父親との血への疑いも当然のように生じてくる。あるいは、もう一つのプロセスも指摘できる。彼はそもそも父親と血関係がないことを望んでおり、母親への偽りの記忆を自らの拠り所として作り上げた可能性があることも否定できない。このような自我への問いかけ、自身のアイデンティティのゆらぎは、り返し作品中で強調されている。彼が感じるこのような「ずれ」、不信感の記忆は、日本人のアイデンティティと深くかかわる战争や植民地の記忆とも深いところで関連している可能性がある。前章で分析したように、父親によって語られた「満洲」体験には「空白」が含まれており、このような父の想起における回避·空白と、子の記忆における鮮烈なフラッシュバックとアイデンティティのゆらぎには、抑圧された記忆を介した複雑な関係があると思われる。村上春樹の持つ記忆に対する認識、ひいては「記忆」の問題に対する省察が、ここに表現されている。

天吾にとって、自分自身の存在と認識を支える記忆の地盤は、すでにゆらぎに瀕してしまっている。ついに天吾は、自分が失われた「猫の街」に入ったことに気づいた。このように、現実の親と子の関係性に生じた亀裂を、世代間におけるディスコミュニケーションの表象として配置し、記忆の断绝の意味を描き出す設定に、村上春樹によるドラマツルギーの特徴を見て取ることができるのである。

もう一人の主人公である青豆は、自分がそれまでとは微妙に違う世界にいるらしいと気づく。覚えのない社会的重大事件が数年前に発生しており、何より月が二つ見える。彼女は疑惑を抱き、彼女が生まれ育った古くて懐かしい世界——本来の1984年——に対して、この新しい世界の方を、密かに「1Q84」と名付ける。世界は奇妙な力でずらされてしまったのである。青豆は初登場時に、首都高速を走るタクシーの中で、ラジオから流れてくるヤナーチェック『シンフォニエッタ』を聞きながら、歴史に思いをめぐらせる。ところが、彼女は、後に、この時のことを振り返った折、きっかけとなった音楽の記忆に対する違和感から、この出来事に対して疑問を抱く。青豆の心理は以下のように描かれている。

そう、それはとても個人的な種類の揺さぶりだった。まるで長いあいだ眠っていた潜在記忆が、何かのきっかけで思いも寄らぬ時に呼び覚まされたような、そんな感じだった。肩を掴まれて揺すられているような感触がそこにはあった。とすれば、私はこれまでの人生のどこかの地点で、その音楽と深く関わりを持ったのかもしれない。その音楽が流れてきて、スイッチが自動的にオンになって、私の中にある何かの記忆がむくむくと覚醒したのかもしれない。ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』。しかしどれだけ記忆の底を探っても、青豆には心当たりはなかった。『1Q84』BOOK1、p.199。

以上は、天吾のそれと同に、記忆の安定性や信頼性を疑問視し、自問する描写である。青豆が歴史好きな原因は「すべての事実が基本的に特定の年号と場所にびついているところだった」からであり、すなわち、青豆にとっては、「ずれ」を感じる現在よりも、かつての歴史の方にリアリティーを感じるということである。前章ですでに指摘した青豆の「満鉄」の記忆は、目の前の二つの月とコントラストをなしている。

自分自身の記忆に疑念を抱く青豆は、目の前の世界にリアリティーを覚えない違和感の象徴として、今自分がいる世界を1Q84年と名付け、本当の1984年にろうとしている。言わば、記忆の非信頼性が、全编を貫く主題として設けられている。リアリティーへの追求の背後に存在する、安定したアイデンティティの追求の、重大な歴史事件に関わる記忆との連動が、『1Q84』には認められる。村上春樹はオウム真理教による地下鉄サリン事件に関心を寄せ、事件関係者に対するインタビューを、『アンダーグランド』(1997年)にまとめた。ここで改めて明らかにしたいのは、『1Q84』における不信感の記忆とは、重大な歴史事件のことを指す、ということである。「現在」は、作中の1984年という時点でみれば、「満蒙」開拓、アジア太平洋战争、全共闘などの歴史事件が含まれている。そして作者が置かれた時空間から見れば、テクストの背後に、90年代以後の地下鉄サリン事件、阪神·淡路大震災、2000年以後のアメリカ9·11事件も意識されているであろう。本論で注目する战争や植民地の記忆は、その不信感の記忆と大きくかかわると考えられる。

2. コミュニケーションの回復

前章ではすでに『1Q84』における天吾の父子関係について具体的に論じたが、本作には、ほかにも何組かの世代間の切断が設定されている。タマルは战争のために、幼い時に、両親と離ればなれになった。ふかえりは父親に強姦された。青豆と天吾は、二人とも若いときに自ら親から離れた。

天吾の場合は、父親の看病をし、本をみ聞かせたり、認知症にかかった父親に向けて内面を吐露したりして、父親とのコミュニケーションの回復を図ろうとしていたが、局、父親の死去に際して、片方からの「和解」しかできなかった。したがって、この作品もまた、コミュニケーション断绝と回復の物語としてめる。

『ねじまき鳥クロニクル』では、夫婦愛が重要な筋となるのに対して、本作では、青豆と天吾の二つの物語が交互に語られながら展開していく、という純愛物語がメインストーリーとなっている。冒頭で、女性主人公である青豆は、乗車したタクシーが首都高速で渋滞に巻き込まれている間、車内に流れているヤナーチェックの音楽に惹かれ、この曲名『シンフォニエッタ』を自然に思い出す。彼女自身も曲名がわかることを不思議に思う。実際にはこの曲は、二つの物語を連させる回路なのである。青豆と天吾は同い年で、十歳のとき互いに好意を感じ、一度だけ青豆は天吾の手を握ったことがあった。二人は小学校以来一度も会ったことがなかったが、お互い、心の中ではどうしても相手のことを忘れることが出来ない。『シンフォニエッタ』は、実は天吾が高校二年生のとき、楽团でよく演奏していた曲である。青豆は、天吾と心が時空を超えてつながるかのように、曲名が奇妙にも心に浮かぶのである。これは、二人の心理的距離が次第に近づいていくことを暗示している。そして彼女は、首都高速の三軒茶屋の辺りで非常階段を降りて、標的の居場所に駆けつける。目的は、妻へDVを加える夫への制裁だった。青豆はスポーツ·インストラクターの仕事をしているが、裏ではプロの暗殺者でもある。こうして主人公の二人は、リトル·ピープルにかかわる事件に巻き込まれていくとともに、互いにだんだん近づいていく。

青豆は深田保から、「天吾くんがこの世界に存在することをちゃんと覚えているし、君を求めてもいる。そして今に至るまで、君以外の女性を愛したことは一度もない」

『1Q84』BOOK2、pp.280。

と告げられた。青豆は、天吾が手掛けたヒット作『空気さなぎ』をんで、次のように考えを巡らせる。

(前略)あの渋滞した首都高速道路の非常階段を、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』と聞きながら降りた時点から、大小ふたつの月が空に浮かぶこの世界に、この謎に満ちた「1Q84年」に私は引きずり込まれてしまった。それは何を意味するのだろう?

(中略)

私はたぶん、ふかえりと天吾がこしらえた「反リトル·ピープル的モーメント」の通路に引き込まれてしまったのだ。(中略)

つまり私は天吾の立ち上げた物語の中にいることになる、と青豆は思う。

『1Q84』BOOK2、pp.421422。

このようにして、「1Q84」の世界=小説『空気さなぎ』の世界=「反リトル·ピープル的モーメント」の通路という等価関係が明らかになる。

天吾も青豆について思いを巡らせているときに、空にあるふたつの月に気づいた。このことによって、青豆との距離が縮まり、別々に進行していた二つの物語はしだいに合流していく。BOOK2の最後のところでは、天吾は南房の療養所にいる父親を見舞うが、父親が残したベッドのくぼみの上に、空気さなぎを初めて目撃した。そして、空気さなぎのなかに現れる青豆の分身をみた。「青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた。何があろうと、そこがどのような世界であろうと、彼女がたとえだれであろうと」

『1Q84』BOOK2、p.501。

という天吾の決意の描写でBOOK2はわる。ここにもまた、『ねじまき鳥クロニクル』における妻を取りす決意と類似した設定が見られる。

物語の末で、追迹を逃れた青豆は、ついに天吾と再び手をぶこととなる。二つの物語は融けあい、やがて青豆は天吾の子を身ごもる。彼女がリーダーを殺した夜、青豆は時空を超え、ふかえりの身体を通して天吾と交わる。実際の肉体的行為を伴わない、物理的隔绝を越えた受胎である。二人のあいだの「コミュニケーション」は事実上回復を遂げた。青豆と天吾二人とも、世界に感ずる「ずれ」や不信感に対して、純愛により勇気を与えられ、回復していく。

3. リトル·ピープルがもたらした恐怖

「1Q84」年の世界は恐怖に包まれている。月が二つ見える世界への不信感、「猫の町」に迷い込んだ喪失感、そして、それらの背後には、神秘的なリトル·ピープルが、最も恐るべき存在として描かれている。「リトル·ピープル」とは、いつか地下から這い出し、「1Q84」の世界を支配する小人たちで、作中作『空気さなぎ』にも登場する。リトル·ピープルは、死んだ盲目の山羊の口から出て60センチほどに膨らみ、共同で空気さなぎをつくる。空気さなぎの中からは人の分身が出てくる。人の実体は「マザ」、分身は「ドウタ」と呼ばれる。彼らは、「パシヴァ」という預言者を媒介にして現れ、自分たちの意図を「レシヴァ」という再話者を通して広め、世界の背後で権力を揮う。教团のリーダー(深田保)はリトル·ピープルに支配されており、自分の十七歳の娘ふかえりを強姦した。

このリトル·ピープルの原型としては、村上春樹の短编小説「TVピープル」(1989年)が想起される。身長1メートルくらいの「TVピープル」が不意に部屋に侵入してきて、日常生活を組織的に破壊して行くという物語であり、「小さい人」というモチーフが描かれた先行作品である。

『1Q84』のリトル·ピープルに関する解釈は、論者によって多種多である。大澤真幸は作品世界における究極的な存在がリトル·ピープルという神だと指摘し、「1Q84という世界の虚構性を支え、それに通用性·妥当性を与えているのが、この神」であるとしている。さらに、「『1Q84』は、全体として、リトル·ピープルと呼ばれている神の支配を拒否し、否定していることになる。それが、「1Q84からの脱出が意味するところである」

大澤真幸「並行世界の並行世界」同書、p.24。

とし、「リトル·ピープル」をキーワードとして作品全体の意味をみ解いている。

内田樹は、リトル·ピープルは父性を空間的に表象するものだと論じている。「父」は全能では

なく、実際に人を傷つけたり、生活を破壊したりする力しか持たないものという観点から、父親とは行動原理らしきものを知り、世界の構造を感得するような包括的な知ではないと指摘する。

内田樹、都甲幸治、沼野充義「鼎談村上春樹の"決断"」『文學界』(「特集「1Q84 BOOK3」徹底分析——10年代の入口で」)2010年7月、p.175。

また、「リトル·ピープル」という「邪悪なもの」は「小さな父たち」の「しけた悪意」の集合表象のようなものだともしている。

内田樹「父からの離脱の方位」『内田樹の研究室』、

http://blog.tatsuru.com/2009/06/06_1907.php(2014年9月25日確認)

リトル·ピープルとはなにを表象しているのか。作者は登場人物である戎野先生の口を通して、者に次のように語る。

リトル·ピープルは目に見えない存在だ。それが善きものか悪しきものか、実体があるのかないのか、それすら我々にはわからない。しかしそいつは着実に我々の足元を掘り壊していくようだ。BOOK1、p.422。

また、「さきがけ」のリーダーによれば、「リトル·ピープルが何ものかを正確に知るものは、おそらくどこにもいない」

BOOK2、p.241。

とされる。実体の知られていないリトル·ピープルは一層神秘化されている。村上自身は、リトル·ピープルについての認識を次のように語っている。

「1Q84」の世界というのは、言うなればリトル·ピープルが地下から這い出してくる世界なんです。リトル·ピープルが何かというのは、僕自身うまく説明できないんだけれど、原始的な世界、地下の世界からのメッセンジャーというふうに漠然と考えてもらえるとわかりやすいかもしれない。

前掲書、「村上春樹ロングインタビュー」、p.44。

「さきがけ」を分裂させ、そのリーダーを悪魔的、超越的な存在に変えていくのは、おそらくリトル·ピープルを地下の世界から導きだしたのは、あくまで我々自身なのです。同書、p.59。

「地下から這い出してくる世界」には、『ねじまき鳥クロニクル』の「井戸」、短编「かえるくん、東京を救う」(『新潮』1999年8月)のカエル、『アフターダーク』(講談社、2004年9月)の顔の見えない男、という村上春樹従来の隠喩の要素が見られる。つまり、リトル·ピープルもまた、人間の内面の奥底に至る無意識領域にかかわると言える。リトル·ピープルはカルト教团「さきがけ」を支配し、つまり人間に精神的な囲い込みをかけるものである。以上のように各論者の解、作者の言及、テクスト中の暗示を検证した上で、論者は、リトル·ピープルは「集合的無意識」の陰の具現化されたものだと考える。リトル·ピープルは「1Q84」の世界を支配し動かしている、善でもなく悪でもない、恐怖をもたらすものである。「さきがけ」のリーダーによる「我々は大昔から彼らと共に生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明のものであったころから」

BOOK2、p.408。

という見解からは、リトル·ピープルが相対化された悪とされていることがわかる。そして、リーダーは「陰」について、「人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき、影は地獄に降りて悪魔となる」

BOOK2、p.276。

と、心理学者カール·G·ユングの理論を援用して説明している。ユング心理学によれば、「集合的無意識」とは、個人の験による無意識よりも深く、同じ種族や民族、あるいは人類などに共通して伝えられている無意識で、普遍的無意識ともいう。そして、ユングは、個人的無意識のなかに見いだされる、我々自身のなかのそのような別の面を「かげ」(shadow)と呼んでいる。「かげ」の集团的な側面は、悪魔や魔女、およびその類の异形のものとしてあらわれる。

フリーダ·フォーダム著、吉元清彦·福士久夫『ユング心理学入門』国文社、1974年、pp.6870参照。

「集合的無意識」とは、心理構造において、個人の験を越えた先天的な領域である。そこでは、個々人の無意識のさらに深奥、個々人の所属集团、民族、ひいては人類全体にまでおよぶ広大な領域がある、と考えられている。そのような視点に立てば、リトル·ピープルは「集合的無意識」の隠喩である。そして、特殊な条件下で暴力が噴出するのは、集合的無意識における陰の部分が作動するからである。したがって、天吾と青豆によるリトル·ピープルの支配下の「1Q84」の世界から、元の1984年の世界にろうとする行為は、まさに人間の内面の奥底に潜む=「集合的無意識」の「陰」への挑战を意味するのである。

清水良典は、村上文学の一貫性のある姿勢を肯定的に評価する。われわれの内部の奥深くにの部分が存在しており、他者と自己に悪影響を与える。この恐ろしいの力に全力で挑战する村上文学の一貫するポジションを評価している。清水良典『村上春樹はくせになる』朝日新書、2006年。

「「レシヴァ」となるのは、『空気さなぎ』によって作られた「ドウタ」と呼ばれる「生きている影」あるいは分身である(本人は「マザ」と呼ばれる)。「ドウタ」はリトル·ピープルの通路となる。つまりリーダーが「交わった」相手は、ふかえりの「ドウタ」に他ならず、それによってリーダーはリトル·ピープルの代理人となることができた」と清水良典は指摘している。

『ねじまき鳥クロニクル』の绵谷ノボルが現代日本社会における「実在」の邪悪であったのに対して、リトル·ピープルは、抽象化された恐怖として描かれている。绵谷ノボルは他人の「記忆」を消そうとする政治的な悪の象徴だが、教团リーダーの深田保は绝対的な悪として捉えられるのではなく、リトル·ピープルに支配される相対的悪として描かれている。リトル·ピープルは、父権なき時代における象徴的な小さな父として捉えられる。天吾の父親にせよ、深田保にせよ、いずれもビッグ·ブラザーのような绝対的な権威を持つ父ではない。1984年という作中の現在では、ジョージ·オーウェルが寓話化した独裁者は現れない。天吾の父親の場合、東北地方の貧農の三男として生まれ、「満蒙開拓」を験し、战後NHKの集金の仕事に携わり、成績優秀で正規集金職員となったが、平凡な小さい人物として描かれている。深田保は、カルト教团「さきがけ」のリーダーであるが、ビッグ·ブラザーのように他人を绝対的な権威で操る存在ではなく、リトル·ピープルの代理人に過ぎない。戎野先生が明かしたように「この現実の世界にもうビッグ·プラザーの出てくる幕はないんだよ。そのかわりに、このリトル·ピープルなるものが登場してきた」

『1Q84』BOOK1、p.422。。

この意味で言えば、リトル·ピープルは、父権なき時代における悪の象徴的なものだとも言える。

4. 「魂のソフト·ランディング」はあり得るか

『1Q84』の作中では、『空気さなぎ』という物語が入れ子構造を成している。『空気さなぎ』が書かれた緯は次の通りである。天吾は、十七歳の少女ふかえりのことを、编集者小松の绍介で知る。父である深田保に強姦されたトラウマを抱えているふかえりは、み書き障害にかかっており、長い文を話せないが、記忆力は抜群である。天吾はふかえりのゴーストライターとなる。カルト教团「さきがけ」での十歳までの験を記した『空気さなぎ』を天吾に書き直させ、文学賞を獲得する、というのが小松の狙いである。『空気さなぎ』という小説の内容は、少女が、教团でリトル·ピープルなる小人たちと出会い、空気からさなぎをつくるが、中から自分の分身が現れたとたん、邪悪なものを感じて逃走して、保護者戎野先生のもとに身を寄せる、というものである。数年後、少女は、リトル·ピープルの謎に迫るべく异次元の通路に踏み込もうとするが、そこで『空気さなぎ』の物語はわる。戎野は、ふかえりの験談を記録させて教团の秘密を暴露させようとしていた。『空気さなぎ』は文学賞を受賞したが、作品が教团を支配するリトル·ピープルの存在を暴露したため、天吾とふかえりは「さきがけ」に狙われることになる。『空気さなぎ』という物語によってリトル·ピープルの支配に対抗しよう、という図式が明瞭である。ふかえりが『平家物語』を流暢に暗唱できることに、天吾は驚き、呆然となった。そして彼は、歴史や記忆に対する自らの認識をふかえりに語る。

「新しい歴史が作られると—古い歴史はすべて廃弃される」(中略)

「正しい歴史を奪うことは、人格の一部を奪うのと同じことなんだ。それは犯罪だ」(中略)

「僕らの記忆は、個人的な記忆と集合的な記忆を合わせて作り上げられている」と天吾は言った。「その二つは密接にみ合っている。そして歴史とは集合的記忆のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる」

BOOK1、pp.459460。

この天吾による意味深い話は、リトル·ピープルが人間の意識を操ることに対する批判であり、ひいては、『空気さなぎ』の意味を示唆している。リトル·ピープルに操られた深田保が娘のふかえりに対して行った性暴力と、绵谷ノボルが加クレタを「汚した」ことには類似性が見られる。その後、ふかえりにはみ書き障害が生じたのに対して、加クレタからは記忆が奪われた。換言すれば、ふかえりは記忆をしっかり持ってはいても、記忆を語る能力(権利)が奪われたのだ。天吾による『空気さなぎ』の書き直しは、ふかえりによる证言の整理を意味する。天吾がふかえりにチェーホフの旅行記『サハリン島』(1895年)をみ聞かせる行為は、ふかえりのトラウマを愈やす行為である。つまり天吾は「記忆を語る能力」の回復を手助ける役割を果たすのである。『空気さなぎ』の書き直しのメタファーとしての意味は、何らかの枠や制限を突破して、記忆の喪失に対抗することだと言える。天吾は、父親を見舞ったとき、認知症にかかった父親に対して、いろいろと内面の話を自ら明かした。つまり、仮説として、父子関係を物語の展開の筋に沿って推測すれば、もしもこの時、父親の意識がまだはっきりしていたとすれば、天吾は、父親の「満洲」体験を積極的に聴くことができた可能性が高いと思われる。

『1Q84』では、三つの並行する世界が構築されている。青豆は空に二つの月が見えることに気づき、自分がいるリアリティーの感じない世界を「1Q84」年と名付けている。実は、この「1Q84」年の世界は、天吾のいる「猫の町」、小説『空気さなぎ』と同一の世界と考えてもよい。1984年から1Q84への移行がまず設定される。物語の盤では、青豆と天吾は二人で、「1Q84」年の世界への入り口と思われる非常階段を探し、元の世界にろうとする。しかし、1984年の世界にはもうりようがないのだ。非常口の階段を上がって、目に映ったのは1984年とも「1Q84」年とも違う光景であった。もう一つの並行する世界の出現である。物語はここでを告げている。大澤真幸は「現実の世界の否定の否定を介して、到着点である現実世界(1984年)は、それ自体、もう一つの並行世界として現象している」

大澤真幸「並行世界の並行世界」『ユリイカ臨時増刊号』(「特集 村上春樹——『1Q84』へ至るまで、そしてそれから…」)2011年1月、p.28。

としている。この「到着点」としての新しい世界は、新たなスタート地点の発生でもあり、過去への決別としての意味も込められている。天吾にとってのこの物語は、父親の死去、そして战争の記忆の影を背負ったまま、「新世界」への越境を果たそうとした物語である。

日本において1984年は済が高度に成熟した時代にあり、1991年から始まるバブル崩壊は予兆すら窺えなかった。世界的な視点に立てば、80年代後半にはソ連の影響力が弱まるにともない、冷战への過程が進み、90年代以降は、ポスト冷战の時代が始まったといわれている。このように変容しつつある時代の特徴が、『1Q84』の底辺をなしている。村上は1984年を、現代日本において危機が潜在していた時期として扱い、本作の執筆時点である2010年前後にも同の、新たな社会的動向を察知し、作品化を企図した。村上は、自身の時代認識と創作の動機について、以下のように述べている。

21世紀に入って以後、社会的にもっとも大きな変化として感じられるのは「これまで強固であると一般に見なされてきた地盤の多くが、その信頼性を失ってしまった」ということだと思います。(中略)冷战のレジームが消滅したこと自体はもちろん歓迎すべきことなんだけど、それと引き替えに原理として半世紀以上のあいだそれなりに機能してきたものが——世界の枠をそれなりに支えてきた支柱が——取り払われてしまった。(中略)地盤の流動化と精神の強制的囲い込み。ひとことで言えば、我々は新しい混沌の中に足を踏み入れていったということになる。

そのような状況の中にあって、我々のなさなくてはならないことはおそらく、そのような混沌の中になんとかうまくランディング=着地することではないかと思います。原理主義やナショナリズム、ある種の極度な内向、そういうものを「ハード·ランディング」として定義するなら、それに対抗する(あるいはそれを中和しようとする)種々のムーブメントが「ソフト·ランディング」にあたると思うのです。そこにおける一つの問題は、「ハード·ランディング」が目に見えやすい、手に取りやすい、言語化しやすいであるものに比べて、「ソフト·ランディング」はどちらかといえば、内容がわかりにくく、目で見えにくいものであるという点にあります。言語化がむずかしく、輪郭も多くの場合漠然としている。多くの場合、「ハード·ランディングではないものが、つまりソフト·ランディングである」としか言いようがない。否定的なかたちでしか把握できない。だから人々はどうしても具体的な形を持つ「ハード·ランデンィグ」方向に心を引かれやすい、ということになるかもしれない。

村上春樹「魂のソフト·ランディングのために21世紀の「物語」の役割」『ユリイカ臨時増刊号』(「特集村上春樹——『1Q84』へ至るまで、そしてそれから…」)、2011年11月、p.10。

以上のインタビューで村上が示しているのは、原理主義やナショナリズムをハード·ランディングとし、それに対抗する(あるいは中和する)ムーブメントをソフト·ランディングとする構図である。このことに鉴みれば、村上が言及した「ソフト·ランディング」とは、一種の精神的再编成を意味すると言える。また、村上は、2008年のインタビューで、当時執筆中の作品についてつぎのように語っている。

「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」

「物語というのは、そういう『精神的な囲い込み』に対抗するものでなくてはいけない。目に見えることじゃないから難しいけど、いい物語は人の心を深く広くする。深く広い心というのは狭いところには入りたがらないものなんです」「村上春樹氏インタビュー僕にとっての〈世界文学〉そして〈世界〉」サイト:『毎日jp』、毎日新聞社、3/4ページ、2008年5月12月、http://web.archive.org/web/20090324084745/http://mainichi.jp/feature/sanko/archive/news/2009/20090216org00m04 0011000c3.html、2014年9月25日閲覧。

この「精神的な囲い込み」は、実際には、目には見えないが、リトル·ピープルに支配されるカルト教团「さきがけ」によって、具体化される。『1Q84』という作品自体も、原理主義やナショナリズムのような精神的な囲い込みに対抗する武器となることを、村上は望んでいるのであろう。

黒古一夫は、『1Q84』が「悪=システム」を撃つ「物語」になっていたのかどうかはともかく、『1Q84』という物語が具現している人間精神の真実が者に十分に届いていないのではないか、と指摘している。

黒古一夫『1Q84批判と現代作家論』アーツアンドクラフツ、2011年、p.51。

こういった「人間精神の真実」に関する精神的再编成はあり得るのか。

『1Q84』は男女二人の主人公による純愛小説としてもむことができる。青豆と天吾の純愛は、者に温もりを感じさせるであろう。天吾にとって一つの重要な精神的な整理は、父との「和解」というところにあり、その「和解」=コミュニケーションの回復は不可能だったと設定されている。BOOK3では、天吾は父親から与えられた何かを受け继いだかのように描かれているが、やはり、父親の遺品整理は法的義務に基づくものとして語られている。父親は天吾の知らない記忆を持って去った。すでに論じたように、子世代の天吾の「和解」にかかわる記忆の引き继ぎの問題が示唆されている。战後の子世代の問題について、精神医学者の野田正彰は、帰還兵士への聞き取りを行った後、次のように論じている。

战後世代は親の本当の姿を知っているのだろうか?太陽に当たった夜空の月の半面を月と見ているだけで、影の半面を知らないのではないか?半面だけの父母の考え方、生き方を受け入れ、あるいは反発することによって作られてきた战後世代の精神には、どこか虚偽があるのではないか?虚偽とまで言わなくとも、表面的な浅薄さが付きまとっていないか?私たちは豊かに感じ、深く考え、他者と交流できる自我を形成しているだろうか?

野田正彰『战争と罪責』岩波書店、1998年、p.302。

親の沈黙と否認の前で、战後世代の若者が充分に聞き取る能力はなかった。

同書、p.304。

天吾と父の間の問題は、まさに上記で野田氏が問うている战後日本の状況を反映していると言えよう。作者は、战後の世代間における战前の「記忆」の中断を強く意識しており、その忘却の危機を者に提起している。ところが、その記忆の「中断」というモチーフは、隠喩に隠喩を重ねた表現によって、謎解きのためのテクストのようになっている。言い換えれば、忘却の危機が強く意識される物語なのに、日本人個人のアイデンティティと深く関わるかつての战争や植民地の記忆は、微かに仄めす程度でしか語られていない。『ねじまき鳥クロニクル』における战争暴力の迫真の描写とは対照的に、『1Q84』というテクストが描いているのは、主として記忆の抑圧であった。作者は世代責任の重要性を認識しているのかもしれないが、『1Q84』では、世代関係における記忆の继承が切断したまま、主人公の「和解」と、求めあってきた二人が遂に出会

うというクライマックスによって者に充足感を与え、魂の「ソフト·ランディング」が達成されたかのようなエンディングを呈示している。しかし、他方、記忆の切断の問題は曖昧にされたままであり、そこに、者は『1Q84』という物語の力に物足りなさを感じるのではないだろうか。

『1Q84』においては、植民地や战争の記忆を遠景、1984年前後の時代を前景とすることにより、虚の現在としての「1Q84」年が描かれている。このような構図から、実と虚が交じり合う物語が展開されている。『1Q84』における近代日本植民地についての語りは一元的ではなく、多元な位相において複数の叙述を提示している。青豆とタマルにまつわる満鉄や樺太の「記忆」は弱者や他者の立場で語られるのに対して、天吾の父親による「満洲」体験は「加害」と「被害」両方の意識が欠如した不完全な「記忆」であり、前者と鮮明なコントラストを成している。このような複数の歴史叙述を導入することによって、男女の主人公が弱者側に立ち、強者とされるリトル·ピープルや教团のリーダーと対抗する図式が一層明瞭化される。

『1Q84』では、战争や植民地の歴史が回避されるのではなく、潜在的な「記忆」として封印されている。こうして植民地や战争の記忆(特に満州にかかわる記忆)は間接的に語られ、小説全体の地平で理解されている。その「記忆」は潜在化し、その世代交代により変容もしている。しかも同時に、天吾の父親のような親世代の退場に伴って、体験者が世代交代し、歴史の記忆の風化が進んでいる。『ねじまき鳥クロニクル』から対社会意識を強く示している村上は、このような現実の問題に一層気づいたのである。『1Q84』と対照的に、『ねじまき鳥クロニクル』においては植民地や战争の「記忆」が濃密に語られており、子世代が積極的に老世代からその記忆を引き继ごうとする物語が構築されている。『ねじまき鳥クロニクル』においては、老世代=間宮中尉や獣医は歴史の記忆を背負っている。子世代としての「僕」は妻を探す途中で井戸に降りたり、奇妙な人間と出会ったりして、「ノモンハン」や「新京の動物園」の記忆を獲得し、内面を整理していく。2000年代の村上は鋭敏に地下鉄サリン事件、阪神·淡路大震災、9·11テロ事件などを見つめ、物語の力で人間を「精神的な囲い込み」から解放することを求め、精神的再编成を遂げようとしている。世代責任と「記忆」の继承という問題が、『1Q84』に組み込まれた精神的再编成の重要な要素である。

『1Q84』では、战争や植民地の「記忆」への抑圧の物語が設定された。登場人物である天吾による「記忆」への抑圧である。親世代の「満洲」体験の語りには、「空白」が施されており、その記忆は植民地住民不在の記忆である。子世代の天吾は、屈折した父子関係が原因で、父親の験(「満洲」体験も含む)をも拒否しようとしていた。ここには作者による「記忆」の危機的現状への認識が窺える。この小説の主たるストーリーは、男女二人の主人公が愛のもとで未来を開くために、積極的に「悪」と战い、「1Q84」の世界から元の1984年にろうという純愛の物語である。だが、世代間の断绝をそのまま放置しつつ、愛の力のみでの行動で魂の「ソフト·ランディング」ができるのか。『1Q84』では、小説『空気さなぎ』の書き直しとは、〔战争の〕歴史を正しく記忆しようという行為のメタファーとも考えられる。「記忆」がアイデンティティには重要な意味を持つことは、り返し示唆された。しかし、局、隠喩に隠喩を重ねて、謎解きのなかで、「記忆」の問題は仄めかされる程度の存在となっているのは、物語の力を弱めているのではないだろうか。

村上春樹は2010年前後のコンテクスト下で、現在の日本、および世界の社会問題について包括的に認識し、さらにカルトや暴力の表現を通じて、日本·人類の未来に対する危機感や思索を示している。が、战後世代と体験世代の関係を語る場合、战争や植民地の「記忆」が忘却される危を意識しながらも、その危機をやり過ごした上で、男女のコミュニケーションの回復と魂の「ソフト·ランディング」の物語を生成した。世代責任の重要性に関して、アメリカの社会学者ジェフリー·K·オリックは次のような重要な指摘をしている。

私見によれば、問題が解決にむかいうる、歴史から教訓を学んでそこから何かを作り出すことができる唯一の集团は次の世代である。加害者と牺牲者の子どもたちがひとつの共同体を形成し、その中で罪と苦難のどちらもがカインのしるしのように子孫に伝えられることがないようにするために、われわれには何ができるだろうか。たとえどんな目的のためであっても、過去を抑圧することは、一時期の静穏を平和へつながるものとして誤解させ、問題を隠してしまうことになる。問題はすぐに表面化し、のちの世代が背負わされるのである。

ジェフリー·k·オリック「悔恨の価値——ドイツの教訓」関沢まゆみ编『战争記忆論忘却、変容そして继承』昭和堂、2010年、pp.7072。

ここで強調されているのは、子世代が战争の記忆に対して有する責任と可能性である。『1Q84』とは、記忆の危機を重要な問題として提起し、過去を、そして忘却の現場をも淡々と叙述しつつ、主人公たちが、リトル·ピープルに支配され、ずれてしまった「1Q84」から元の1984年の世界にろうとするプロセスを描いた物語である。そして物語の最後では、魂の「ソフト·ランディング」が成功したかのように描かれている。しかし、ここで者が『1Q84』を通して体験した「ソフト·ランディング」とは、「過去の抑圧」はそのままでいいのだという潜在的な望を満たしながら愈しを与えるランディングになっているのではないだろうか。

战後70年を迎えた世界は、アジア太平洋战争や植民地の体験者の高化と体験の風化が進行している。記忆の時代において、未験者としての村上春樹は、学ぶという姿勢で战争や植民地の記忆を多くの作品に組み込んだ。本論では『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』などの作品に焦点を絞って作品内の「記忆」と作品外の「記忆」——证言や他の歴史記述、文学作品を検证し、記忆の時代において村上文学における「記忆」の意味、文学としての働きを検討した。以下に各章をまとめる。

第一章では、村上春樹文学における中国に関わる战争や植民地の記忆の系譜を概観し、記忆研究の視点で『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』についてさらなる考察をする可能性を提示した。まず、上海と「満洲」という記忆の場所に関わる作品を取り上げた。上海と関連する作品として『風の歌を聴け』、「トニー滝谷」、「満洲」に関わる作品として『羊をめぐる冒険』、『ねじまき鳥クロニクル』、『1Q84』を挙げて、それぞれの作品に描かれた「記忆」を析出した。战時下の上海の表象は、主人公、或いはサブーキャラクター上の世代の話によって間接的に反映され、战争の記忆は、仄めかす程度の描写にとどまっている。『羊をめぐる冒険』では、羊博士の歴や活動は战後の北海道と昔の「満洲」を繋げている。『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』では、「満洲」に関わる記忆の分量が増えたのみならず、「記忆」への意識も強くなっている。そして、登場する中国人が战争の記忆を背負っている二つの作品に注目した。「中国行きのスロウーボート」について、作品のバージョンの違いを視野に入れながら、「中国」への意識の強化をみ取った。

『アフターダーク』については、物語の隠喩的な意味を重要視し、「中国行きのスロウ——ボート」から「中国」への意識に一貫性があるが、創作の時代の変遷とともに、2000年以後の日中関係への意識や期待が作品に反映されたと試論した。第一章での論述は、基本的に鳥瞰する視点で行ったが、特徴的なところを取り出して、部へも注目した。

最初の短编が「中国行きのスロウ·ボート」というタイトルで書き進められたのが象徴的であるが、中国は、彼にとって思い出すこと、書くこと、孤独と密接に関わっており、さらには、後に加筆した一文「死はなぜがしら僕に、中国人のことを思い出させる」「中国行きのスロウ·ボート」『村上春樹全作品1979—1989 ③ 短编集I』講談社、1990年、p.13。

が端的に表すように、奥深いところで死と関わっている。こうして、村上における書くことへの出発は、ひとり、「中国行きのスロウ·ボートを待つ」という宣言とともに開始され、「満洲」、ノモンハンの歴史へと及しつつ現代を描く作品が作り出されていった。第1章では、こうして、村上春樹文学における「想起の空間」の全体像の概略を提示し、「記忆」と関連する物語から、積極的に「記忆」を作動させる物語へと変容していくプロセスを解明した。

第二章では、「記忆」の表象分析に重点を置いた。植民地や战争に関する异なる態の「記忆」を取りあげ、『ねじまき鳥クロニクル』との比較を通して、村上春樹が再構築した「記忆」の特徴を明らかにした。具体的には歴史研究の成果を参照し、「ノモンハン事件」と「新京動植物園」の歴史の実像を確かめた上で、中国語「偽満」資料(证言や験談)、小説『静かなノモンハン』、児童文学『かわいそうなぞう』における関連する「記忆」を取りあげて、『ねじまき鳥クロニクル』での「ノモンハンの話」、「新京の動物園」との対比を通して、村上による「記忆」の実像と虚像を明確にした。同時にテクストでは語られていない中国側の「記忆」の存在を確認した。長春陸軍軍官学校の験者孫景大による证言を取りあげ、「満洲国」崩壊寸前に、士官学校生の「反逆」の歴史的背景を確認し、村上によるフィクションとしての4人の中国人の殺害は、歴史の実像の枠を外れていないことがわかった。また、小林英夫、田中克彦らによる実证的な研究を参照し、『ねじまき鳥クロニクル』の「記忆」の原形となる「ノモンハン事件」や「新京動植物園」は、現在の日本社会にとって、それぞれ特別な意味を有する。また、同時代の中国の作家遅子建の小説『伪满洲国』(日本語『満洲国物語』)を取り上げ、暴力の描写、歴史記述の違いを対比した。「ノンモンハン」の地を実際に旅した後、村上は「この五十五年前の小さな战争から、我々はそれほど遠ざかってはいないんじゃないか。僕らの抱えているある種のきつい密閉性はまたいつかその過剰な圧力を、どこかに向けて激しい勢いで噴き出すのではあるまいか」

村上春樹「ノモンハンの鉄の墓場」『辺境·近境』新潮文庫、新潮社、2000年、p.169。

と述べた。村上は真剣に取捨選択して「満洲」を選んだのだと言える。したがって、このテクストにおける「満洲」記忆は代替可能な歴史の一例に過ぎないものではなく、仮に「ノモンハン事件」と「新京動植物園」以外の歴史が組み込まれたとするなら、物語の伝達する意味も大きく変わってくると考えられる。

第三章では、「暴力性」、井戸のメタファーとしての意味、そしてコミュニケーションの回復の物語と「記忆」の関係で論を進めた。『ねじまき鳥クロニクル』からは、種々の暴力によるトラウマを克服するために、コミュニケーションの回復を図る物語をみ取ることができる。暴力の遍在性が強調され、作中の「歴史」はまさに、反復する暴力の年代記(クロニクル)として設定されている。皮剥ぎ、動物の射殺、そして4人の中国人が銃剣とバットで殺害された事件、これらのかつての战争という暴力と、現代社会における性暴力、政治的な暴力とを合わせて、暴力の编年史が構成されているのである。作中で、「僕」と間宮中尉はそれぞれ井戸の底に降り、かつてのモンゴル砂漠と「現在」の東京という二つの异なる空間で類似した体験をする。井イ戸ドに降りる行為は無意識領域に入る通路の隠喩であり、战時下のノモンハンと現代の東京は、井戸により繋がっているのである。作中の1980年代の平穏な社会の表層下に、暴力の衝動が潜んでおり、その暴力は绵谷ノボルという姿で具現化されている。绵谷ノボルによる性暴力は、他者の「記忆」を損なう行為の隠喩である。作者の自作言及では、アメリカ体験と地下鉄サリン事件は、現代社会における暴力を考え直す契機を与えてくれた。

「解題『ねじまき鳥クロニクル』2」『村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2』第3部、pp.421434。

村上は、暴力の根源を探るために、暗喩性に富む物語群を作りあげ、暴力という人類の負の遺産といかに対応するか、と問いかけている。本作でクローズアップされた「満洲記忆」は、このような暴力の表象なのである。

そして、個人の記忆、世代間にわたる個人の战争記忆が描写されたと同時に、集合的記忆やアイデンティティーについての強い意識が窺える。「世代」·「記忆」·「フィクション」という三つのキーワードは、『ねじまき鳥クロニクル』解のための補助としてきわめて有効である。『ねじまき鳥クロニクル』においては、暴力の遺産として植民地や战争の「記忆」が濃密に語られており、子世代が積極的に旧世代からその記忆を引き继ごうとするのがこの作品の重要なテーマの一つといえる。旧世代=間宮中尉や獣医は歴史の記忆を背負っており、子世代としての「僕」は妻を探す途中で井戸に降り、奇妙な体験を通してノモンハンや「新京の動物園」の記忆を獲得し深化させていく。さらに獣医——赤坂ナツメグ——シナモンのように三世代にわたる「新京の動物園」の記忆の继承、或いは記忆の正確な继承の不可能性が提示されている。コミュニケーション回復の物語の中で、「記忆」への眼差しが強く表れている。この小説で取り上げた、战争という大きな暴力の根源がどこにあるのかという問いかけは、後に『アンダーグラウンド』、『束された場所で』で继する。長编『1Q84』における天吾の父子関係にも、「記忆」に執着するモチーフが引き继がれている。

第四章では、第二章の研究方法と同、战争や植民地の記忆の表象面の分析に重点を置いた。次のようなことが明らかになってきた。『1Q84』では、一義的な歴史叙述ではなく、多視点による複数の歴史叙述により合的な「記忆」が者に伝えられていることがわかった。青豆は現代社会の被害を受けた女性の代弁者であり、タマルに関わる身の上の記忆は植民地で支配された側の記忆であるので、二人の共通点はどちらも被害者の立場に立ち、被害者の記忆を述べるようになっている。それに対して、天吾の父親による「満洲」体験は、加害意識も被害意識も両方とも欠落した自慢話のような記忆として描かれている。父親による「満洲」体験の空白を明らかにさせるために、他の日本人体験者による证言、中国側での聞き取り調査による证言や体験談、战後生まれの中国人作家遅子建の小説『満洲国物語』を取り上げて、対比して「記忆」の有を呈示した。また、「記忆」の表象分析のみではなく、この章では「猫の町」と父親の「満洲」の類似性を指摘した。こうして親世代の父親が子世代の天吾に不完全な「記忆」を伝えようとした物語が生成する。父親の「満洲」体験は、青豆とタマルに関わる「記忆」と明らかなコントラストを成している。ここでは、被害者=他者の記忆を作品世界に包摂しようとする作者のポジションが窺える。青豆の友達、女性警察官のあゆみは、次のように語る、「記忆は親から子へと受け继がれる。世界というのはね、青豆さん、一つの記忆とその反対側の記忆との果てしない闘いなんだよ」

『1Q84』BOOK1、p.525。

。このような記忆の闘いと继承がこの作品の世界を貫いていると論じた。

第五章では、つぎのようなことが判明した。『1Q84』では、战争や植民地の歴史は、回避されるのではなく、作品の構造全体の中で、潜在的な「記忆」として封印されつつ存在していることが叙述されている。こうして植民地や战争の記忆(特に「満州」にかかわる記忆)は間接的に語られ、小説全体の地平で理解されている。その「記忆」は潜在化し、その世代交代により変容もしている。しかも同時に、天吾の父親のような親世代の退場に伴って、体験者が世代交代し、歴史の記忆の風化が進んでいる。『ねじまき鳥クロニクル』から対社会意識を強く示している村上は、このような現実の問題に一層気づいたのである。『1Q84』と対照的に、『ねじまき鳥クロニクル』においては植民地や战争の「記忆」が濃密に語られており、子世代が積極的に老世代からその記忆を引き继ごうとする物語が構築されている。『ねじまき鳥クロニクル』においては、老世代=間宮中尉や獣医は歴史の記忆を背負っている。子世代としての「僕」は妻を探す途中で井戸に降りたり、奇妙な人間と出会ったりして、「ノモンハン」や「新京の動物園」の記忆を獲得し、内面を整理していく。2000年代の村上は鋭敏に地下鉄サリン事件、阪神·淡路大震災、9·11テロ事件などを見つめ、物語の力で人間を「精神的な囲い込み」から解放することを求め、精神的再编成を遂げようとしている。世代責任と「記忆」の继承という問題が、『1Q84』に組み込まれた精神的再编成の重要な要素である。

『1Q84』では、战争や植民地の「記忆」への抑圧の物語が設定された。登場人物である天吾による「記忆」への抑圧である。親世代の「満洲」体験の語りには、「空白」が施されており、その記忆は植民地住民不在の記忆である。子世代の天吾は、屈折した父子関係が原因で、父親の験(「満洲」体験も含む)をも拒否しようとしていた。ここには作者による「記忆」の危機的現状への認識が窺える。この小説の主たるストーリーは、男女二人の主人公が愛のもとで未来を開くために、積極的に「悪」と战い、「1Q84」の世界から元の1984年にろうという純愛の物語である。だが、世代間の断绝をそのまま放置しつつ、愛の力のみでの行動で魂の「ソフト·ランディング」は可能なのか、との疑問を論じた。『1Q84』における小説『空気さなぎ』の書き直しとは、歴史を正しく記忆しようという行為のメタファーとも考えられる。もちろん、ここで使う「歴史」の言葉の意味は、战争や植民地の歴史を包含する広い意味の歴史である。战後における「記忆」と日本人のアイデンティティーの葛藤の物語が、父子関係の物語で示唆された。しかし、局、隠喩に隠喩を重ねて、謎解きのなかで、「記忆」の問題は仄めかされる程度の存在となっており、物語の力を弱めている。

『1Q84』とは、記忆の危機を重要な問題として提起し、過去を、そして忘却の現場をも淡々と叙述しつつ、主人公たちが、リトル·ピープルに支配され、ずれてしまった「1Q84」から元の1984年の世界にろうとするプロセスを描いた物語である。そして物語の最後では、ようやく二人が出会い、子ども時代の記忆に導かれた恋愛の成就が者にカタルシスを与え、魂の「ソフト·ランディング」が成功したかのように描かれている。しかし、ここで者が『1Q84』を通して体験した「ソフト·ランディング」とは、「過去の抑圧」はそのままでいいのだという潜在的な望を満たしながら愈しを与えるランディングになっているのではないだろうかと指摘した。

以上のように各章を括したが、最後に、本書の論と成果をまとめる。本書は、村上文学研究、「満洲」記忆の歴史研究などの先行研究を踏まえて、「記忆研究」という視座による考察である。

① 村上文学における中国の記忆に関わる「想起の空間」の提示

村上文学が描く記忆にはしばしば「中国」が「人生における重要な「記号」」

洪金珠による村上インタビュー「村上春樹的霊魂裡住著中国印記」『中国時報』1998年8月5日。

のように現れてくる。初期の作品から、中国は、思い出すこと、書くことと密接に関わっており、さらには、「死はなぜがしら僕に、中国人のことを思い出させる」(「中国行きのスロウ·ボート」に後に加筆された一文)が端的に表すように、奥深いところで死と関わっており、战争·植民地·暴力と関連しながら描かれている。本書では、初期の作品から現在に至る中国に関わる「想起の空間」の全体像を提示し、詳しくテクスト分析をすることによって、中国という記号を含むテクストが、「記忆」と関連する物語から、積極的に「記忆」を作動させる物語へと変容していくプロセスを解明した。

村上春樹と中国に関する先行研究としては、藤井省三の研究(『村上春樹のなかの中国』(2007年)等)が重要であるが、本書では、特に、『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』について、「満洲」·ノモンハンに関する記忆という観点から詳なテクスト分析を行い、さらに、作品外における中国·日本の歴史資料·证言·文学との比較研究を行うことによって、村上文学の「記忆」のフィクション性の意味を解明した点が、独自な研究成果である。特に、『1Q84』に関しては、藤井がこの作品を、魯迅『阿Q正伝』の影響をみ取ることで一貫して高く評価している

藤井省三「青豆と「阿Q正伝」の亡霊たち——村上春樹『1Q84』の中の魯迅および中国の影」

ジェイ·ルービン编『1Q84スタディーズBOOK1』若草書房,2009、pp.2438。

のに対して、本書では、『1Q84』が战争·植民地の記忆继承の危機を描き出している点、サハリンに抑留された朝鮮人の両親から日本人帰国者にされたタマルのような表象を通して弱者の側に立つ姿勢を描いている点を積極的に評価しつつも、物語としては、主人公が、記忆を继承するとなく父と「和解」を遂げ、小学生の頃から求めあってきた男女が想起の力によってようやく再会するシーンがクライマックスとなっており、全体としてはラブストーリーの成就で者にカタルシスを与える点に、物語の力としての不足を認める。それは、「過去の抑圧」はそのままでいいのだという潜在的な望を満たしながら「愈し」を与えるランディングになっており、物語の力による「魂のソフト·ランディング」には不十分ではないかと指摘した。

② 村上文学における歴史叙述の虚と実の調査と考察——負の遺産を伝えることと記忆の危機を描き出すこと

村上作品における「満洲」·ノモンハンの叙述に関して、中国·日本の歴史資料·证言記録を調査することによって、現在の歴史研究において実像と言える枠組みの部分を確認し、さらに、小説の描写の原型·素材となり得た可能性のある人物像や出来事に関して、具体的に提示した。先行研究である川村湊「ハルハ河に架かる橋——現代史としての物語」もまた『ねじまき鳥クロニクル』で村上自身が挙げた参考文献等を調査し、歴史の実相との比較を行い、モデルとなり得たエピソードを提示している。川村がノモンハンのエピソードのモデルとして挙げたのは、30年以上前の日露战争時の美談「横川·沖二勇士の殉難」である。しかし本書が注目するのは、作品と同、ノモンハン战争直前の時期の実在の人物の記録である。村上自身が挙げている参考文献ア·ベ·ボロジェイキン『ノモンハン空战記——ソ連空将の回想』の者による「解説·ノモンハン战史」には、ハルハ河対岸の地図を作製していて逮捕された犬飼技手のエピソードが記されており、間宮中尉の話と類似している。また、中国資料『偽満軍事』には、ロシア語·中国語·モンゴル語を習得して諜報活動を行い、重要な役割を果たした寺田利光尉官の記録がある。寺田の死は病死であるが、軍隊でのポジションとしては、山本の原型的人物と考えられる。

また、本書は、「新京動植物園」については、川村が「未見」とした資料にも直接当たった上で、動物の「薬殺」、飼育動物の種類について確認した。こうして、歴史の実相を踏まえた部分と、意図的に創作された部分(ノモンハンにおける皮剥ぎ·「新京の動物園」における動物の射殺)を解析し、フィクション性について論じることが可能になった。

創作された迫真的な暴力のシーンは、「記忆」を想起させる刺激や契機を者に与え、战争の残虐性を負の遺産として感覚に訴えるメッセージとしての役割を担っている。

また、中国·日本の歴史資料、证言、文学を参照することによって、作品の中で、記忆の空白として描かれなかった部分(「満洲」における支配―被支配の実態)を明確にし、その意味を考察することが可能になった。本書では、村上作品における記忆の空白や断绝、歪曲は、作品構造の中で意識的に配置された表現であり、それは、体験者自身による記忆の抑圧と非体験者への继承の困難さ、即ち現代における記忆の危機を体現しているとして評価した。たとえば小森陽一は、『海辺のカフカ』における歴史認識を厳しく批判したが、本書においては、特に、『ねじまき鳥クロニクル』における記忆の继承とコミュニケーション回復の物語は、記忆を喚起する重要な媒体として評価し、『1Q84』における記忆の空白、断绝についても、战後日本における記忆の現状を映し出す叙述としての評価をしている。

このようにして、战争非体験者である村上による文学は、独特の記忆のアーカイヴとして重要な働きをしている。

③ 文学における記忆研究としての成果

本書は、村上作品内における記忆の諸相を、想起、忘却、無意志的記忆、トラウマ、抑圧、個人による「コミュニケーション的記忆」の继承と断绝等の観点から分析するのみならず、作品外の記忆の諸相——日本と中国における证言、歴史資料、小説、児童文学等——との比較·参照をし、文学における記忆研究としての成果を提示した。

④ 日本·中国で形成されてゆく「文化的記忆」の提示

本書は、これら村上文学内外の「想起の空間」を考察することによって、战争·植民地をめぐる日中の文化的記忆の形成·変遷の相を提示した。同時代に書かれた中国の小説『伪满洲国』(子建)も取り上げて、日本·中国にわたる村上作品内外の「想起の空間」を明らかにさせた。中国を描いた作品群の中では、特に、中国への留学に赴こうとする女子学生を描いた『アフターダーク』の最後で、和解への希望を仄めかせていた。

村上文学の中国における受容を調査した果、多くの一般者は、『ノルウェイの森』に見られる都会的なセンスを享受していること、また、研究者においては村上の歴史認識をおおむね肯定的に受け止めているが、文学における「記忆」の問題を論じるにはいたっていないことが明らかになった。その意味で、本書において明らかになった「記忆」の媒介としての村上文学は、重要な意味をもつ。このようにして、本書は、村上文学研究をインターフェースとした日中における「文化的記忆」の形成に、ポジティブな役割を果たすものと思われる。

今後の研究のためには、次の3点を課題として捉えている。

1. 研究の対象として、ほかにも、中国が直接題材とされてはいないが、「記忆」への強い意識がある作品に注目すべきである。『海辺のカフカ』(新潮社、2002年)、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋、2013年)は、战争の記忆や個人的記忆がそれぞれのテーマとなるので、村上文学における「想起の空間」の欠かせない一部である。記忆研究の視点による更なる考察が必要である。

2. 「満洲」の歴史の実相を的確に把握するために、引きき、「満蒙開拓」や「ノモンハン事件」に関する歴史研究の実证的な成果を参照し、日中両側における体験者の证言の資料収集をより充実させる。例えば、現時点で「新京動植物園」での動物の薬殺という「史実」は、佐藤昌の論述によるものだが、彼はその薬殺の根拠を明示していない。したがって、さらなる資料調査が要求される。

3. ポスト「战後」の日本で战争や植民地の記忆が語り继がれつつあり、村上文学は文化的記忆の変遷のプロセスの一端としか言えない。他の関連する日本文学への考察が今後の重要な課題となる。具体的に战後生まれの作家による作品を例としてあげれば、奥泉光の『浪漫的な行軍の記録』(講談社、2002年)、青来有一の短编集『爆心』(文藝春秋、2006年)は、いずれも文化的記忆への接近の良い題材と考えられる。同時に、中国の現代文学で战争や植民地の記忆がどう語られてきたか、特に未験世代が描いた「記忆」の子をも視野に入れて考察をけたい。

本書は、以上述べたように、村上春樹文学において中国に関わる記忆がどのように語られ、聞かれ、继承され、あるいは断绝され、変容していくか、作品外の日本·中国の記忆——歴史資料·证言·文学作品等をも比較·参照し、「想起の空間」の全体像を描き出し、村上作品の受容や研究が作り出していく「文化的記忆」の形成プロセスをも提示した。このようにして本書は、中国における記忆を日本語研究圏に伝え、他方、ここで行った記忆研究の成果を中国語研究圏に伝えることによって、村上文学という記忆の独特のアーカイヴの研究をインターフェースとして、日中の記忆が交流する「文化的記忆」の展開に積極的に参与することを企図している。日中にとって重要な意味を持つこの研究フィールドに、研究者として、今後さらなる貢献をしていきたいと考える。

参考文献

参考文献

一、一次資料

1. 全作品集

『村上春樹全作品1979—1989 ① 風の歌を聴け·1973年のピンボール』講談社、1993年。

『村上春樹全作品1979—1989 ② 羊をめぐる冒険』講談社、1990年。

『村上春樹全作品1979—1989 ③ 短编集Ⅰ』講談社、2010年。

『村上春樹全作品1979—1989 ④ 世界のわりとハードボイルド·ワンダーランド』1993年。

『村上春樹全作品1979—1989 ⑥ ノルウェイの森』講談社、1993年。

『村上春樹全作品1990—2000 ② 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人』講談社、2004年。

『村上春樹全作品1990—2000 ③ 短编集2 レキシントンの幽霊/神のこどもたちはみな踊る』講談社、2004年。

『村上春樹全作品1990—2000 ④ ねじまき鳥クロニクル1』講談社、2003年。

『村上春樹全作品1990—2000 ⑤ ねじまき鳥クロニクル2』講談社、2003年。

『村上春樹全作品1990—2000 ⑥ アンダーグランウド』講談社、2004年。

『村上春樹全作品1990—2000 ⑦ 束された場所で/村上春樹、河合隼雄に会いに行く』講談社、2004年。

2. 長编小説

『風の歌を聴け』『群像』(6月号)講談社、1979年。

『風の歌を聴け』講談社、1979年。

『風の歌を聴け』(文庫版)講談社、1985年。

『1973年のピンボール』講談社、1980年。

『羊をめぐる冒険』『群像』(8月号)講談社、1982年。

『羊をめぐる冒険』講談社、1982年。

『羊をめぐる冒険上·下』(文庫版)講談社、1985年。

『世界のわりとハードボイルド·ワンダーランド上·下』新潮社、1985年。

『ノルウェイの森』講談社、1987年。

『国境の南、太陽の西』講談社、1992年。

『ねじまき鳥クロニクル第1部·第2部』新潮社、1994年。

『ねじまき鳥クロニクル第3部』新潮社、1995年。

『アンダーグラウンド』講談社、1997年。

『海辺のカフカ上·下』新潮社、2002年。

『アフターダーク』講談社、2004年。

『1Q84 BOOK1』、『1Q84 BOOK2』新潮社、2009年。

『1Q84 BOOK3』新潮社、2010年。

『1Q84 BOOK13』(文庫版 全6巻)、新潮社、2012年。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文芸春秋、2013年。

3. 短编·エッセー·紀行文·インタビューなど

「中国行きのスロウーボート」『海』(四月特別号)、中央公論社、1980年4月。

『中国行きのスロウ·ボート』中央公論社、1983年。

『蛍·屋を焼く·その他の短编』新潮社、1984年。

「ねじまき鳥クロニクルと火曜日の女たち」『新潮』(1月号)新潮社、1986年。

「トニー滝谷」『文藝春秋』(6月号)文藝春秋、1990年。

「トニー滝谷」『レキシントンの幽霊』文藝春秋、1996年。

「トニー滝谷」『レキシントンの幽霊』(文春文庫)、文藝春秋、1999年。

『パン屋襲撃』文藝春秋、1986年。

『TVピープル』文藝春秋、1990年。

『村上朝日堂超短编小説夜のくもざる』平凡社、1995年。

『神の子どもたちはみな踊る』新潮社、2000年。

『羊男のクリスマス』講談社、1985年。

『映画をめぐる冒険』講談社、1985年。

『雨天炎天』新潮社、1990年。

『やがて悲しき日本語』講談社、1994年。

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』岩波書店、1996年。

『アンダーグランウド』講談社、1997年。

『辺境·近境』新潮社、1998年。

『束された場所で underground2』文藝春秋、1998年11月。

「壁と卵」『心をゆさぶる平和へのメッセージ——なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したのか』大胡田若葉、早川誓子编·翻協力、ゴマブックス、2009年5月。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです村上春樹インタビュー集1997—2009』文藝春秋、2010年9月。

『特集村上春樹ロングインタビュー考える人』(No.33)、新潮社、2010年。

『村上ソングズ村上春樹翻ライブラリー』中央公論社、2010年。

二、二次資料

1. 日本語文献

青木保「六〇年代に固執する村上春樹がなぜ八〇年代の若者に支持されるのだろう」『中央公論』12月号、1983年。

赤不二夫、北見けんいち等著『ボクの満州』亜紀書房、1995年。

浅利文子『村上春樹——物語の力』翰林書房、2013年。

アルブヴァクス、モーリス著、小関藤一郎『集合的記忆』行路社、1989年。

アレン、グレアム著、森田孟『文学·文化研究の新展開——「間テクスト性」』研究社、2002年。

石原千秋『謎とき村上春樹』光文社、2007年。

伊藤桂一『静かなノモンハン』講談社、1983年。

井上義夫『村上春樹と日本の「記忆」』新潮社、1999年。

今井清人编『村上春樹スタディーズ』若草書房、2005年。

内田樹『村上春樹にご用心』アルテスパブリッシング、2007年。

内田樹他「村上春樹の決断」『文学界』第64巻第7号、文藝春秋社、2010年7月号。

王海藍「中国における「村上春樹熱」とは何であったのか——2008年·3000人の中国人学生への調査から」『図書館情報メディア研究』第6巻第2号、2009年3月。

——『村上春樹と中国』アーツアンドクラフツ、2012年。

大英志『村上春樹論——サブカルチャーと倫理』若草書房、2006年。

御田重宝著『ノモンハン战人間の記録』徳間書店、徳間文庫、1989年。

加藤典洋『敗战後論』講談社、1997年。

——『可能性としての战後以後』岩波書店、1999年。

加藤典洋、内田樹他『村上春樹『1Q84』をどうむか』河出書房新社编集部、2009年。

加藤典洋、清水良典、沼野充義、藤井省三「村上春樹『1Q84』をみ解く」『文学界』第63巻第8号、文藝春秋社、2009年8月号。

風丸良彦『村上春樹短篇再』みすず書房、2007年。

倉英也『ノモンハン隠された「战争」』(NHKスペシャル·セレクション)日本放送出版協会、2001年。

河合隼雄『無意識の構造』中公新書、1977年。

河合隼雄、村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』岩波書店、1996年。

川村湊『村上春樹をどうむか』作品社、2006年。

川村湊、成田龍一他『战争文学をむ』朝日新聞出版、2008年。

川本三郎『村上春樹論集成』若草書房、2006年。

柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社、1988年。

——『战前の思考』講談社学術文庫、2001年。

清岡卓行「解説」萩原朔太郎『猫町他十七篇』岩波文庫、1995年。

木股知史编『村上春樹日本文学研究論文集成46』若草書房、1998年。

栗坪良樹、柘植光彦『村上春樹スタディーズ01—04』若草書房、1999年。

栗原裕一郎「村上春樹論の焉」『ユリイカ1月特別増刊号特集村上春樹』2010年12月。

黒古一夫『村上春樹「喪失」の物語から「転換」の物語へ』勉誠出版、2007年。

——『『1Q84』批判と現代作家論』アーツアンドクラフツ、2011年。

越沢明『満州国の首都計画 : 東京の現在と未来を問う』日本済評論社、1988年。

小畑清和「『1Q84』はエンタテイメントだ——村上春樹を通して文化論的に日本の近現代を考える」『現代の理論』(特集日本の近現代史を問う)vol.25、2010秋号、明石書店、p.143。

小林英夫『〈満州〉の歴史』講談社現代新書、2008年。

小林英夫、加藤聖文「ノモンハン事件の真実欺かれた「王道楽土」(1)」『世界』(683)岩波書店、2001年 1月。

小森陽一『村上春樹論——『海辺のカフカ』を精する』平凡社新書、2006年。

酒井英夫『村上春樹——分身との戯れ』翰林書房、2001年。

坂部晶子「慰霊というコメモレイションと当事者の語りのあいだ——開拓团の逃避行の記忆をめくって——」、『北東アジア研究』(第13号)、島根県立大学北東アジア地域研究センター、2007年3月。

——『「満洲」験の社会学 : 植民地の記忆のかたち』世界思想社、2008年。

佐藤勝雄「ノモンハン事件について」『軍事史学』25(1)軍事史学会、1989年6月。

島村輝「〈時〉との抗争」『国文学』1998年2月。

柴田勝二「遍在する「底」―『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』における暴力」『敍説 III : 文学批評』花書院、2007年。

——『中上健次と村上春樹——〈脱60年代〉的世界のゆくえ』東京外国語大学出版会、2009年。

柴田元幸、沼野充義、藤井省三、四方田犬彦编『世界は村上春樹をどうむか』文春文庫、2009年。

清水良典『村上春樹はくせになる』朝日新書、2006年。

下河辺美知子『歴史とトラウマ——記忆と忘却のメカニズム』作品社、2000年。

鈴木智之『村上春樹と物語の条件——『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ』青弓社、2009年。

鈴村和成『未だ/既に——村上春樹と「ハードボイルド·ワンダーランド」』洋泉社、1987年。

——『村上春樹クロニクル——1983—1995』彩流社、2004年。

——『村上春樹·战記——『1Q84』のジェネシス』彩流社、2009年。

——『紀行せよ、と村上春樹は言う』未来社、2014年。

鈴村和成、沼野充義 「「ねじまき鳥」は何処へ飛ぶか——村上春樹「ねじまき鳥クロニクル·第3部鳥刺し男编」をむ」『文學界』 第49巻10号、文芸春秋社、1995。

関沢まゆみ编『战争記忆論——忘却、変容そして继承』昭和堂、2010年。

徐忍宇『村上春樹——イニシエーションの物語』花書院、2013年。

孫继武「序文」『中国農民が证す「満洲開拓」の真相』小学館、2007年7月。

田建新「中国の村上春樹——“新鮮血液”」『國文學 : 解釈と教材の研究』(第40巻第4号1995年3月号)學燈社。

高橋哲哉『战後責任論』講談社、1999年。

高橋哲哉、徐京植、中西新太郎、三宅晶子『〈コンパッション〉(共感共苦)は可能か?——歴史認識と教科書問題を考える 』影書房、2002年。

高橋泰隆『昭和战前期の農村と満洲移民』吉川弘文館、1997年。

田中克彦『ノモンハン战争モンゴルと満洲国』岩波書店、2009年。

田中実「港のない貨物船——『中国行きのスロウ·ボート』——」『国文学解釈と鉴賞』12月号、1990年。

遅子建著、孫秀萍『満洲国物語』河出書房新社、2003年。

土屋由岐雄「かわいそうなぞう」『愛の学校二年生』日本児童文学者協会、岩崎書店、1962年。

寺山恭輔编『1930年代ソ連の対モンゴル政策 : 満州事変からノモンハンへ』(東北アジア研究センター叢書 第32号) 東北大学東北アジア研究センター、2009年。

都甲幸治「村上春樹の知られざる顔——外国語版インタビューをむ」『文學界』第61巻第7号、2007年。

中俣充志「新京動植物園の建設計画」『博物館研究』第13 巻第2号、日本博物館協会、1940年。

成田龍一『「战争験」の战後史——語られた体験/证言/記忆』岩波書店、2010年。

南誠「『中国残留日本人』の語られ方——記忆·表象するテレビドキュメンタリー」、山本有造编『満洲―記忆と歴史』京都大学学術出版会、2007年。

西田勝、孫继武、鄭敏编『中国農民が证す「満洲開拓」の実相』小学館、2007年ニューズウィーク日本版编集部编『日本人が知らない村上春樹』(ニューズウィーク日本版e新書No.8、Kindle版)、CCCメディアハウス、2013年。

野田正彰『战争と罪責』岩波書店、1998年。

ノラ、ピエール编、谷川稔『記忆の場——フランス国民意識の文化=社会史』岩波書店、2002年。

ハーマン、L.ジュディス著、中井久夫、小西聖子解説『心的外傷と回復』みすず書房、1999年。

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長谷川潮「ぞうもかわいそう——猛獣虐殺神話批判」『战争児童文学は真実をつたえてきたか』梨の木舎。

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ホール、C.S.著、西川好夫『フロイト心理学入門』清水弘文堂、1987年。

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三宅晶子「生の現在としての「ずれ」 村上春樹『蛍·屋を焼く·その他の短编』書評」『新潮』1984年9月号。

——编『战後ドイツの「想起の文化」 (日本独文学会研究叢書078)』日本独文学会、2011年。

山根由美恵「绝対的孤独の物語——村上春樹「トニー滝田」「氷男」におけるジェンダー意識——」『国文学攷』(205号)、2010年3月。

山本有造编『満洲 記忆と歴史』京都大学学術出版会、2007年。

吉岡栄一『文芸時評現状と本当は怖いその歴史』彩流社、2007年。

吉田春生『村上春樹、転換する』彩流社、1997年。

リクール、ポール著、久米博『記忆·歴史·忘却』(上)新曜社、2004年8月、(下)2005年5月。

ルビン、ジェイ著、畔柳和代『ハルキ·ムラカミと言葉の音楽』新潮社、2006年。

——编『1Q84スタディーズBOOK1』若草書房、2009年。

若生謙二「近代日本における動物園の発展過程に関する研究」『造園雑』46(1)、サカエグラビア印刷(株)企画室、1982年。

2. 中国语文献

(1) 簡体字文献

岑朗天.村上春树与后虚无年代[M].北京:新星出版社,2006.

迟子建.伪满洲国[M].北京:作家出版社,2000.

——伪满洲国[M].北京:人民文学出版社,2005.

川村凑,石原千秋,等.村上春树《1Q84》纵横谈[M].侯为,魏大海,译.济南:山东文艺出版社2012.

丛朝阳.苦难·坚忍·温情——论迟子建《伪满洲国》中的人性问题[J].语文学刊,2008(13).

村上春树.短篇小说两篇[J].水洛,黄凤英,译.世界文学,1988(6).

村上春树.挪威的森林[M].林少华,译.桂林:漓江出版社,1989.

——寻羊冒险记[M].桂林:漓江出版社,1997.

——奇鸟行状录[M].南京:译林出版社,1997.

——奇鸟行状录[M].上海:上海译文出版社,2002.

——奇鸟行状录[M].上海:上海译文出版社,2009.

村上春树.1Q84(BOOK13)[M].施小炜,译.海口:南海出版社,2011.

稻草人.遇见100%的村上春树[M].北京:当代世界出版社,2001.

符夏鹭.论村上春树的《奇鸟行状录》对日本暴力及侵华战争的反思[J].林区教学,2012(12).

黑古一夫.村上春树:转换中的迷失[M].秦刚,王海蓝,译.北京:中国广播电视出版社,2008.

黄颖.冲绳战的文学记忆——以目取真俊的小说为中心[J].福建师范大学学报(哲学社会科学版)),2012(4).

姜念东,伊文成,解学诗,等.伪满洲国史[M].大连:大连出版社,1991.

李建军.她属于辽阔而神奇的北方大地——我读迟子建[J].北京文学精彩阅读,2010(6).

李晓娜.村上春树与美国现代文学[D].长春:吉林大学,2013.

林少华.村上春树和他的作品[M].银川:宁夏人民出版社,2005.

——村上春树在中国——全球化和本土化进程中的村上春树[J].外国文学评论,2006(3).

刘传霞.女性视域中的历史——评迟子建的《伪满州国》[J].当代文坛.2001(6).

刘研.国内村上春树研究概况及走向[J].日本学论坛,2008(2).

——记忆的编年史:村上春树《奇鸟行状录》的叙事结构论[J].东疆学刊,2010(1).

刘妍.冲绳和平反战旗手的文学挑战——论目取真俊《与面影相携》[J].文艺争鸣,2016(3).

雷世文.相约挪威的森林——村上春树的世界[M].北京:华夏出版社,2005.

陆扬.大众文化理论[M].上海:复旦大学出版社,2008.

鲁宾.倾听村上春树——村上春树的艺术世界[M].冯涛,译.上海:上海译文出版社,2006.

内田树.当心村上春树[M].杨伟,蒋葳,译.重庆:重庆出版社,2009.

尚一鸥.村上春树小说艺术研究[D].长春:东北师范大学,2009.

——村上春树的伪满题材创作与历史诉求[J].国外社会科学,2010(4).

苏静,江江.嗨,村上春树[M].北京:朝华出版社,2005.

孙邦.伪满社会[M].长春:吉林人民出版社,1993.

——伪满军事[M].长春:吉林人民出版社,1993.

——经济掠夺[M].长春:吉林人民出版社,1993.

巫晓燕.历史叙事中的审美想象——评迟子建长篇小说《伪满洲国》[J].当代作家评论,2004(3).

吴义勤,贺彩虹,等.历史·人性·叙述新长篇讨论之一:《满洲国》[J].小说评论.2001(1).

小森阳一.村上春树论——精读《海边的卡夫卡》[M].秦刚,译.北京:新星出版社,2007.

谢端平.村上春树的轻率[N].文学报,2014(23).

杨炳菁.后现代语境中的村上春树[D].长春:吉林大学,2009.

杨永良.并非可逆的“世界尽头”:村上春树《世界尽头与冷酷仙境》的哲学解读[M].济南:山东友谊出版社,2012.

杨资.《伪满洲国》主题考[J].哈尔滨师范大学社会科学学报,2011(3).

越泽明.伪满洲国首都规划[M].欧硕,译.长春:长春市政协文史资料委员会,2007.

张敏生.时空匣子——村上春树小说时空艺术研究[D].上海:上海外国语大学,2011.

张昕宇.从“日本”的历史文脉中阅读村上春树[D].上海:上海外国语大学,2007.

(2) 繁体字文献

陳鋼.村上春樹《發條鳥年代記》中的“大日本帝國”寫作[D].新北:淡江大學,2013.

村上春樹.發條鳥年代記[M].賴明珠.台北:時報文化,1997.

——1Q84(BOOK1、BOOK2)[M].賴明珠.台北:時報文化,2009.

——1Q84(BOOK3)[M].賴明珠.台北:時報文化,2010.

李秋玫.傾听,村上春树的古典异境[J].PAR表演艺术杂志,2009(202).

劉向仁.村上春樹密碼[M].台北:普天出版,2006.

歐宗智.現代人的孤獨、失落與悲哀——村上春樹長篇小說析論[M].台北:致良出版社,2018.

吳雅芳.村上春樹文學中從“封閉世界”回歸到“現實世界”的嘗試——以《挪威的森林》、《國境之南,太陽之西》、《發條鳥年代記》為主——[D].台北:台灣大學日本文學研究所,2014.

深海遙,賴明珠,齊藤郁男.探訪村上春樹的世界東京篇1968—1997[M].台北:紅色文化出版,1998.

張明敏.村上春樹文學在台灣的翻譯與文化翻譯:1985—2008[D].新北:輔仁大學,2009.

——解讀臺灣讀書市場中的村上春樹與吉本芭娜娜[J].文史台灣學報.台灣文化研究所,2011(3).

3. 英語文献

Ambury, Brad. “The Multiple Worlds of Murakami Haruki.” Master of Arts Thesis. Vancouver: The University of British Columbia Vancouver, 1997.

Hantke, Steffen. “Postmodernism and Genre Fiction as Deferred Action: Haruki Murakami and the Noir Tradition.”Critique:Studies in Contemporary Fiction, Volume 49, Issue 1.,2007: 324.

Miller, Laura. “Haruki Murakami.” Salon. 17 Dec.1997. Web.14 Sep.,2014.

Murakami, Haruki. The WindUp Bird Chronicle. Trans. Rubin, Jay. New York: Vintage Books, 1997.

——A Wild Sheep Chase. Trans. Birnbaum, Alfred. New York: Vintage Books, 2002.

—— After Dark. Trans. Rubin, Jay. New York: Vintage Books, 2007.

—— 1Q84. Trans. Rubin, Jay. New York: Vintage Books, 2013.

Rubin, Jay. Haruki Murakami and the Music of Words. New York:Vintage Books, 2005.

Seats, Michael. Murakami Haruki: The Simulacrum in Contemporary Japanese Culture. Lanham: Lexington Books, 2006.

Strecher, Matthew.“Magical Realism and the Search for Identity in the Fiction of Murakami Haruki.”Journal of Japanese Studies, Vol. 25, No.2., 1999.

——Haruki Murakamis the WindUp Bird Chronicle: A Readers Guide. New York: Continuum International Publishing Group, 2002.

Iwamoto, Yoshio.“A Voice from Postmodern Japan: Haruki Murakami.” World Literature Today, Vol.67, No.2., 1993.

附1:村上春樹年表

附1:村上春樹年表

西暦年村上春樹の足迹

1949年01月12日京都府京都市伏見区に出生。まもなく兵庫県西宮市の夙川に転居

1955年6西宮市立香櫨園小学校入学

1961年12芦屋市立精道中学校入学

1964年15兵庫県立神戸高等学校入学

1968年19早稲田大学第一文学部に入学、演劇科へ進む。和敬塾に下宿

秋、西武新宿の都立家政のアパートに転居

1969年20春、三鷹のアパートに転居

1971年22陽子夫人と学生婚。10月 文京区千石の夫人の実家に転居

1974年25ジャズ喫茶「ビーター·キャット」を国分寺に開店(店名は以前飼っていた猫の名前から)

開店資金は500万円で、半分は夫婦でアルバイトをして貯め、残りは銀行からの融資であった。

1975年26早稲田大学第一文学部を卒業(7年間在学)

1977年281977年、「ピーター·キャット」を千駄ヶ谷に移す

1979年30

店の近くにあった神宮球場で野球を観战中に小説を書くことを思い立ち、店の営のかたわら毎晩キッチンテーブルで作品を書きけて『群像』に応募。

6月 「風の歌を聴け」で第22回群像新人文学賞を受賞し作家デビュー。

1980年31「1973年のピンボール」 (『群像』3月号)

1981年32

千葉県船橋市に転居

1月 「マイ·ロスト·シティー」を出版

7月 「ウォーク·ドント·ラン」を出版

续表

西暦年村上春樹の足迹

11月 「夢で会いましょう」を出版

12月 「風の歌を聴け」が映画化

1982年33

この頃からランニングを始める。

専業作家となることを決意し「ピーター·キャット」を人にる。

「羊をめぐる冒険」 (『群像』8月号)で第4回野間文芸新人奨励賞を受賞

1983年34

アテネ·マラソンのコースを独自に完走。

1月 「カンガルー日和」を出版

1月 「象工場のハッピーエンド」を出版

1月 「ぼくが電話をかけている場所」を出版

5月 「中国行きのスロウ·ボート」を出版

12月 ホノルル·マラソン参加。

1984年35

神奈川県藤沢市に転居

1月 「波の、波の話」を出版

5月 「村上朝日堂」を出版

5月 「·屋を焼く·その他の短编」を出版

1985年36

渋谷区千駄ヶ谷に転居

「世界のわりとハードボイルド—ワンダーランド」で第21回谷崎潤一郎賞を受賞

9月 「西風号の遭難」を出版

10月 「回転木馬のデッド·ヒート」を出版

11月 「羊男のクリスマス」を出版

11月 「ジョン·アーヴィングの世界」を出版

1986年37

2月 神奈川県大磯町に転居

3月 明日香村ひなまつり古代マラソン参加

4月「パン屋再襲撃」を出版

5月 ジョン·アーヴィング(著)「熊を放つ」を出版

续表

西暦年村上春樹の足迹

10月 ローマ、ギリシャ等ヨーロッパへ長い旅に出発

6月 「村上朝日堂の逆襲」を出版

11月「ランゲルハンス島の午後」を出版

12月 「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を出版

1987年38

1月 「THE SCRAP懐かしの1980年代」を出版

3月 「日出る国の工場」を出版

6月 旅から一時帰国

7月 ポール·セロー(著)「ワールズ·エンド(世界の果て)」を出版

9月 「ノルウェイの森」を出版。上下430万部を売る大ベストセラーとなる

10月 国際アテネ平和マラソン参加

12月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)『急行「北極号」』を出版

1988年39

1月 レイモンド·カーヴァー(著)「夜になると鮭は…」を出版

3月 トルーマン カポーティ(著)「おじいさんの思い出」を出版

3月 スコット·フィッツジェラルド(著)「ザ·スコット·フィッツジェラルド·ブック」を出版

9月「and Other Stories」を出版

10月 「ダンス·ダンス·ダンス」を出版

1989年40

4月 レイモンド·カーヴァー(著)「ささやかだけれど、役にたつこと」を出版

5月 「村上朝日堂はいほー!」を出版

8月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「名前のない人」を出版

10月ティム オブライエン (著)「ニュークリア·エイジ」を出版

12月 トルーマン カポーティ(著)「あるクリスマス」を出版

1990年41

1月 「TVピープル」を出版

2月 青梅マラソン参加

3月 小田原ハーフマラソン参加

4月 小笠、掛川フルマラソン参加

5月 レイモンド·カーヴァー(著)「大聖堂」を出版

6月「遠い太鼓」を出版

7月「PAPARAZZI」を出版

8月「雨天炎天」を出版

8月 レイモンド·カーヴァー(著)「愛について語るときに我々の語ること」を出版

10月 ティム·オブライエン(著)「本当の战争の話をしよう」を出版

11月 トルーマン カポーティ(著)「クリスマスの思い出」を出版

11月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「ハリス·バーディックの謎」を出版

12月 富士小山20キロレース参加

1991年42

プリンストン大学に客員研究員として招聘される

1月 館山、若潮フルマラソン参加

2月 レイモンド·カーヴァー(著)「頼むから静かにしてくれ」を出版

4月 ボストン·マラソンに参加

12月 マーク·ヘルプリン(著)「白鳥湖」を出版

1992年43

プリンストン大学客員教授に着任(93年8月まで)

1月 フロストバイドロードレース横田参加

3月 モンマス·ハーフマラソン参加

4月 ボストン·マラソン参加

9月 レイモンド·カーヴァー(著)「ファイアズ(炎)」を出版

10月 「国境の南、太陽の西」を出版

1993年44

3月 アーシュラ·K . ル·グウィン(著)「空飛び猫」を出版

6月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「魔法のホウキ」を出版

7月 タフツ大学へ移籍(95年5月まで)

12月 アーシュラ·K . ル·グウィン(著)「帰ってきた空飛び猫」

12月 富士小山20キロレース参加

1994年45

1月 「SUDDEN FICTION」を出版

2月 「やがて哀しき外国語」を出版

3月 ニューベッドフォード·ハーフマラソン参加

3月 レイモンド·カーヴァー(著)「象/滝への新しい小径」を出版

4月 ボストン·マラソン参加

4月 「ねじまき鳥クロニクル 第1部、第2部」を出版

9月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「まさ夢いちじく」を出版

10月 レイモンド·カーヴァー(著)「カーヴァー·カントリー」

11月 「使いみちのない風景」を出版

12月 レイモンド·カーヴァー(著)「Carvers Dozen」を出版

1995年46

3月 ニューベッドフォード·ハーフマラソン参加

3月 一時帰国、3月20日の地下鉄サリン事件のニュースに遭遇

4月 ボストン·マラソン参加

6月「夜のくもざる」を出版

8月 「ねじまき鳥クロニクル 第3部」を出版。 売文学賞受賞。

11月 国立ロードレース10キロレース参加

12月 富士小山20キロレース参加

1996年47

1月 館山、若潮フルマラソン参加。

1月 マイケル ギルモア(著)「さよならハードランド」を出版

4月 小笠·掛川フルマラソン参加。

4月 スコット·フィッツジェラルド(著)「バビロンに帰る」を出版

4月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「ペンの見た夢」を出版

5月 「うずまき猫のみつけかた」を出版

6月 サロマ湖100キロウルトラマラソン参加

10月 マイケル ギルモア(著)「心臓を貫かれて」を出版

11月 「レキシントンの幽霊」を出版

12月 クリスマス·マラソン参加

12月 「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を出版

1997年48

1月 館山、若潮フルマラソン参加

3月 「アンダーグラウンド」を出版

4月 ホノルル15キロレース、ボストン·マラソン参加。

5月 一人で、西宮から神戸まで歩く

6月 「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」を出版

6月 アーシュラ·K . ル·グウィン(著)「素晴らしいアレキサンダーと、空飛び猫たち」を出版

9月 村上国際トライアスロン大会参加

9月 レイモンド·カーヴァー(著)「水と水とが出会うところ/ウルトラマリン」を出版

10月 「若い者のための短编小説案内」を出版

12月 「ポートレイト·イン·ジャズ」を出版

1998年49

4月 「辺境·近境」を出版

6月 盲人マラソンホノルル15キロレースに伴走者として参加

6月 「ふわふわ」を出版

7月 「村上朝日堂 夢のサーフシティー」を出版

10月 こどもの国駅伝参加

10月 マーク·ストランド(著)「犬の人生」を出版

11月 ニューヨーク·シティー·マラソン参加

11月 「束された場所で」を出版。第2回桑原武夫学芸賞を受賞。

1999年50

4月 「スプートニクの恋人」を出版

5月 グレイス·ペイリー(著)「最後の瞬間のすごく大きな変化」を出版

12月 「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」を出版

2000年51

1月 大磯内に転居

1月 館山市若潮フルマラソン参加

2月 「神の子どもたちはみな踊る」を出版

7月 マイケル ギルモア(著)「ジャズ·アネクドーツ」を出版

8月 「またたび浴びたタマ」を出版

8月 「そうだ、村上さんに聞いてみよう」を出版

9月 シドニーオリンピック取材

9月 レイモンド·カーヴァー(著)「必要になったら電話をかけて」

10月 子供の国駅伝参加

10月 ニューヨーク·シティー·マラソン参加

10月 「翻夜話」を出版

2001年52

1月 「シドニー!」を出版

3月 「スメルジャコフ対織田信長家臣团」を出版

4月 「ポートレイト·イン·ジャズ 2」を出版

6月「村上ラヂオ」を出版

9月 アーシュラ·K . ル·グウィン(著)「空を駆けるジェーン―空飛び猫物語」を出版

10月 子供の国駅伝参加

11月 DVD「100%の女の子 / パン屋襲撃」を発売

2002年53

5月 トルーマン カポーティ(著)「誕生日の子どもたち」

7月 レイモンド·カーヴァー(著)「英雄を謳うまい」を出版

9月 「海辺のカフカ」を出版

12月 ホノルルマラソンに参加

2003年54

4月 J.D.サリンジャー(著)「キャッチャー·イン·ザ·ライ」を出版

6月 「少年カフカ」を出版

7月 「翻夜話2 サリンジャー战記」を出版

11月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「いまいましい石」を出版

2004年55

3月 ティム·オブライエン(著)「世界のすべての七月」を出版

9月 「アフターダーク」を出版

9月 クリス·ヴァン·オールズバーグ(著)「2ひきのいけないアリ」を出版

11月 「東京するめクラブ 地球のはぐれ方」を出版

2005年56

2月 「ふしぎな図書館」を出版

3月 「象の消滅」 短篇選集 1980—1991」を出版

6月 グレイス·ペイリー(著)「人生のちょっとした煩い」を出版

9月「東京奇譚集」を出版

9月 DVD「トニー滝谷」を発売

11月 「意味がなければスイングはない」を出版

2006年57

3月 「これだけは、村上さんに言っておこう」を出版

9月 フランク·オコナー国際短编賞を受賞

10月 フランツ·カフカ賞を受賞

11月 スコット·フィッツジェラルド(著)「グレート·ギャツビー」を出版

11月 「ひとつ、村上さんでやってみるか」を発売

12月 「はじめての文学 村上春樹」を出版

2007年58

リエージュ大学より名誉博士号を受ける

1月 2006年度朝日賞を受賞

3月 レイモンド·チャンドラー(著)「ロング·グッドバイ」

9月 第1回早稲田大学坪内逍遙大賞受賞

10月 「走ることについて語るときに僕の語ること」を出版

12月 「村上ソングズ」を出版

2008年59

2月 トルーマン·カポーティ(著)「ティファニーで朝食を」を出版

2月 ジム·フシーリ(著)「ペット·サウンズ」

6月 プリンストン大学より名誉博士号(文学)を受ける。

11月 「村上春樹ハイブ·リット」を出版

2009年60

2月 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞を受賞

5月 「1Q84 BOOK 1、BOOK 2」を出版

2010年61

4月 「1Q84 BOOK 1、BOOK 3」を出版

9月 「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を出版

9月 シェル·シルヴァスタイン(著)「おおきな木」

12月 映画「ノルウェイの森」公開

12月 レイモンド·チャンドラー(著)「リトル·シスター」

2011年626月カタルーニャ国際賞を受賞。授賞式のスピーチでは日本の原子力政策を批判

2012年63

1月箱根駅伝のTVコマーシャルのナレーションを執筆

9月『朝日新聞』にエッセイ「魂の行き来する道筋」を寄稿

2013年64

4月『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文芸春秋

12月~2014年3月『女のいない男たち』は文芸春秋に連載

2015年66

1月期間限定サイト「村上さんのところ」を開設、者とやりとり

8月『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』の新英語版がHarvill Seckerから出版され、者テッド·グーセン

2017年67『騎士団長殺し』新潮社

附2:战争文学年表(小说)

附2:战争文学年表(小)

1945

1月

上田広「基地の花」(「文芸春秋」)

台湾督府情報課『決战台湾小説集 坤之巻』(台湾出版文化)

武田麟太郎「弥生さん」(「文芸」)

久生十蘭「弔辞」(「大洋」)

舟橋聖一「紅」(「文芸春秋」)

2月

上林暁「汽車の中」(「大逓信」)」

中野実「八隊は征く」(「文芸春秋」)

3月

小田夫「祖国の山河」(「征旗」)

佐藤春夫「バリ島」(「文芸」)

4月

木村毅『大本営』(新潮社)

久生十蘭「祖父っちゃん」(「北海道新聞」30日、~8月22日)

火野葦平「島」(「文芸」)

5月

井伏鱒二「里村君の」(「文芸」5·6月合併号)

武田麟太郎「子惚気」(「文芸」5·6月合併号)

6月

獅子文六「女将覚書」(「週刊朝日」17日~9月9日)

7月

丰田三郎『孔雀』(新太陽社)

半田義之『珊瑚』(新太陽社)

9月

高見順「貝割葉」(「新女苑」)

10月

石川達三「一家創立」(「新生」)|

高見順「陰膳」(「光」)

太宰治「バンドラ の匣」(「河北新報」22日、~46年1月7日)

11月

牛島春子「過去」(「文芸」)

上林暁『夏暦』(筑摩書房)

佐多稲子「姉妹」(「日の出」)

佐藤春夫「すらばや」(「文芸」)

12月

田作之助「表彰」(「文芸春秋」)

1946

1月

阿部知二「衣」(「新潮」)

井伏鱒二「病人の枕もと」(「オール物」)

尾崎一雄「ある復員兵の話」(「早稲田文学」1·2月合併号)

佐々木基一「停れる時の合間に」(「近代文学」、~11·12月合併号)

里見弴「十年」(「東京新聞」27日、~7月10日)

志賀直哉「色の月」(「世界」)

島木健作「遺稿」(「新文学」、「战災見舞」と改題)

高見順「前夜」(「新風」)

太宰治「親という二字」(「新風」28日)

太宰治「庭」(「新小説」)

永井荷風「踊子」(「展望」)

永井荷風「勲章」(「新生」)

林芙美子「なぐさめ」(「サンデー毎日」新春特別号)

林芙美子「吹雪」(「人間」)

正宗白鳥「変る世の中」(「潮流」)

正宗白鳥「战災者の悲み」(「新生」)

2月

石坂洋次郎「ひるじい風景」(「改造」)

内田百閒「塵」(「新潮」)

川端康成「感傷の塔」(「世界文化」)

川端康成「再会」(「世界」)

太宰治「嘘」(「新潮」)

太宰治「貨幣」(「婦人朝日」)

中里恒子「まりあんぬ物語」(「人間」、「墓地の春」と改題)

林芙美子「雨」(「新潮」)

林芙美子「浮き沈み」(「オール物」)

平林たい子「一人行く」(「文芸春秋」)

3月

阿部知二「陸軍宿舎」(「改造」)

石川淳「黄金伝説」(「中央公論」)

石川淳「明月珠」(「三田文学」)

伊藤整「還らぬ人」(「新女苑」)

田作之助「訪問客」(「時局情報」)

川崎長太郎「しらみ懺悔」(「新生」)

佐藤春夫「疎開先生大いに笑う事」(「展望」)

太宰治「やんぬる哉」(「月刊売」)

田中英光「战場で聖歌を聞いた」(「新小説」3·4月合併号)

徳永直「妻よねむれ」(「新日本文学」、~48年10月)

平林たい子「盲中国兵」(「言論」)

宮本百合子「播州平野」(「新日本文学」、「潮流」47年1月、「潮流」掲載時の表題は「国道」)

4月

井伏鱒二「二つの話」(「展望」)

小川未明「兄の声」(「子供の広場」)

上林暁「四国路」(「文芸春秋」4·5月合併号)

上林暁「嶺光書房」(「新世代」)

芹沢光治良「去来」(「新潮」)

芹沢光治良「茶室住」(「人間」)

瀧井孝作「大火の夜」(「人間」)

太宰治「十五年間」(「文化展望」)

丰島与志雄「沼のほとり:近代説話」(「思索」)

野上弥生子「砂糖」(「世界」)

野間宏「暗い」(「黄蜂」、~10月)

横溝正史「本陣殺人事件」(「宝石」、~12月)

横光利一「古战場」(「文芸春秋」4·5月合併号)

5月

石川淳「寒露」(「新潮」)

川崎長太郎「徴用行」(「文芸」)

菊池寛「双愛記」(「婦人文庫」)

耕治人「監房」(「人間」)

瀧井孝作「战場風景」(「世界」)

太宰治「未帰還の友に」(「潮流」)

林芙美子「放牧」(「文芸春秋」別冊)

久生十蘭「幸福物語」(「新青年」)

6月

一野菊「初夜襲」(「暁鐘」6·7月合併号)

石川淳「窮菴売卜」(「太平」)

鹿地亘「平和村記」(「中央公論」、~9月)

川端康成「過去」(「文芸春秋」)

菊池寛「瓶中の処女」(「女性」、~8月)

北川晃二「逃亡」(「午前」)

坂口安吾「白痴」(「新潮」)

佐藤春夫「八日霜」(「新小説」、「八日霜の記」と改題)

獅子文六「広い天」(「少年クラブ」、~47年10月)

柴田錬三郎「仮病記」(「三田文学」)

太宰治「苦悩の年鉴」(「新文芸」)

谷崎潤一郎『雪』1(中央公論社、~48年12月)

長与善郎「銀河に対す」(「世界」)

林芙美子「うき草」(「婦人公論」)

林芙美子「ボルネオ ダイヤ」(「改造」)

宮内寒弥「妻への手紙」(「早稲田文学」)

吉屋信子「花鳥」(「婦人文庫」、~47年6月)

7月

阿部知二「死の花」(「世界」)

野菊「敗北」(「青年文化」)

石川淳「無尽灯」(「文芸春秋」)

井伏鱒二「追剝の話」(「素直」)

川端康成「生命の樹」(「婦人文庫」)

川端康成「過去」(「文芸春秋」)

永井荷風「問わずがたり」(「展望」)

林芙美子「作家の手帳」(「紺青」、~12月)

平林たい子「桜の下にて」(「新女苑」)

宮内寒弥「憂なる水兵」(「芸術」)

8月

大日向葵「マッコイ病院」(「新潮」)

小川未明「雲と子守唄」(「新児童文化」)

佐藤春夫「電柱掘りの話」(「芸林閒歩」)

谷崎潤一郎「磯田多佳女のこと」(「新生」、~9月)

林芙美子『旅情の海』(新潮社)

9月

阿川弘之「年年歳歳」(「世界」)

阿川弘之「霊三題」(「新潮」)

梅崎春生「桜島」(「素直」)

上林暁「娘に送る手紙」(「素直」、~48年5月)

芹沢光治良『戯れに恋はすまじ』(丹頂書房)

丹羽文雄『憎悪』(大野書店)

宮本百合子「風知草」(「文芸春秋」、~11月)

八木義徳「帰来数日」(「早稲田文学」)

10月

青山光二「よりよき事の為に」(「新小説」)

石川淳「焼跡のイエス」(「新潮」)

川崎長太郎「父島」(「人間」)

北原武夫「嘔気」(「新生」増刊号)

坂口安吾「战争と一人の女」(「新生」増刊号)

太宰治「雀」(「思潮」)

田村泰次郎「渴く日日」(「宴」)

林芙美子「美しい犬」(「こども朝 日」15日)

平林たい子「こういう女」(「展望」)

武者小路実篤「生き残った者」(「小説と物」)

11月

宇野浩二「思い草」(「人間」、~12月)

上林暁『閉関記』(桃源社)

坂口安吾「战争と一人の女」(「サロン」)

太宰治「たずねびと」(「東北文学」)

太宰治『薄明』(新元社)

野上弥生子「狐」(「改造」)

野間宏「ニつの肉体」(「近代文学」11·12月合併号)

12月

阿部知二「隣人」(「新潮」)

川端康成「さざん花」(「新潮」)

木山捷平「帰国」(「瀬戸内海」)

太宰治「親友交歓」(「新潮」)

太宰治「男女同権」(「改造」)

田村泰次郎「女しゃべる」(「文学季刊」)

長与善郎「耻」(「別冊文芸春秋」)

林芙美子「おにおん俱楽部」(「少年売」20日)

林芙美子『うき草』(丹頂書房)

久生十蘭「黄泉から」(「オール物」)

八木義徳「母子鎮魂」(「文芸春秋」)

山口瞳「愛別離:わが二十歳の記」(「尖塔」)

1947

1月

阿部知二「青空のうた」(「少年クラブ」)

石川淳「かよい小町」(「中央公論」)

牛島春子「笙子」(「芸林閒歩」)

岸田国士「火の扉」(「時事新報」1日、~6月28日)

木山捷平「幸福」(「東国」)

里見弴「美事な醜聞」(「改造」、「みごとな醜聞」と改題)

太宰治「トカトントン」(「群像」)

田村泰次郎「娘たち」(「サロン」、~3月)

中野重治「五勺の酒」(「展望」)

野上弥生子「神」(「新潮」)

林芙美子「雪の町」(「苦楽」)

林芙美子「指」(「女性改造」)

火野葦平「黄金部落」(「新文学」、~48年8月)

広津和郎「大和路」(「新生」)

横溝正史「獄門島」(「宝石」、~48年10月)

2月

梅崎春生「崖」(「近代文学」2·3月合併号)

小川未明「战争は僕を大人にした」(「童話」2·3月合併号)

椎名麟三「深夜の酒宴」(「展望」)

下村千秋「こがらしの夕」(「オール物」2·3月合併号)

田村泰次郎「悲歌」(「新女苑」)

野上弥生子「転生」(「人間」)

林芙美子「夜福」(『旅館のバイブル』大阪新聞社東京支社)

火野葦平「夜景」(「新潮」)

3月

竹山道雄「ビルマの竪琴」(「赤とんぼ」、1948年2月)

田村泰次郎「冲绳に死す」(「風雪」)

田村泰次郎「肉体の門」(「群像」)

八木義徳「仏壇」(「新潮」)

原昌子「雪明り」(「女性改造」3·4月合併号)

4月

伊藤整「出家遁世の志」(「人間」)

久保田万太郎「誓い」(「サンデー毎日」臨時増刊号、15日)

武田泰淳「審判」(「批評」)

田村泰次郎「崩れた街にて」(「現代小説」)

田村泰次郎『肉体の悪魔』(実業之日本社)

丰田穣「ニューカレドニア」(「新潮」)

林芙美子「暗い花」(「新世間」)

林芙美子「ボナアルの黄昏」(「新女苑」)

平林たい子「冬の物語」(「人間」)

正宗白鳥「安住の地」(「文芸春秋」)

5月

野菊「金の棺」(「世界」)

菊池寛「恋人は此処に」(「物クラプ」)

高見順「深淵」(「日本小説」、~「風雪」50年4月、連載時の表題は一部异なるが、のち「深淵」としてまとめられる、未完)

太宰治「女神」(「日本小説」)

田村泰次郎「女狩りの夜」(「新文学」)

田村泰次郎『春婦伝』(銀座出版社)

田村泰次郎「女盗記」(「月刊売」)

永井荷風『勲章』(扶桑書房)

丹羽文雄『愛』(朝明書院)

野上弥生子「鍵:へんな村の話」(「芸林閒歩」)

6月

阿部知二「あらまんだ」(「人間」)

佐藤春夫「断れ雲」(「別冊文芸春秋」)

獅子文六「おじいさん」(「主婦之友」、~49年5月)

武田泰淳「秘密」(「象徴」)

田村泰次郎「女王誕生」(「ホープ」)

田村泰次郎「肉体の位置」(「女性ライフ」、~48年2月)

丹羽文雄『女商』(斎藤書店)

林芙美子「麗しき脊髓」(「別冊文芸春秋」)

林芙美子「夢一夜」(「改造」)

原民喜「夏の花」(「三田文学」)

舟橋聖一「新しい善意」(『白い腕』鹿水館)

7月

石川達三「望みなきに非ず」(「売新聞」「16日、~11月22日)

里見淳「いろおとこ」(「新潮」)

太宰治「斜陽」(「新潮」、~10月)

野口士男「露きえず」(「不同調」)

野間宏「第三十六号」(「新日本文学」)

宮内寒弥「谷間の灯」(「新思潮」)

8月

小川未明「新しい町」(「幼年クラブ」)

島尾敏雄「夢中市街」(「光耀」、「石像歩き出す」と改題)

武田泰淳「蝮のすえ」(「進路」、~10月)

田村泰次郎「獣の日」(「サロン」)

中村真一郎「妖婆」(「展望」)

野間宏「顔の中の赤い月」(「綜合文化」)

林芙美子「うず潮」(「毎日新聞」1日、~11月24日)

火野葦平「断崖」(「光」8·9月合併号)

平林たい子「彼女の訪問」(「婦人公論」)

三島由夫「夜の仕度」(「人間」)

9月

石川達三「風雪」(「小説新潮」、~12月)

梅崎春生「日の果て」(「思索」)

木山捷平「海の道」(「素直」)

獅子文六「共産党とエンコ」(「新潮」)

武田泰淳「才女」(「随筆中国」)

田村泰次郎「大行山の」(「風雪」別輯1号)

寺崎浩「別離の時」(「群像」)

西野辰吉「廃帝トキヒト記」(「文芸」)

火野葦平「海抜四百尺」(「風雪」別輯1号)

火野葦平「猫」(「新小説」9·10月合併号)

10月

海野十三「三十年後の東京」(「少年売」、~12月)

坂口安吾「パンバン ガール」(「オール物」)

佐藤春夫「なつかしい無人島」(「苦楽」)

椎名麟三「帰省」(「新潮」)

獅子文六「無頼の英霊」(「オール物」)

田村泰次郎「檻」(「新潮」)

田村泰次郎「鳩の街草話」(「改造」)

林芙美子「崩浪亭主人」(「小説新潮」)

八木義徳「胡沙の花」(「肉体」)

八木義徳「相聞歌」(「文学界」)

11月

井伏鱒二「敬語」(「諷刺文学」)

河内仙介『風冴ゆる』(暁書房)

武田泰淳「廬州風景」(『才子佳人』東方書局)

田中英光「战場にも鈴が聞えていた」(『桑名古庵』講談社)

中野重治「太鼓」(「世界」)

野間宏「残像」(「潮流」)

原民喜「廃墟から」(「三田文学」)

火野葦平「湖心」(「文学界」)

平林たい子「私は生きる」(「日本小説」)

横光利一『夜の靴』(倉文庫)

12月

阿川弘之「八月六日」(「新潮」、「八月六日:亡き天野孝に一捧ぐ」と改題)

石川淳「飛梅」(「別冊文芸春秋」)

里見弴「五分の魂」(『鳴る枝』早川書房)

田村泰次郎「霧」(「別冊文芸春秋」)

田村泰次郎「精神年」(「サンデー毎日」別冊)

富田常雄「刺青」(「オール物」)

野口士男「白鷺」(「文学会議」)

野間宏「哀れな歓楽」(「文学会議」)

林芙美子『お父さん』(元社)

林芙美子「淪落」(「女性ラィフ」)

三島由夫「春子」(「人間」別冊)

三島由夫「ラウドスピーカー」(「文芸大学」)

宮内寒弥「三原にて」(「風雪」)

1948

1月

梅崎春生「埋葬」(「早稲田文学」)

川口松太郎「媚薬」(「小説新潮」)

佐藤春夫「日本の母」(「月刊売」、~6月)

椎名麟三「深尾正治の手記」(「個性」)

島尾敏雄「島の果て」(「VIKING」)

白川渥「海峡をわたる歌」(「少年」、~7月)

田村泰次郎「不安な女」(「風雪」)

野間宏「崩解感覚」(「世界評論」、~3月)

野溝七生子「など呼びさます春の風」(「婦人文庫」、~4月)

林芙美子「夜の蝙蝠傘」(「新潮」)

火野葦平「歌姫」(「文学界」)

火野葦平「青春と泥濘」(「風雪」、~49年12月)

山田風太郎「眼中の悪魔」(「別冊宝石」)

横光利一「微笑」(「人間」)

吉屋信子『歌枕』(矢貴書店)

吉屋信子「麻雀」(「小説と物」)

2月

安部公房「りし道の標べに」(「個性」)

大岡昇平「俘虜記」(「文学界」、『俘虜記(合本)』収録に際し「捉まるまで」と改題)

田村泰次郎「星を恋う男」(「苦楽」)

林芙美子「太閤さん」(「小説新潮」)

林芙美子「幕切れ」(「オール物」)

三島由夫「蝶々」(「花」)

森川「ホロゴン」(『夏目漱石賞当選作品集』桜菊書院)

八木義徳「仮面の蔭に」(「文芸時代」)

3月

石上玄一郎「氷河期」(「中央公論」)

石川達三「蓮女抄」(「風雪」)

上林暁「古風」(「婦人画報」)

田村泰次郎「今日われ情す」(「にっぽん」)

中村地平「女たち」(「中央公論」)

西野辰吉「国境」(「明日」3·4月合併号)

林芙美子「荒野の虹」(「改造文芸」)

火野葦平「指」(「改造文芸」)

平林たい子「堕ちた人」(「婦人画報」)

丸岡明「幻影」(「世界文化」)

吉屋信子「外交官」(「現代物」)

吉屋信子「かげろう」(「現代婦人」)

4月

阿川弘之「修介」(「別冊文芸春秋」)

梅崎春生「失われた男」(「個性」)

大岡昇平「サン ホセ野战病院」(「中央公論」)

小川未明「おとうさんがかえったら」(「こどもペン」)

川崎長太郎「木の芽」(『淫売婦』岡本書店)

下村千秋「屋上の浮浪児」(「オール物」)

田村泰次郎「熱海夜色」(「モダン日本」)

林芙美子「あじさい」(「別冊文芸春秋」)

林芙美子「盲目の詩」(「サンデー毎日」別冊)

三島由夫「家族合せ」(「文学季刊」)

5月

阿部知二「無名草堂記:田舎からの手紙」(「新文学」)

井伏鱒二「茗荷屋」(「光」)

大西巨人「精神の氷点」(「世界評論」、~7月)

大佛次郎「帰郷」(「毎日新聞」17日、11月21日)

菊池寛「ミス·フローラ」(『恋人は此処に』玄理社)

坂口安吾「アンゴウ」(「サロン」別冊)

武田泰淳「非革命者」(「文芸」)

富田常雄「面」(「小説新潮」)

永井荷風「心づくし」(「中央公論」、署名は荷風散人)

林芙美子「人生の河」(「サンデー毎日」2日、~8月1日)

林芙美子「別れて旅立つ時」(「人間」)

山田風太郎「虚像淫楽」(「旬刊 ニュース」別冊、15日)

原昌子「つんどらの碑」(「大学」)

吉屋信子「花の詐欺師」(「小説の泉」)

6月

井伏鱒二「復員者の噂」(「社会」)

小川未明『たましいは生きている』(桜井書店)

佐多稲子「虚偽」(「人間」)

洲之内徹「鳶」(「文学草紙」)

武田泰淳「聖女俠女」(「思潮」)

田村泰次郎「朝顔」(「人間」別冊)

浜田矯太郎「にせきちがい:福岡直次郎の手記」(「勤労者文学」)

正宗白鳥「一種の大臣病」(「文芸春秋」)

三島由夫「頭文字」(「文学界」)

三島由夫「慈善」(「改造」)

村山知義「日本人たち」(『明姫』郷土書房)

7月

駒田信二「脱出」(「人間」)

武田泰淳「黒旗」(「芸術」)

田村泰次郎「現代詩」(「新潮」)

広津和郎「狂った季節」(「風雪」、~49年3月)

三島由夫「罪び」(「婦人」)

八木義徳「死と笑い」(「早稲田文学」)

8月

安部公房「鴉沼」(「思潮」)

梅崎春生「B島風物」(「作品」)

江口渙「花嫁と馬一ぴき」(「新日本文学」、~49年3月、「花嫁と馬一匹」と改題)

大岡昇平「レイテの雨」(「作品」、『俘虜記(合本)』収録に際し「タクロバンの雨」「パロの陽」の二篇に分割改題)

木山捷平「立冬」(「作品」)

火野葦平「海の火」(「文学界」)

深田久弥「わが小隊」(「群像」)

9月

石川淳「最後の晩餐」(「文芸春秋」)

大田洋子「不知世」(「新小説」)

川崎長太郎「人足」(「世界文化」)

佐多稲子「泡沫の記録」(「光」)

武田泰淳「にたつ人:街の人間玄想1」(「玄想」)

中山義秀「テニャンの末日」(「新潮」)

林芙美子「野火の果て」(「人間」)

二葉亭四迷「茶筅髪」(「展望」、生前未発表作品)

10月

阿部知二「高原にて」(「文学界」)

阿部知二「城:田舎からの手紙」(「思索」)

梅崎春生「赤い駱駝」(「世界」)

小川未明「子供は悲しみを知らず」(『未明童話:心の芽そのほか』文寿堂出版)

川崎長太郎「偽遺書」(「新潮」)

菊池寛「栄枯盛衰」(「主婦之友」海外版)

獅子文六「金剛遍照」(「モダン日本」)

島尾敏雄「徳之島航海記」(「芸術」)

武田泰淳「女賊の哲学」(「八雲」)

武田泰淳「もの喰う女:街の人間玄想2」(「玄想」)

田村泰次郎「雁帰る」(「別冊風雪」)

林芙美子「退屈な霜」(「新潮」)

火野葦平「無郷者」(「風雪」)

11月

阿川弘之「蝙蝠」(「新小説」)

大田洋子「の街」(『の街』削除版、中央公論社)

小倉丰文『絶後の記録:広島原子爆弾の手記』(中央社)

木山捷平「枯木の花」(「作品」)

獅子文六「てんやわんや」(「毎日新聞」22日、~49年4月14日)

武田泰淳「苦笑の前後」(「小説界」11·12月合併号)

田宮虎彦「天路遍歴」(「日本小説」)

寺崎浩「あまのじゃく」(「改造」)

徳永直「光をかかぐる人々」(「世界文化」、~49年4月)

中村真一郎「愛神と死神と」(「文芸」、~49年6月)

林芙美子「晩菊」(「別冊文芸春秋」)

真鍋呉夫「二十歳の周囲」(「作品」)

三島由夫「山羊の首」(「別冊文芸春秋」)

八木義徳「寄食者」(「作品」)

12月

石川達三「海星」(「文芸物」)

大岡昇平「野火」(「文体」、~「展望」51年8月)

大岡昇平「附 西矢隊始末記」(「芸術」)

大岡昇平『俘虜記』(創元社)

大西巨人「白日の序曲」(「近代文学」)

武田泰淳「「愛」のかたち」(「序曲」)

武田泰淳「夢の裏切」(「改造」)

田村泰次郎『肉体の都』(北光書房)

中村真一郎『シオン の娘等』(河出書房)

丹羽文雄『哭壁』(講談社、~49年3月)

野上弥生子『迷路 第二部』(岩波書店)

堀田善「波の下」(「個性」)

三島由夫「獅子:エゥリピデス の悲劇「メーデァ」に拠る」(「序曲」)

吉屋信子『翡翠』(共立書房)

1949

1月

阿部知二「失楽園:田舎からの手紙」(「文芸」)

梅崎春生「生活」(「個性」)

大岡昇平「靴と食」(「小説界」1·2月合併号、のち「靴の話」「食について」の二篇に分割改題)

尾崎士郎「落日」(「思索」)

加藤周一「ある晴れた日に」(「人間」、~8月)

佐多稲子「あるひとりの妻」(「世界」)

武田泰淳「詩をめぐる風景」(「近代文学」)

田村泰次郎「刺青」(「中央公論」)

檀一雄「照る陽の庭」(「文芸」)

永井荷風「にぎり飯」(「中央公論」)

中野重治「おどる男」(「新日本文学」)

中野重治「軍楽」(「展望」)

野上弥生子「迷路 第三部」(「世界」、~52年1月)

原民喜「壊滅の序曲」(「近代文学」)

久生十蘭「A島からの手紙」(「小説と物」、「手紙」と改題)

正宗白鳥「お伽噺「日本脱出」」(「群像」、~「心」53年3月、連載中に「日本脱出」と改題、未完)

宮内寒弥「遠来の客」(「文学者」)

2月

阿部知二「黒い影」(「群像」)

榛葉英治「鉄条の中」(「文学者」)

洲之内徹「雪」(「文学草紙」)

田村泰次郎「肉体の門 第二部」(「群像」)

林芙美子「骨」(「中央公論」)

3月

石川達三「暗いきの谷」(「文学界」、~7月)

伊藤永之介「雪代とその一家」(「群像」)

大岡昇平「生きている俘虜」(「作品」)

大岡昇平「战友」(「文学界」)

太田良博「黒ダィヤ」(「月刊タイムス」)

大原富枝「女の翼」(「改造」)

武田泰淳「悪らしきもの」(「文芸」)

丹羽文雄『告白』(六興出版)

藤枝静男「イぺリット眼」(「近代文学」)

4月

石川達三「風にそよぐ葦1」(「毎日新聞」15日、~11月15日)

佐藤春夫「幻滅の人」(「ニューエポック」)

武田泰淳「空間の犯罪」(「別冊小説新潮」)

新田潤「蹴られた女」(「オール物」)

林芙美子「白鷺」(「文学季刊」25日)

林芙美子「下町」(「別冊小説新潮」)

火野葦平「水祭」(「別冊風雪」15日)

火野葦平「昭和鹿鳴館」(「中央公論」文芸特輯号)

藤原てい『流れる星は生きている』(日比谷出版社)

原昌子「朝鮮ヤキ」(「新日本文学」)

5月

石川淳「藤衣」(「別冊文芸春秋」)

上林暁「生活力」(「評論」)

高木俊朗『イムパール:潰滅するビルマ方面軍の記録ルポルタージュ』(雄鶏社、「インパール」と改題)

高橋新吉「うちわ」(「文芸」)

武田泰淳「女帝遺書」(「新小説」)

武田泰淳「廃園の女」(「別冊文芸春秋」)

林芙美子「うなぎ」(「文芸物」)

林芙美子「トランク」(「文学界」)

堀田善「共犯者」(「個性」5·6月合併号)

堀田善「国なき人々」(「世界の動き」)

八木義徳「黒白の髪」(「群像」)

6月

佐藤春夫「夏草娘子」(「中央公論」、~8月)

高見順「分水嶺」(「新大阪」1日、~10月12日)

三島由夫「天国にぶ恋」(「オール物」)

原昌子「北極星」(「健康会議」、~7月)

7月

大岡昇平「俘虜逃亡」(「週刊朝日」1日)

大岡昇平「俘虜の季節」(「改造文芸」、『俘虜記(合本)』収録に際し「季節」と改題)

佐藤春夫「小草の夢」(「宝石」臨時増刊号)

島尾敏雄「アスファルトと蜘蛛の子ら」(「近代文学」)

庄野潤三「十月の葉」(「文学雑」7·8月合併号)

田村泰次郎「途上」(「新潮」)

永井荷風「秋の女」(「婦人公論」)

永井龍男「夏まで」(「文体」)

林芙美子「松葉牡丹」(「改造文芸」)

三島由夫『仮面の告白』(河出書房)

8月

石川淳「善財」(「新潮」)

梅崎春生「ルネタの市民兵」(「文芸春秋」)

大岡昇平「西矢隊奮战」(「文学界」)

耕治人「指」(「文学界」)

獅子文六「嵐というらむ」(「主婦之友」、~52年2月)

橘外男「皇帝溥儀」(「面白俱楽部」、~11月)

原民喜「鎮魂歌」(「群像」)

平林たい子「いが栗頭の女」(「オール物」)

宮本百合子「道標 第三部」(「展望」、~50年12月)

9月

石野径一郎「ひめゆりの塔」(「令女界」、~11月)

宇野浩二「うつりかわり」(「風雪」)

梅崎春生「赤帯の話」(「文学界」)

川端康成「山の音」(「改造文芸」、~「オール物」54年4月)

獅子文六「かれ毎日情す」(「小說新潮」)

武田泰淳「L恐怖症」(「近代文学」9·10月合併号、「L恐怖症患者の独白」と改題)

中村地平「朝の雀」(「世界」)

久生十蘭「蝶の」(「週刊朝日」別冊、10日)

火野葦平「异民族」(「思索」)

正宗白鳥「死の勝利」(「早稲田文学」)

10月

池山広「日本の牙」(「作品」)

大岡昇平「建設」(「別冊文芸春秋」、『俘虜記(合本)』収録に際し「外業」と併せ「労働」と改題)

大岡昇平「ミンドロ島」(「東北文学」)

武田泰淳「海肌の匂い」(「展望」)

田宮虎彦「足摺岬」(「人間」)

永井荷風「人妻」(「中央公論文芸特集」、署名は荷風散人」

中野重治「よごれた汽車」(「人間」)

中野重治「吉野さん」(「中央公論 文芸特集」)

火野葦平「花と罪」(「改造文芸」)

広津和郎「ひさとその女友達」(「中央公論 文芸特集」)

11月

阿川弘之「あ号作战前後:春の城」(「新潮」)

木山捷平「雪の原」(「文芸公論」11·12月合併号)

今日出海『山中放浪』(日比谷出版社)

島尾敏雄「出孤島記」(「文芸」)

島尾敏雄「ロング·ロング·アゴウ」(「人間」増刊号)

田中英光「さようなら」(「個性」)

田宮虎彦「使い」(「改造」)

田村泰次郎「象が通る夜」(「文学界」)

鳴海さだ「慰安婦部隊」(「小説文庫」)

林芙美子「浮雲」(「風雪」、~「文学界」51年4月)

火野葦平「鎖と骸骨」(「モダン日本」)

火野葦平「亡霊の言葉」(「新青年」)

12月

阿川弘之「光の潮」(「心」)

井上靖「通夜の客」(「別冊文芸春秋」)

大岡昇平「外業」(「改造」、『俘虜記(合本)』収録に際し「建設」と併せ「労働」と改題)

大岡昇平「海上にて」(「文芸」)

大岡昇平「サンホセの聖母」(「文学会議」)

大岡昇平『俘虜記』(創元社)

今日出海「孤立の影」(「文芸物」)

今日出海「懇親会の果て」(「小説新潮」)

田中英光「奇妙な復」(「新小説」)

丹羽文雄「洗濯屋」(「別冊八雲」)

林房雄「四つの文字:或る自殺者」(「新小説」)

林芙美子「鴉」(「文学界」)

前田純敬「夏草」(「群像」)

1950

1月

石川達三「古き泉のほとり」(「中京新聞」22日、~6月8日」

梅崎春生「故郷の客」(「世界」)

大岡昇平「出征」(「新潮」)

大岡昇平「武蔵野夫人」(「群像」~9月)

坂口安吾「肝臓先生」(「文学界」)

佐藤春夫「風流東印度遊記」(「群像」)

獅子文六「日の丸問答」(「小説公園」)

洲之内徹「棗の木の下」(「群像」)

高見順「乾燥地帯」(「群像」)

武田泰淳「菌のいる風景」(「改造文芸」)

立野信之「公爵近衛文麿」(「キング」、~51年12月)

谷崎潤一郎「A夫人の手紙」(「中央公論 文芸特集」)

徳川夢声「元日観劇:ユーモア小説」(「オール物」)

永井荷風「買出し」(「中央公論」、署名は荷風散人)

中村真一郎「魂の夜の中を」(「人間」、~「文芸」6月)

野間宏「青年の環 第二部」(「文芸」、~6月)

火野葦平「白宮殿」(「サロン」)

2月

伊藤桂一「廟」(「群像」)

井伏鱒二「遥拝隊長」(「展望」)

大岡昇平「暗号手」(「風雪」)

川端康成「天授の子」(「文学界」)

畔柳二美「銀夫妻の歌」(「人間」)

小山 いと子「執行猶予」(「中央公論」)

佐多稲子「秋風」(「中央公論」)

武田泰淳「椅子のきしみ」(「小説新潮」)

辻亮 一「异邦人」(「新小説」)

十和田操「遊覧部隊」(「小説新潮」)

永井荷風「裸体」(「小説世界」)

中薗英助「烙印」(「近代文学」)

林芙美子「軍歌」(「新潮」)

久生十蘭「ノア」(「士」、~4月、「みんな愛したら」と改題)

火野葦平「悲しき兵隊」(「改造」)

山田風太郎「狂風図」(「新青年」)

3月

大岡昇平「八月十日」(「文学界」)

榛葉英治「夜の庭」(「小説新潮」)

高見順「仙人掌:「乾燥地帯」後篇」(「群像」)

谷本敏雄「豆腐と大蒜と二人の見習士官」(「小説新潮」)

徳川夢声「連鎖反応:ヒロシマ·ユモレスク」(「オール物」)

林芙美子「残照」(「文芸春秋」)

真杉静枝「真李子」(「別冊文芸春秋」)

山田風太郎「黄金と裸女を追う男」(「りべらる」、~5月、「魔島」と改題)

吉屋信子「生霊」(「週刊朝日」1日)

4月

岸田国士「光は影を」(「キング」、~51年3月)

金達寿「矢の津峠」(「世界」)

木山捷平「白兎」(「文学界」)

今日出海「天皇の帽子」(「オール物」)

武田泰淳「母の出発」(「小説公園」)

辻亮 一「木枯国にて」(「新小説」)

林芙美子「瀑布」(「中央公論 文芸特集」)

久生十蘭「勝負」(「オール物」)

火野葦平「馬と死刑囚」(「改造文芸」)

前田純敬「背後の眼」(「群像」)

5月

阿部知二「十年:興津にて」(「世界」)

大岡昇平「襲撃」(「新小説」)

尾崎士郎「バタァン·晩春初夏」(「小説新潮」、~8月)

開高健「季節」(「えんぴつ」、~10月)

沢野久雄「道化師」(「改造文芸」)

獅子文六「自由学校」(「朝日新聞」26日、~12月11日)

武田泰淳「筋肉」(「別冊文芸春秋」)

長谷川四郎「炭坑ビス:ソ連俘虜記」(「中央公論」)

埴谷雄高「虚空」(「群像」)

堀田善「彷徨える猶太人」(「人間」)

堀田善「祖国喪失」(「群像」)

山田風太郎「腐爛の神話」(「週刊朝日」20日)

6月

石上玄一郎「気まぐれな神」(「文学界」)

石野径一郎『ひめゆりの塔』(山雅房)

字野千代「おはん」(「中央公論」、~57年5月)

大岡昇平「敗走行」(「改造文芸」、のち「銃を弃てる話」と併せ改稿)

高見順「胸より胸に」(「婦人公論」、~51年3月)

田宮虎彦「本」(「世界」)

檀一雄「元帥」(「新潮」)

中蘭英助「黒い自由」(「近代文学」)

長谷川四郎「街の掃除人:シベリヤ俘虜生活の思い出」(「展望」、「掃除人」と改題)

7月

石川達三「風にそよぐ葦2」(「毎日新聞」11日、~51年3月10日)

霜多正次「木山一等兵と宣教師」(「新日本文学」)

武田泰淳「情婦殺し」(「小説新潮」)

檀一雄「敗北者」(「文学会議」)

徳永直「日本人サトウ」(「人間」)

永井荷風「老人」(「オール物」)

永井龍男「点呼通信」(「風雪」)

吉屋信子「鶴」(「中央公論 文芸特集」)

8月

梅崎春生「無名颱風」(「別冊文芸春秋」、~10月)

大岡昇平「わが復員」(「小説公園」)

高杉一郎「極光のかげに:シベリア俘虜記」(「人間」、12月)

田宮虎彦「幼女の声」(「文芸」)

檀一雄「淋しい人」(「別冊文芸春秋」)

長谷川四郎「二人の若いソ連人:クーバレフとパーシャ」

(「生長する青年」)

久生十蘭「風流旅情記」(「小説と物」)

富士正晴「粛清行軍:始興」(「近代文学」)

三島由夫「孤閨悶々」(「オール物」)

9月

大岡昇平「新しき俘虜と古き俘虜」(「文芸春秋」)

佐多稲子「白と紫」(「人間」)

武田泰淳「F花園十九号」(「文学界」)

丰田穣「捕虜敗战」(「作家」)

三島由夫「日食」(「朝日新聞」19日)

10月

大岡昇平「帰還」(「改造」)

大岡昇平「銃を弃てる話」(「売評論」、のち「敗走行」と併せ同題に改題)

大岡昇平「妻:私小説」(「別冊文芸春秋」)

武田泰淳「女の部屋」(「世界」)

武田泰淳「獣の徽章」(「新潮」)

武田泰淳「第一のボタン」(「別冊文芸春秋」)

谷本敏雄「黄昏のパラン峠」(「文芸」)

中村地平「八年間」(「群像」)

林芙美子「折れ蘆」(「新潮」)

三島由夫「食道楽」(「サンデー毎日」別冊)

11月

大岡昇平「山中露営」(「文学界」)

大岡昇平「歩哨の眼について」(「文芸」)

里見弴「碧い眼」(「小説新潮」)

洲之内徹「砂」(「中央公論 文芸特集」)

谷本敏雄「退屈な陣地」(「小説新潮」)

丰田穣「ミッドウェー海战」(「作家」、「海なる墓標」と改題)

林房雄「運命の島」(「オール物」)

火野葦平「牢獄」(「中央公論」)

広中俊雄「炎の日:一九四五年八月六日」(「人間」)

12月

高見順「無言の空」(「別冊文芸春秋」)

武田泰淳「賭のうちそと」(「文学界」)

丹羽文雄「罪」(『好色の戒め』創元社)

火野葦平「追放者」(「改造」)

平林たい子「この民かの民」(「別冊文芸春秋」)

藤原てい『色の丘』(宝文館)

堀田善「十二月八日」(「婦人画報」)

棟田博「軍犬疾風号」(「少年クラブ」)

1951

1月

井上靖「銃声」(「文学界」)

大岡昇平「俘虜演芸大会」(「人間」、『俘虜記(合本)』収録に際し「演芸大会」と改題)

高見順「悲劇的」(「群像」)

野口士男「平野」(「中央評論」、~2月、「川のある平野」と改題)

野間宏「真空ゾーン」(「人間」、~2月)

林芙美子「浮洲」(「文芸春秋」)

火野葦平「警察予備隊」(「改造」)

山代巴「芽ぐむ頃」(「新日本文学」、~8月)

2月

尾崎士郎「将軍」(「新潮」)

野間宏「夜の脱柵」(「人民文学」、~3月)

林芙美子「童話」(「新潮」)

堀田善「夜来香」(「文学界」)

山田風太郎「黒衣の聖母」(「講談俱楽部」)

3月

阿部知二「漂う人」(「中央公論 文芸特集」)

梅崎春生「小さな町にて」(「小説新潮」)

大岡昇平「愉快な連中」(「小説新潮」)

大谷藤子「妻の戒名」(「改造」)

獅子文六「東条さん」(「オール物」)

高見順「呟く幽鬼」(「別冊文芸春秋」)

武田泰淳「一九九○年」(「別冊文芸春秋」、「永久館」と改題)

田村泰次郎「战場の顔」(「文芸」)

宮本百合子「刻々」(「中央公論」)

山田清三郎「最陳述」(「人間」)

由起しげ子「告別」(「文学界」)

4月

阿部知二「枯れたる葵」(「文学界」)

牛島春子「ある旅」(「九州文学」)

大岡昇平『新しき俘虜と古き俘虜』(創元社)

川崎長太郎「脱走兵」(「文学界」)

高見順「インテリゲン チア」(「世界」)

長谷川四郎「シべリヤ物語」(「近代文学」、「馬の微笑」と改題)

火野葦平「動物」(「群像」)

5月

大原富枝「若い馬車屋の平和」(「別冊小説新潮」)

上林暁「緋文字」(「人間」)

武田泰淳「猿人の合唱」(「別冊文芸春秋」)

野間宏「奪いとられて」(「展望」)

林芙美子「御室の桜樹」(「別冊文芸春秋」)

原民喜「心願の国」(「群像」)

堀田善「歯車」(「文学51」)

三島由夫「翼:ゴーティエ風の物語」(「文学界」)

三島由夫「右領収仕候」(「オール物」)

6月

安部公房「チーズ战争」(「草月」)

石川利光「春の草」(「文学界」)

井伏鱒二「カキツバタ」(「中央公論 文芸特集」、「かきつばた」と改題)

北原武夫「贋のジャカルタ物語」(「小説新潮」)

武田泰淳「脱走」(「人間」)

富士正晴「敗走」(「群像」)

安岡章太郎「ガラスの靴」(「三田文学」)

吉屋信子「手唄」(「オール物」)

7月

阿川弘之「四つの数字」(「別冊文芸春秋」)

梅崎春生「水兵帽の話」(「文学界」)

尾崎士郎「天皇機関説」(「文芸春秋」)

畔柳二美「限りなき困惑」(「人間」)

佐多稲子「歴訪」(「文学界」)

武田泰淳「タロウの槍」(「別冊文芸春秋」)

武田泰淳「冷笑」(「群像」)

立野信之「太陽はまた昇る:公爵近衛文麿」(「小説公園」、~11月)

平林たい子「マッカーサー夫人」(「主婦之友」)

正宗白鳥「心の焼跡」(「群像」)

8月

石上玄一郎「自殺案内者:「蛆」後篇」(「文学界」)

井上光晴「病める部分」(「新日本文学」)

井上靖「三ノ宮炎上」(「小説新潮」)

梅崎春生「万吉」(「文芸」)

畔柳二美「川音」(「文芸」)

武田泰淳「あいびき」(「文芸」)

長谷川四郎「小さな礼拝堂:シベリヤ物語2」(「近代文学」)

堀田善「広場の孤独」(「人間」、~「中央公論文芸特集」9月)

八木義徳「監房」(「新潮」)

9月

川崎長太郎「逃亡兵」(「別冊小説新潮」)

金達寿「孫令監」(「新日本文学」)

下村千秋「痛恨街道」(「小説新潮」)

丰島与志雄「広場のベンチ」(「文芸」)

長谷川四郎「舞踏会:シベリヤ物語3」(「近代文学」)

平林たい子「二月の雪」(「中央公論 文芸特集」)

堀田善「漢」(「文学界」)

峯雪栄「一椀の酒」(「別冊小説新潮」)

大岡昇平「神さん」(「群像」)

小山いと子「虹炎ゆ」(「婦人公論」、~12月)

武田泰淳「女の国籍」(「小説新潮」)

田宮虎彦「朝鮮ダリヤ」(「群像」)

檀一雄「燃える草舟」(「新潮」)

長谷川四郎「隔世遺伝と自働爆弾:シベリヤ物語4(「近代文学」、「人さまざま」と改題)

11月

阿部知二「思出」(「世界」)

大岡昇平「再会」(「新潮」)

大城立裕「夜明けの雨」(「雄飛」、署名は城戸裕)

神西清「少年」(「文学界」、~12月)

武田繁太郎「暗い谷間」(「早稲田文学」)

武田泰淳「奇の掌」(「文学界」)

長谷川四郎「勲章:シベリヤ物語5」(「近代文学」)

真杉静枝「アナタハンに居た男」(「小説新潮」)

丸岡明「贋きりすと」(「群像」)

12月

阿川弘之「管祭」(「新潮」)

野菊「東満国境」(「文芸」)

小松左京「子供達」(「土曜の会」、署名は小松実)

柴田錬三郎「イエスの裔」(「三田文学」)

辻亮一「生者哀歓」(「早稲田文学」)

中薗英助「不在」(「近代文学」)

藤井重夫「風土」(「新潮」)

正宗白鳥「小説に成らぬ男」(「文芸春秋」)

正宗白鳥「年の暮「三人上戸」」(「文学界」)

三島由夫「離宮の松」(「別冊文芸春秋」)

山代巴「或るとむらい」(「世界」)

1952

1月

石川達三「手紙の女」(「新潮」)

大岡昇平「酸素」(「文学界」、~53年7月)

金達寿「玄海灘」(「新日本文学」、~53年11月)

木山捷平「流浪抄」(「早稲田文学」)

窪田精「フィンカム」(「文学芸術」)

武田泰淳「風媒花」(「群像」、~11月)

立野信之「叛乱」(「小説公園」、~12月)

田宮虎彦「島」(「新潮」)

長谷川四郎「アンナ·ガールキナ:シベリヤ物語6」(「近代文学」)

火野葦平「碑と旗」(「早稲田文学」)

富士正晴「童貞」(「VIKING」)

2月

井上光晴「一九四五年三月」(「近代文学」、「双頭の鷲」と改題)

尾崎一雄「刺青をした女」(「文芸」)

獅子文六「やっさもっさ」(「毎日新聞」14日、~8月19日)

芝木好子「异郷」(「小説新潮」)

武田泰淳「流沙」(「文芸」)

田宮虎彦「异端の子」(「中央公論」)

田宮虎彦「銀心中」(「小説公園」)

張赫宙「嗚呼朝鮮」(「新潮」)

壺井栄「二十四の瞳」(「ニューエイジ」、~11月)

中山義秀「宋蓮花」(「別冊文芸春秋」)

野間宏『真空地帯』(河出書房)

長谷川四郎「ラドシュキン:シベリヤ物語7」(「近代文学」)

林房雄「一枚の銀貨」(「小説新潮」)

堀田善「断層」(「改造」)

3月

小島信夫「燕京大学部隊」(「同時代」、~10月)

西野辰吉「米系日人」(「新日本文学」)

堀田善「灯台へ」(「群像」)

前田純敬「曠野」(「文芸」)

4月

石川達三「最後の共和国」(「中央公論」、~12月)

川崎長太郎「ひかげ咲き」(「新潮」)

金達寿「釜山」(「文学芸術」)

窪田精「青衣兵隊」(「新日本文学」)

畔柳二美「傷痕」(「中央公論」)

島尾敏雄「夜の匂い」(「群像」)

武田泰淳「勝負」(「改造」)

野上弥生子「迷路 第五部」(「世界」、~53年10月)

長谷川四郎「犬殺し:シベリヤ物語8」(「近代文学」)

吉富利通「マホルカ」(「早稲田文学」)

5月

伊藤永之介「なつかしい山河」(「改造」)

山季之「族譜」(「広島文学」)

霜多正次「冲绳」(「新日本文学」)

野間宏「雪のしたの声が……」(「群像」)

火野葦平「鯉」(「群像」)

6月

有馬頼義「身未決囚」(「文学生活」)

石川利光「火蛾」(「小説新潮」)

井上友一郎「混血」(「小説新潮」)

牛島春子「十字路」(「寂寥派」)

今日出海『悲劇の将軍』(文芸春秋新社)

武田泰淳「美しき湖のほとり」(「別冊文芸春秋」)

田村泰次郎「風の足跡」(「小説新潮」)

日影丈吉「天仙宮の審判日」(「別冊宝石」)

火野葦平「花と竜」(「売新聞」20日、~53年5月11日)

平林たい子「ある君」(「小説新潮」)

和田芳惠「露草」(「三田文学」)

7月

高橋和巳「老牛」(「ARUEUL」)

武田泰淳「幻聴」(「新潮」)

8月

開高健「少年群:煉瓦色のモザイク1」(「文学室」)

丰田穣「捕虜独房」(「作家」)

丹羽文雄『女靴』(小説朝日社)

長谷川四郎「張徳義:むかしばなし1」(「近代文学」)

火野葦平「全滅」(「別冊文芸春秋」)

吉田満『战艦大和の最期』(創元社)

9月

伊藤永之介「予備隊へ」(「群像」)

伊藤桂一「雲と植物の世界」(「文芸春秋」)

上田芳江「焰の女」(「早稲田文学」)

北原武夫「雨期に逢った女」(「小説新潮」)

今日出海「殺人者」(「別冊小説新潮」)

柴田錬三郎「冲绳心中」(「小説朝日」)

長谷川四郎「鶴:むかしのはなし2」(「近代文学」、~10月)

火野葦平「バタアン死の行進」(「新潮」)

吉屋信子「生死」(「週刊朝日」5日)

10月

安部公房「鉄砲屋」(「群像」)

井上光晴「重いS港」(「新日本文学」)

小松左京「裏切」(「現代文学」、署名は小松実)

芹沢光治良「1つの世界:又はサムライの末裔」(「婦人公論」、~53年10月)

火野葦平「叛逆者」(「別冊文芸春秋」)

11月

伊藤桂一「鷺を撃つ」(「文学界」)

耕治人「握飯」(「文芸」)

佐藤春夫「苦衷」(「改造」)

中村真一郎『長い旅のり』(河出書房)

長谷川四郎「脱走兵」(「近代文学」、~53年4月)

堀田善「国境」(「群像」)

三島由夫「二人の老嬢」(「週刊朝日」30日)

吉屋信子「黄梅院」(「小説新潮])

12月

大岡昇平『俘虜記(合本)』(創元社)

川端康成「富士の初雪」(「オール物」)

小島信夫「小銃」(「新潮」)

佐多稲子「今日になっての話」(「文学界」)

野間宏「バターン白昼の战」(「別冊文芸春秋」)

長谷川四郎「ガラ·ブルセンツォワ」(「群像」)

火野葦平「琉球舞姫」(「小説新潮」)

平林たい子「北海道千歳の女」(「小説新潮」)

真杉静枝「本日は晴天」(「小説新潮」)

山田風太郎「裸の島」(「講談倶楽部」)

1953

1月

石川達三「地上の富」(「北海道新聞」1日、~5月16日)

金達寿「副隊長と法務中尉」(「近代文学」、~2月)

獅子文六「娘と私」(「主婦之友」、~56年5月)

庄野潤三「喪服」(「近代文学」)

高見順「十発目の銃声」(「文芸春秋」)

張赫宙「廃墟に咲く」(「別冊小説新潮」)

中野重治「第三班長と木島一等兵」(「群像」)

平林たい子「国際女優」(「オール物」)

富士正晴「蟠竜山新春」(「近代文学」)

森三千代「新宿に雨降る」(「小説新潮」)

2月

石川達三「熔岩」(「小説新潮」)

大岡昇平「振分け髪」(「オール物」)

三崎長太郎「軍用人足」(新潮」)

久保田万太郎「鷗外よりも……」(「新潮」)

小山いと子「停電」(「別冊文芸春秋」)

武田泰淳「愛と誓い」(「別冊文芸春秋」)

英夫『背教徒』(筑摩書房)

3月

辻亮一「中共兵器工場」(「小説公園」)

4月

阿部知二「二つの死」(「中央公論」)

梅崎春生「蟹」(「明窓」)

小島信夫「大地」(「文学界」)

武田泰淳「天と地の婚」(「週刊売」28日、~9月13日)

中本たか子「火のついたべルト」(「群像」)

長谷川四郎「可小農園主人」(「改造」)

長谷川四郎「逃亡兵」(「新潮」、「選択の自由」と改題)

真鍋呉夫「赤い空」(「新潮」)

三島由夫「江口初女覚書」(「別冊文芸春秋」)

安岡章太郎「ハウス·ガード」(「時事新報」14日、~20日)

和田芳惠「塵の中」(「三田文学」、~5月)

5月

大岡昇平「ユー·アーへヴィ」(「群像」)

大田洋子「山上」(「群像」)

椎名麟三「紙りの紐」(「文学界」)

丹羽文雄『恋文』(朝日新聞社)

長谷川四郎「丸田の手記:シベリヤ帰り」(「新日本文学」)

宮内寒弥「富士山麓の娘」(「別冊小説新潮」)

6月

飯沢匡「日本陥没」(「別冊文芸春秋」)

井上光晴「長靴島」(「新日本文学」)

大岡昇平「忘れ得ぬ人々」(「別冊文芸春秋」)

大田洋子「ほたる:「H市歴訪」のうち」(「小説公園」)

木山捷平「玉川上水」(「文学界」)

野間宏「南十字星下の战」(「別冊文芸春秋」)

長谷川四郎「古い手紙より」(「群像」)

藤井重夫「世染」(「文学十人」)

藤原審爾「婚の風土」(「別冊文芸春秋」)

三島由夫「急停車」(「中央公論」)

村上兵衛「軍旗」(「新思潮」8号、「連隊旗手」と改題)

安岡章太郎「悪い仲間」(「群像」)

山田風太郎「女の島」(「講談俱楽部」)

山田風太郎「战艦陸奧」(「面白俱楽部」)

7月

阿川弘之「魔の遺産」(「新潮」、~12月)

石川達三「地獄変:お伽話」(「文芸春秋」)

桂芳久「刺草の蔭に」(「群像」)

小山清「おじさんの話」(「新潮」)

中野重治「焼酎とファシズム」(「群像」)

中本たか子「基地の女:匿名小説」(「群像」)

安岡章太郎「剣舞」(「文学界」)

8月

伊藤桂一「水の上」(「近代文学」)

田宮虎彦「夜:ある手記から」(「世界」)

丹羽文雄『藤代大佐』(東方社)

堀田善「砕かれた顔」(「改造」)

三浦朱門「カンナ」(「群像」)

三島由夫「恋の都」(「主婦之友」、~「主婦の友」54年7月)

安岡章太郎「勲章」(「別冊文芸春秋」)

9月

石川達三「悪の愉しさ」(「売新聞」22日、~54年4月26日)

円地文子「浜木綿」(「別冊小説新潮」)

鹿地亘「湖北の旅」(「人民文学」)

久鬼高治「真冬の記録」(「新日本文学」)

榛葉英治「銃殺」(「早稲田文学」)

堀田善「工場のなかの橋」(「新潮」)

三浦朱門「ニコチン」(「文学界」)

吉屋信子「二世の母」(「サンデー毎日」臨時増刊号、10日)

10月

飯沢匡「ベロー博士の贈物」(「文芸」)

坂口子「蕃地」(「新潮」)

里見弴「灯籠流し」(「群像」)

島尾敏雄「離島のあたり」(「新日本文学」)

張赫宙「眼」(「文芸」)

野間宏「砲車追撃」(「別冊文芸春秋」)

久生十蘭「ある兵卒の手帳」(「別冊文芸春秋」)

宮内寒弥「フリーゲート艦にて」(「小説新潮」)

山田風太郎「潜艦呂99号浮上せず」(「面白俱楽部」)

11月

石川淳「珊瑚」(「群像」)

井上光晴「九通の手紙」(「新日本文学」)

今西祐行「一つの花」(「教育技術小二」)

長谷川四郎「ナスンボ」(「新日本文学」)

英夫「自由の樹」(「文学界」)

久生十蘭「天国の登り口」(「オール物」)

火野葦平「战争犯罪人」(「文芸」、~54年7月)

堀田善「時間」(「世界」、~55年1月、連載時の表題は各回异なるが、のち「時間」としてまとめられる)

堀田善『歴史』(新潮社)

12月

梅崎春生「奇妙な旅行」(「小説公園」)

円地文子「ひもじい月日」(「中央公論」)

畔柳二美「喉笛の声」(「新日本文学」)

富島健夫「喪家の狗」(「新潮」)

丹羽文雄『青麦』(文芸春秋新社)

野間宏「昭子とたき子」(「改造」)

長谷川四郎「客」(「近代文学」)

森三千代「汚された愛情」(「小説新潮」)

1954

1月

円地文子「璃光寺炎上」(「小説新潮」)

邱永漢「密入国者の手記」(「大衆文芸」)

坂口子「遠い火」(「小説新潮」)

霜多正次「孤島の人々」(「新日本文学」)

立野信之「東京裁判」(「キング」、~12月)

中野重治「米配所は残るか」(「改造」)

中野重治「むらぎも」(「群像」、~7月)

新田潤「月を射つ」(「別冊小説新潮」)

火野葦平「丙午の女」(「別冊小説新潮」)

堀田善「夜の森」(「群像」、~55年2月、連載時の表題は各回异なるが、のち「夜の森」としてまとめられる)

2月

武田泰淳「動物」(「文学界」)

橘外男「赤旗飜えれば」(「面白俱楽部」、~3月、「麻袋の行列」と改題)

檀一雄「白夜物語」(「小説新潮」)

西野辰吉「C町でのノート」(「群像」)

丹羽文雄「包丁」(「サンデー毎日」7日、~7月11日)

安岡章太郎「サアヴィス大隊要員」(「新潮」)

3月

大田洋子「残醜点々:H市歴訪のうち」(「群像」)

大田洋子「半人間」(「世界」)

小川未明「都会の午後五時:逢魔が時のお伽噺」

佐多稲子「車輪の音」(「文学界」)

佐藤春夫「従卒ものがたり:一名『乱世の人』」(「文芸」、「楽しい乱世」と改題)

武田泰淳「ひかりごけ」(「新潮」)

田村泰次郎「黄土の人」(「群像」)

壺井栄「お千久さんの夢」(「文芸」)

永井荷風「吾妻橋」(「中央公論」、署名は荷風散人)

中本たか子「跛の小蠅」(「改造」)

久生十蘭「母子像」(「売新聞」26日、~28日)

広池秋子「オンリー達」(「文芸春秋」)

堀田善「或る公爵の話」(「文芸」)

山川方夫「煙突」(「三田文学」)

4月

安部公房「変形の記録」(「群像」)

石川達三「战いの権化」(『思ひ出の人』北辰堂)

小島信夫「星」(「文学界」)

曽野綾子「遠来の客たち」(「三田文学」)

武田泰淳「紅葉」(「群像」)

安岡章太郎「家庭」(「別冊文芸春秋」)

山田風太郎「最後の晩餐」(「小説俱楽部」)

6月

山季之「実験都市」(「希望」)

小島信夫「城砦の人」(「群像」増刊号)

高木彬光「原子病患者」(「キング」)

武田繁太郎「石狩」(「文芸」)

新田次郎「豆満江」(『秘録大東亜战史:満洲』富士書苑)

長谷川四郎「赤い岩」(「新潮」)

長谷川四郎「北京の春」(「新女苑」、「二つの姿」)

富士正晴「どの日も同じ」(「近代文学」)

棟田博「軍犬一等兵」(「面白俱楽部」)

吉行淳之介「薔薇」(「新潮」)と改題)

7月

大原富枝「巣鴨の恋人」(「別冊小説新潮」)

檀一雄「オーロラ物語」(「小説新潮」)

中野繁雄「死者の顔:ある陸軍法務官の手記から」(「文学者」)

長谷川四郎「シルカ」(「文芸」)

三島由夫「復」(「別冊文芸春秋」)

安岡章太郎「王の耳」(「文芸」)

8月

内田百閒「爆撃調査団」(「東京新聞」24日、~25日)

邱永漢「濁水渓」(「大衆文芸」、~10月)

源氏鶏太『英語屋さん』(東方社)

耕治人「喪われた祖国」(「文芸」、~56年12月)

武田泰淳「声なき男」(「別冊文芸春秋」)

中野重治「司書の死」(「新日本文学」)

三島由夫「女神」(「婦人朝日」、~55年3月)

吉屋信子「嫗の幻想」(「文芸春秋」)

9月

梅崎春生「歯」(「改造」)

小島信夫「アメリカン·スクール」(「文学界」)

霜多正次「軍作業」(「新日本文学」)

野上弥生子「迷路 第六部」(「世界」、~56年10月)

山田風太郎「二十世ノア」(「講談俱楽部」)

10月

池波正太郎「厨房にて」(「大衆文芸」)

石野径一郎「疎開船」(「別冊小説新潮」)

円地文子「黝い紫陽花:一九四○年代の一挿話」(「小説公園」)

小沼丹「白い機影」(「群像」)

川崎長太郎「壕掘り達」(「群像」)

木々高太郎「タンポポの生えた土蔵」(「別冊小説新潮」)

田村泰次郎「裸女のいる隊列」(「別冊文芸春秋」)

壺井栄「歌」(「改造」)

安岡章太郎「体温計」(「新潮」)

11月

梅崎春生「山伏兵長」(「文芸」)

大田洋子「夕凪の街と人と:一九五三年の実態」(「群像」、~「新日本文学」55年8月)

金達寿「故国の人:或る巡警の手記」(「改造」)

曽野綾子「海の御墓」(「文芸」)

高見順「愚園路」(「改造」)

村上兵衛「星落秋風(「新思潮」)

火野葦平「桃太郎」(「文芸春秋」)

村上兵衛「医師と参謀」(「新潮」)

1955

1月

阿川弘之「雲の墓標」(「新潮」、~12月)

円地文子「空の記」(「別冊小説新潮」)

武田泰淳「うつし」(「改造」)

田村泰次郎「わかもの」(「改造」)

檀一雄「舞踏」(「小説新潮」)

中野重治「親との関係」(「改造」)

丹羽文雄「気れの」(「世界」)

藤原審爾「裏切られた女達」(「小説公園」、~56年12月)

堀田善「玄净遺言」(「改造」、「隠者の罪悪」と改題)

2月

池波正太郎「禿頭記」(「大衆文芸」)

尾崎一雄「すみっこ」(「群像」、~3月)

三浦朱門「礁湖」(「三田文学」)

村松梢風「男装の麗人は生きている」(「オール物」)

3月

邱永漢「故園」(「文学界」)

霜多正次「宣誓書」(「文学芸術」)

庄司肇「漂流」(「文芸首都」)

永井荷風「たそがれ時」(「中央公論」)

4月

遠藤周作「学生」(「近代文学」)

柴田錬三郎「近衛兵ストライキ譚」(「小説公園」、「竹橋血闘譚」と改題)

火野葦平「詩」(「群像」、「ある詩人の生涯」と改題)

吉行淳之介「焰の中」(「群像」)

5月

円地文子「水草色の壁」(「文学界」)

遠藤周作「白い人」(「近代文学」、~6月)

椎名麟三「美しい女」(「中央公論」、~9月)

檀一雄「夕日と拳銃」(「売新聞」20日、~56年3月20日)

火野葦平「変てこな战友」(「オール物」)

堀田善「記念碑」(「中央公論」、~8月)

6月

岡松和夫「百合の記憶」(「文芸」、署名は青柳和夫)

小松左京「最初の悔恨」(「ARUKU」、署名は小松実)

長谷川四郎「ガングレン」(「文芸」)

松本清張「赤い籤」(「オール物」)

7月

赤木けい子「ネクスト·ドア」(「群像」)

江戸川乱歩「防空壕」(「文芸」)

木下尚江「一夜の仮寝:尚江遺稿」(「文学」)

木山捷平「耳かき抄」(「オール物」)

田村泰次郎「ある死」(「文芸」)

広津和郎「夾竹桃」(「小説新潮」)

三島由夫「牡丹」(「文芸」)

室生犀星「ワシリイの死と二十人の少女達」(「文芸」)

8月

邱永漢「検察官」(「文学界」)

邱永漢「香港」(「大衆文芸」)

戸川幸夫「落書」(「オール物」)

火野葦平「板門店」(「文芸春秋」)

藤原審爾『みんなが見ている前で』(鱒書房、~2、11月)

9月

佐藤春夫「人生の楽事」(「文芸春秋」、~56年8月)

火野葦平「日本鬼子兵」(「オール物」)

松本清張「尊厳」(「小説公園」)

10月

大城立裕「白い季節」(「琉球新報」13日、~56年3月26日)

開高健「或る声」(「近代文学」)

火野葦平「赤い国の旅人」(「文芸」、~12月)

棟田博「サイパンから来た列車」(「面白俱楽部」)

11月

石川達三「四十八歳の抵抗」(「売新聞」16日、~56年4月13日)

遠藤周作「黄色い人」(「群像」)

後藤明生「赤と黒の記憶」(「文芸」)

庄司肇「熱のある手」(「文芸首都」)

曽野綾子「Good Luck for Everybody!」(「群像」)

中野重治「ある五十台の男」(「新日本文学」)

長谷川四郎「林の中の空地」(「文芸」)

堀田善「曇り日」(「新潮」)

八木義徳「私の辞書」(「新日本文学」)

12月

梅崎春生「上里班長」(「別冊文芸春秋」)

梅崎春生「眼鏡の話」(「文芸春秋」)

円地文子「恩妻」(「オール物」)

大日方伝「祖国は知らないただ一機」(「オール物」)

山季之「米軍進駐」(「新思潮」)

三浦哲郎「十五歳の周囲」(「新潮」)

1956

1月

池波正太郎「機長スタントン」(「大衆文芸」)

遠藤周作「青い小さな葡萄」(「文学界」、~6月)

小島信夫「離れられぬ一隊」(「文芸」)

橘外男「黒竜江の空に」(『神の地は汚された』河出書房)

堀田善「奇妙な青春」(「中央公論」、~4月)

三島由夫「金閣寺」(「新潮」、~10月)

安岡章太郎「トリと豪蔵」(「文芸」、「鶏と豪蔵」と改題)

2月

石川淳「色のマント」(「中央公論」)

井上光晴「トロッコと海鳥」(「新日本文学」)

円地文子「くろい神」(「文芸春秋」)

開高健「円の破れ目」(「近代文学」)

邱永漢「客死」(『密入国者の手記』現代社)

獅子文六「大番」(「週刊朝日」26日、~58年4月27日)

田宮虎彦「冲绳の手記から」(「文芸」)

安岡章太郎「肥った女」(「文学界」)

城信一「炎昼」(「文学界」)

吉行淳之介「湖への旅」(「文芸」)

3月

阿部知二「ある所、ある時」(「知性」)

石川達三「自由詩人」(「別冊文芸春秋」)

邱永漢「刺竹」(「新潮」)

今官 一『壁の花』(芸術社)

田村泰次郎「青鬼」(「中央公論」)

戸川幸夫「昭和白虎隊:冲绳の悲劇」(「小説新潮」)

丰川善一「サーチライト」(「琉大文学」)

中野重治「軒さき」(「文芸」)

吉行淳之介「藺草の匂い」(「新潮」)

4月

牛島春子「アルカリ地帯の町」(「新日本文学」)

武田泰淳「興安嶺の支配者」(「別冊文芸春秋」)

長谷川四郎「楽天堂記」(「文芸」、「古本屋」と改題)

深井迪子「夏の嵐」(「文芸」、~5月)

富士正晴「敬礼演習」(「新日本文学」)

堀田善「G·D からの呼出状:現代怪談集1」(「別冊文芸春秋」)

吉行淳之介「華麗な夕暮」(「群像」)

5月

阿部知二「青い森」(「群像」、~8月)

桂芳久『海曾 の遠くより』(新潮社)

邱永漢「見えない国境」(「小説公園」)

胡桃沢耕史「東から来た男」(「大ール物」、署名は清水正二郎)

小林勝「フォード·一九二七年」(「新日本文学」)

中本たか子「死の鞭と光」(「新日本文学」)

火野葦平「遺骨の人」(「小説新潮」)

藤井重夫『悲風ビルマ战』(霊書房)

八木義徳「女」(新潮」)—安岡章太郎「遁走」(「群像」)

山田風太郎「さようなら」(「キング」別冊)

6月

上林暁「懸賞作家:一名、作家の運命」(「文学界」)

邱永漢「華僑」(『香港』近代生活社)

霜多正次「冲绳島」(「新日本文学」、~57年6月)

庄司肇「渦」(「文芸首都」)

火野葦平「水」(「文芸春秋」)

安岡章太郎「日本コレヒドール島記」(「オール物」)

7月

池波正太郎「キリンと蟇」(「大衆文芸」)

小田実『わが人生の時』(河出書房)

北杜夫「人工の星」(「文芸首都」)

坂口子「蕃地の女:ルピの話」(「別冊小説新潮」)

火野章平「切れぬ鎖」(「別冊小説新潮」)

三島由夫「足の星座」(「才ール物」)

安岡章太郎「驢馬の声」(「文芸」)

8月

木山捷平「逢びき」(「オール物」)

五味川純平『人間の条件』1(三一書房、~6、58年1月)

武田泰淳「ウラニウム青春」(「別冊文芸春秋」)

武田泰淳「汝の母を!」(「新潮)

長谷川四郎「程富山」(「新潮」、「睡眠中の出来事」と改題)

火野葦平「兵隊文楽」(「小説新潮」)

安岡章太郎「銃」(「文芸春秋」)

安岡章太郎「職業の秘密」(「新潮」)

9月

石野径一郎「火の花の島」(「婦人公論」)

円地文子「家のいのち」(「群像」)

大田洋子「ある墜ちた場所」(「世界」)

木山捷平「骨を捜しに来た女」(「小説公園」、「骨さがし」と改題)

小久保均「楽園追放」(「文学界」)

小島信夫「無限後退」(「新潮」)

小山 いと子「遺族船」(「オール物」)

橋爪健「死のは天を覆う:ビキニ被爆漁夫の手記」(「小説新潮」)

長谷川四郎「長い行軍の点」(「新日本文学」)

火野葦平「ちぎられた」(「オール小説」)

10月

阿部知二「山霧」(「文学界」)

大岡昇平「夢」(「文芸春秋」)

木山捷平「耳学問」(「文芸春秋」)

久保田万太郎「雨つづき」(「別冊文芸春秋」)

中野重治「萩のもんかきや」(「群像」)

長谷川四郎「炭坑にて」(「文学界」、のち「家常茶飯」と併せる)

火野葦平「恐しい河」(「小説新潮」)

湯浅克衛「ブラジル高原」(「小説新潮」)

吉行淳之介「废墟と風」(「文芸」)

11月

小林勝「万年海太郎」(「三田文学」)

今日出海「白い花」(「小説新潮」)

立野信之『明治大帝』1(毎日新聞社、~7、59年6月)

堀田善「鬼無鬼島」(「群像」)

室生犀星「杏っ子」(「東京新聞」19日、~57年8月18日)

12月

遠藤周作「ジュルダン病院」(「別冊文芸春秋」)

川上宗薫「残存者」(「文芸」)

小林勝「軍用露語教程」(「新日本文学」)

城山三郎「生命の歌」(「近代批評」)

瀬戸内晴美「女子大生·曲愛玲」(「新潮」)

中村真一郎「恋の重荷」(「文芸」)

長谷川四郎「馬と猫」(「文芸」、「ある画工の話」と改題)

藤枝静男「犬の血」(「近代文学」)

1957

1月

安部公房「けものたちは故郷をめざす」(「群像」、~4月)

木山捷平「節穴」(「小説新潮」)

佐藤春夫「前途展く」(「キング」、~12月)

広津和郎「呉宗援」(「オール物」)

富士正晴「めぐりあい」(「新日本文学」)

山川方夫「日々の死」(「三田文学」、~6月)

2月

井上光晴「弾丸村」(「文学界」)

大原富枝「こだまとの対話」(「世界」)

菊村到「ある战いの手記」(「三田文学」)

小林勝「日本人中学校」(「文学界」)

島村利正「残菊抄」(「素直」)

芹沢光治良「ふるえる頼」(「小説新潮」)

火野葦平「氷と霧」(「小説新潮」)

3月

有馬頼義「ある暗号兵の抵抗」(「オール物」)

池波正太郎「娘のくれた太陽」(「面白俱楽部」)

江崎誠致『ルソンの谷間』(筑摩書房)

円地文子「妻の書きおき」(「婦人公論」)

4月

阿部知二「日月の窓」(「世界」、~58年10月)

小田実「ある登攀」(「三田文学」)

沢野久雄「松前富士」(「文学界」)

曽野綾子『黎明』(講談社)

武田泰淳「妖美人」(「別冊文芸春秋」)

野淵敏「水の歌」(「文学界」)

城信一「鶴の書」(「群像」)

5月

庄司肇「若すぎる:too young」(「千葉文学」)

田村泰次郎「重い車輪」(「中央公論」臨時増刊号)

中蘭英助「密作者」(「近代文学」)

6月

安部公房「夢の丘兵士」(「文学界」)

石原慎太郎「白い翼の男」(「別冊文芸春秋」)

井伏鱒二「十二本の山毛欅」(「別冊文芸春秋」、~60年3月)

遠藤周作「海と毒薬」(「文学界」、~10月、連載時の表題は各回异なるが、のち「海と毒薬」としてまとめられる)

菊村到「硫黄島」(「文学界」)

武田泰淳「バルチック艦隊見ゆ!:妖美人後篇」(「別冊文芸春秋」)

長谷川四郎「家常茶飯」(「世界」、のち「炭坑にて」と併せ同題に改題)

星新一「セキストラ」(「宇宙塵」)

室生犀星「天皇」(『夕映えの男』講談社)

7月

高木俊朗『遺族』(出版協同社)

夏目伸六「黒い豆を誰が喰う」(「オール物」)

火野葦平『新战友愛物語』(小壺天書房)

藤枝静男「掌中果」(「群像」)

8月

池波正太郎「あの男だ!」(「面白俱楽部」)

池波正太郎「将軍」(「小説俱楽部」)

石川達三「人間の壁」(「朝日新聞」24日、~59年4月12日)

江崎誠致「浮囚」(「別冊文芸春秋」)

大江健三郎「死者の奢り」(「文学界」)

五味康祐「もう一度魔笛を吹け」(「別冊文芸春秋」)

今日出海「落日の首相官邸」(「別冊文芸春秋」)

中村真一郎「回転木馬」(「群像」、~10月)

三島由夫「貴顕」(「中央公論」)

9月

木山捷平「ダイヤの指環」(「オール物」)

武田泰淳「誰を方舟に残すか」(「新潮」)

火野葦平「魔の河」(「群像」)

池波正太郎「自衛隊ジェット·パイロット」(「面白俱楽部」)

江崎誠致「カガヤン谷の隠れ家」(「オール物」)

菊村到「ああ江田島」(「別冊文芸春秋」)

邱永漢「長すぎた战争」(「講談俱楽部」臨時増刊号)

今日出海「ひそかな夜襲」(「別冊小説新潮」)

島比呂志「林檎」(『生きてあれば』講談社)

庄野潤三「相客」(「群像」)

武田泰淳「甘い商売」(「別冊文芸春秋」)

中村真一郎「室内旅行」(「合」)

藤枝静男「异物」(「心」)

堀川潭『運命の卵』(芸文書院)

吉行淳之介「武勇談」(「文芸春秋」)

11月

安部公房「鉛の卵」(「群像」)

大城立裕「二世」(「冲绳文学」19日)

霜多正次「軍雇用員」(「文学界」)

全和凰『カンナニの埋葬』(黎明社)

火野葦平「昔の花」(「オール物」)

吉田健一「マクナマス氏行状記:不良外人繁昌す」(オール物」)

12月

有馬頼義「軍犬一等兵」(「別冊文芸春秋」)

遠藤周作「影なき男」(「宝石」、「鉛色の朝」と改題)

菊村到「しかばね衛兵」(「別冊文芸春秋」)

金石範「鴉の死」(「文芸首都」)

木山捷平「花枕」(「小説新潮」)

柴田錬三郎「さかだち」(「文芸春秋」)

田中小実昌「上陸」(「新潮」)

1958

1月

大江健三郎「飼育」(「文学界」)

小林勝「赤い壁の彼方」(「文学界」)

武田泰淳「鶴のドン·キホーテ」(「新潮」)

檀一雄「月光に消える」(「オール物」)

長谷川四郎「通り過ぎる者」(「群像」、~3月)

火野葦平「青春の岐路」(「世界」、~10月)

一福永武彦「地球を遠く離れて」(「別冊小説新潮」、署名は船田学)

富士正晴「崔長英」(「VIKING」)

富士正晴「南雄の美女」(「新日本文学」)

2月

大江健三郎「人間の羊」(「新潮」)

大原富枝「カテリーナ·ニコラーエヴナ」(「小説新潮」)

大原富枝「大草原」(「群像」)

山季之「性のある風景」(「新思潮」)

榛葉英治『赤い雪』(和同出版社)

高見順「文化将軍」(「日本」)

谷崎潤一郎「残虐記」(「婦人公論」、~11月、未完)

檀一雄「街を焦がす野火」(「別冊文芸春秋」)

3月

開高健「なまけもの」(「文学界」)

窪田精「トラック島日記」(「新日本文学」、~10月)

松本清張「黒地の」(「新潮」、~4月)

4月

安部公房「コレラに命を助けられた話」(「京都新聞」13日)

菊村到「風景の挨拶」(「文学界」)

高見順「战後の战場」(「サンデー毎日」別冊)

野上丹治·野上洋子·野上房雄『つづり方兄妹』(理論社)

5月

井上光晴「ガダルカナル战詩集」(「新日本文学」)

大藪春彦「野獣死すべし」(「青炎」)

開高健「フンコロガシ」(「新潮」)

小林勝「第四の死」(「新日本文学」)

6月

大江健三郎「芽むしり仔撃ち」(「群像」)

尾崎士郎「運の良さ」(「オール物」)

上林暁「同窓会」(「新潮」)

木山捷平「お守り札」(「別冊文芸春秋」)

7月

池波正太郎「母ふたり」(「面白俱楽部」)

小林勝「訪問者」(「群像」)

高見順「三面鏡」(「熊本日日新聞」18日、~59年2月24日)

富士正晴「傍観者」(「近代文学」)

8月

今西祐行「原子雲のイニシアル」(「朝日小学生新聞」7日)

遠藤周作「夏の光」(「新潮」)

菊村到「屠殺者」(「オール物」)

野間宏「コレヒドールへ」(「別冊文芸春秋」)

火野葦平「象と兵隊」(「別冊文芸春秋」)

藤枝静男「明かるい場所」(「群像」)

9月

大江健三郎「战いの今日」(「中央公論」)

大江健三郎「不意の啞」(「新潮」)

北杜夫「浮漂」(「文芸首都」)

北杜夫「星のない街路」(「近代文学」)

邱永漢「惜別亭」(「オール物」)

小島信夫「城壁」(「美術手帖」)

火野葦平「上陸記念碑」(「小説新潮」)

10月

遠藤周作「地なり」(「中央公論」)

遠藤周作「松葉杖の男」(「文学界」)

大田洋子「病葉」(「群像」)

開高健「一日のりに」(「文芸春秋」)

開高健「白日の白とに」(「文学界」)

木山捷平「男の約束」(「別冊小説新潮」)

安岡章太郎「青葉しげれる」(「中央公論」)

11月

大江賢次『アゴ伝』(新制社)

金達寿「朴達の裁判」(「新日本文学」)

邱永漢「海の口紅」(『惜別亭』文芸評論新社)

丰田穣「荒野の人」(「文学界」、署名は大谷誠)

富士正晴「素直な奴」(「VIKING」)

城信一「インドネシアの空」(「群像」)

12月

有馬頼義「銃後」(「別冊文芸春秋」)

井上光晴「虚構のクレーン」(「現代批評」、~59年4·5月合併号)

大城立裕「棒兵隊」(「新潮」)

戸川幸夫『翳ある落日』(東都書房)

日影丈吉「食人鬼」(「別冊宝石」)

1959

1月

円地文子「私も燃えている」(「東京新聞」13日、~12月6日)

開高健「日本三文オペラ」(「文学界」、~7月)

開高健「流亡記F·K氏に」(「中央公論」臨時増刊号)

耕治人「根がけ」(「別冊小説新潮」)

严沢光治良「鳩の妻」(「別冊小説新潮」)

高見順「ある少年期」(「世界」、~63年11月、連載時の表題は各回异なるが、のち「激流」としてまとめられる、未完)

武田泰淳「貴族の階段」(「中央公論」、~5月)

火野葦平「黒い運命」(「別冊小説新潮」)

星新一「治療」(「宝石」)」

安岡章太郎「美しい瞳」(「文学界」)

吉屋信子「遺伝」(「小説新潮」)

2月

有吉佐和子「祈薦」(「文学界」)

江崎誠致「ボントック収容所」(「別冊文芸春秋」)

畔柳二美「雲の流れ」(「小説新潮」)

椎名麟三「寒暖計」(「新潮」)

火野葦平「黒い」(「小説新潮」)

3月

今日出海「比島战遺聞」(「オール物」)

長谷川四郎「ハーリヒという男」(「現代芸術」)

藤枝静男「うじ虫」(「文学界」)

4月

井上光晴「死者の時」(「新日本文学」、60年9月)

遠藤周作「イヤな奴」(「新潮」)

小島信夫「善兵衛のこと」(「小説新潮」)

城山三郎「爆音」(「週刊新潮」20日)

5月

尾崎秀樹『生きているユダ』(八雲書店)

小島信夫「墓碑銘」(「世界」、~60年2月)

長谷川四郎「サハリン島にて」(「世界」)

火野葦平「革命前後」(「中央公論」、~12月)

6月

高橋達三「匙」(「オール物」)

長谷川四郎「登山帽の男」(「全逓新聞」10日、~60年2月10日)

火野葦平「辞職峠」(「小説新潮」)

安岡章太郎「相も変らず」(「新潮」)

7月

窪田精「トラック島の会」(「中央公論」臨時増刊号)

後藤明生「丘の上」(『売短篇小説集』文苑社、「异邦人」と改題)

武田泰淳「「ゴジラ」の来る夜」(「日本」)

立野信之「日比谷焼打」(「別冊小説新潮」)

8月

石川淳「獅子のファルス」(「新潮」)

石原慎太郎「顔のない男」(「オール物」)

開高健「屋根裏の独白」(「世界」)

木山捷平「コレラ船」(「日本」)

星新一「廃墟」(「宝石」)

9月

有馬頼義「遺書配達人」(「週刊文春」7日、~12月14日)

石田耕治「雲の記憶」(「群像」)

江崎誠致「復員船」(「別冊文芸春秋」)

遠藤周作「従軍司祭」(「世界」)

大城立裕「小説 琉球処分」(「琉球新報」5日、~60年10月25日)

木山捷平「修身の時間」(「別冊文芸春秋」)

10月

江崎誠致「第八キャンプ」(「中央公論」臨時增刊号)

江崎誠致『ルバング島』(光文社、「小さな皇軍」と改題)

遠藤周作「异郷の友」(「中央公論」臨時增刊号)

佐多稲子「色の午後」(「群像」、~60年2月)

立野信之「騒擾の果て」(「別冊小説新潮」)

八木義徳「きげんのいい男」(「中央公論」臨時增刊号)

11月

遠藤周作「あまりに碧い空」(「新潮」)

城山三郎「浮上」(「オール物」)

堀田善「零から数えて」(「文学界」、60年2月)

安岡章太郎「海辺の光景」(「群像」、~12月)

12月

石田耕治「ある夏の日に」(「安芸文学」)

円地文子「老桜」(「群像」)

岡松和夫「密使」(「文学界」)

木山捷平「帰る所」(「群像」)

中村きい子「間引子」(「サークル村」)

日影丈吉『内部の真実』(講談社)

松本清張『ゼロの焦点』(光文社)

1960

1月

石原慎太郎「日本零年」(「文学界」、62年2月)

井上光晴『虚構のクレーン』(未来社)

梅崎春生「ある失踪」(「新潮」)

円地文子「傷ある翼」(「中央公論」)

大江健三郎「勇敢な兵士の弟」(「文芸春秋」)

高見順「いやな感じ」(「文学界」、~63年5月)

徳留徳「艤」(「新日本文学」)

火野葦平「勲章」(「小説新潮」)

堀田善「審判」(「世界」、~63年3月)

松本清張「日本の黒い霧」(「文芸春秋」、~12月)

2月

有馬頼義「第三の現場」(「オール物」)

椎名麟三「と毒」(「中央公論」、~6月)

富士正晴「足の裏」(「近代文学」)

吉屋信子「西太后の壺」(「オール物」)

3月

今西祐行「あるはんの木の話」(「児童文芸」、「あるハンノキの話」と改題)

今日出海「隠者」(「小説新潮」)

野間宏「わが稲妻」(「新潮」)

吉屋信子「蕃社の落日」(「別冊文芸春秋」)

4月

江崎誠致「殺意の果て」(「別冊小説新潮」)

金石範「糞と自由と」(「文芸首都」)

黒岩重吾「病葉の踊り」(「近代説話」)

安岡章太郎「餓」(「声」)

5月

井上光晴「完全な堕落」(「新潮」)

上田広「マニラ河童伝:火野葦平君の思い出」(「オール物」)

円地文子『高原抒情』(雪華社)

開高健「ロビンソンの末裔」(「中央公論」、~11月)

北杜夫「夜と霧の隅で」(「新潮」)

多岐川恭『静かな教授』(河出書房新社)

6月

井上光晴「手の家」(「文学界」)

筒井康隆「タイム·マシン」(「NULL」)

吉屋信子「昌徳宮の石人」(「オール物」)

7月

江崎誠致「慰安婦妻」(「別冊小説新潮」)

江崎誠致「一刷毛の血」(「小説中央公論」)

小島信夫「小さな歴史」(「文学界」)

小林勝「架橋」(「文学界」)

庄野潤三「土人の話」(「小説中央公論」)

野間宏「原隊復帰」(「小説中央公論」)

安岡章太郎「幹候志願」(「小説中央公論」)

8月

阿部昭「月の出なし」(「新人壇」)

池波正太郎「踏切は知っている」(「週刊文春」」1日)

長谷川四郎「ベルリンだより」(「みすず」、~9月、「柵の中」と改題)

星新一「最高の作战:宇宙の霊長たち」(「文芸春秋 漫画本」)

城信一「通遼日記」(「群像」)

9月

有馬頼義「王道楽土」(「別冊文芸春秋」)

江崎誠致「スピンドル油」(「日本」)

北杜夫「遥かな国 遠い国」(「新潮」)

霜多正次「重い時間」(「文学界」)

新田次郎「夕日」(「別冊文芸春秋」)

10月

大西巨人「神聖喜劇」(「新日本文学」、~70年10月)

星新一「信用ある製品」(「ヒッチュック·マガジン」)

室生犀星「我が草の記」(「群像」)

安岡章太郎「革の臭い」(「群像」)

安岡伸好「遠い海」(「群像」)

吉屋信子「バタビアの鸚鵡」(「オール物」)

11月

阿川弘之「青葉の翳り」(「群像」)

坂口褐子「蕃婦ロボウの話」(「詩と真実」)

星新一「生活維持省」(「宝石」)

横溝正史「白と黒」(「日刊スポーツ」1日、~61年9月20月)

石川淳「ばけの皮」(「別冊文芸春秋\])

小林勝「その席がない」(「文学界」)

霜多正次「模範労務者」(「リアリズム」)

三浦朱門「不在证明」(「群像」)

1961

1月

井伏鱒二「南島風土記」(「新潮」)

円地文子「南の肌」(「小説新潮」、~12月)

大江健三郎「幸福な若いギリアク人」(「小説中央公論」)

大江健三郎「セヴンティーン」(「文学界」)

富士正晴「帝国軍隊における学習·序」(「新日本文学」)

星新一「友好使節」(「週刊売」8日)

三島由夫「憂国」(「小説中央公論」)

2月

石田耕治「流れと叫び」(「安芸文学」)

大江健三郎「政治少年死す:セヴンティーン2」(「文学界」)

藤枝静男「凶徒津田三蔵」(「群像」)

星新一「復」(「北海道新聞」19日)

3月

梅崎春生「演習旅行」(「世界」)

佐多稲子「色のない画」(「新日本文学」)

獅子文六「箱根山」(「朝日新聞」17日、~10月7日)

三浦哲郎「村の災難」(「文学界」)

城昌治『の中:刑余者更生会殺人事件』(新潮社)

4月

伊藤桂一「黄土の記憶」(「近代説話」)

倉橋由美子『人間のない神』(角川書店)

胡桃沢耕史「東干」(「近代説話」、署名は清水正二郎)

吉行淳之介「流行」(「文芸春秋」)

5月

石川達三「僕たちの失敗」(「売新聞」15日、~11月11日)

開高健「眼のスケッチ」(「新潮」)

菊田一夫「混血記」(「オール物」)

日影丈吉『応家の人々』(東都書房)

星新一「待機」(「宝石」)

6月

いいだ·もも「斥候よ、夜はなお長きや』(角川書店)

北杜夫「第三惑星ホラ株式会社」(「オール物」)

中薗英助『密書』(光文社)

星新一「狙われた星」(「ヒッチコック·マガジン」)

7月

開高健「声だけの人たち」(「小説中央公論」)

木下順二「冲绳」(「群像」)

城山三郎「捕虜の居た駅」(「小説中央公論」)

松本清張「厭战」(「別冊新日本文学」)

8月

江崎誠致「十字路」(「文学界」、~64年9月)

霜多正次「虜囚の歌」(「文学界」、「虜囚の哭」と改題)

田久保英夫「解禁」(「新潮」)

三浦哲郎「驢馬」(「文学界」)

9月

円地文子「女の繭」(「日本済新聞」16日、~62年6月18日)

菊村到「被爆」(「オール物」)

多岐川恭『人でなしの遍歴』(東都書房)

平林たい子「黒い夫」(「小説新潮」)

10月

泉大八「星と海」(「小説中央公論」)

円地文子「猪の風呂」(「小説中央公論」)

筒井康隆「廃墟」(「宝石」)

安岡章太郎「むし暑い朝」(「中央公論」)

山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」(「婦人画報」、~62年8月)

色川武大「黒い布」(「中央公論」)

富士正晴「死ぬ奴」(「新日本文学」)

吉屋信子「誰かが私に似ている」(「オール物」)

阿部知二「島」(「群像」)

江崎誠致「二人三脚」(「文芸春秋」)

長谷川四郎『ベルリン物語』(勁草書房、「ベルリン一九六〇」と改題)

星新一「調査」(『悪魔のいる天国』中央公論社)

1962

1月

伊藤整「母の記憶」(「世界」)

北杜夫「楡家の人びと」(「新潮」、~12月)

辻邦生「影」(「近代文学」)

野口士男「白い小さな紙片」(「風景」)

福本和也「海の柩」(「オール物」)

松本清張「北の詩人」(「中央公論」、~63年3月)

三島由夫「美しい星」(「新潮」、~11月)

三島由夫「帽子の花」(「群像」)

2月

河野多惠子「塀の中」(「文学者」)

小林勝「紙背」(「文学界」)

杉森久英『天才と狂人の間』(河出書房新社)

筒井康隆「怪物たちの夜」(「科学朝日」)

3月

伊藤桂一「蛍の河」(「文芸春秋」)

開高健「森と骨と人達」(「新潮」)

中村真一郎「生き残った恐怖」(「群像」)

星新一「宇宙のネロ」(「文芸春秋 漫画本」)

松本清張「象徴の設計」(「文芸」、~63年6月)

室生犀星「明治の思い」(「小説新潮」)

4月

伊藤桂一『水と微風の世界』(中央公論社)

伊藤桂一「水の琴」(「オール物」)

円地文子「小さい乳房」(「文芸」、~8月)

山季之「浜松市街战」(「オール物」)

棟田博「拝啓天皇陛下樣」(「週刊現代」1日、~10月14日)

城昌治『ゴメスの名はゴメス』(早川書房)

5月

有馬頼義「狼葬」(「オール物」)

伊藤整「年々の花」(「小説中央公論」、~63年8月)

菊村到「狙撃」(「文芸春秋」)

倉橋由美子「輪廻」(「小説中央公論」)

檀一雄「恋と吹雪と砲弾」(「オール物」)

中薗英助『炎の中の鉛』(三一書房、「無国籍者」と改題)

6月

佐藤春夫「小説 战争職人命ありき」(「芸術生活」)

中薗英助「日本人嫌い」(「新日本文学」)

日野啓三「溶けろ、ソウル」(「文芸」)

7月

開高健「エスキモー」(「文学界」)

木山捷平『大陸の道』(新潮社)

小林勝「無名の旗手たち」(「文学界」)

佐藤春夫「小説 余生悲し战争職人」(「芸術生活」)

城山三郎「命令者」(「小説中央公論」)

筒井康隆「やぶれかぶれのオロ氏」(「NULL」)

8月

石田耕治「死の壁の中で」(「新日本文学」)

木山捷平「苦いお茶」(「新潮」)

今日泊亜蘭『光の塔』(東都書房)

星新一「プレゼント」(「週刊漫画サンデー」22日)

堀田善「黒い旗」(「文学界」)

山川方夫「夏の葬列:親しい友人たち7」(「ヒッチコック·マガ ジン」)

9月

阿川弘之「霧の中の艦隊:キスカ撤収」(「オール物」)

伊藤桂 一「黄土の女狼」(「小説中央公論」)

伊藤桂一「「幻の栄光」滅ぶ:関東軍の最後」(「オール物」)

井上光晴「荒廃の夏」(「新日本文学」、65年10月)

江崎誠致「空しき転進:ルソン放浪」(「オール物」)

川村晃「二十歳」(「文学界」)

菊村到「硫黄島の太陽:硫黄島玉砕」(「オール物」)

島尾敏雄「出発は遂に訪れず」(「群像」)

陳舜臣「九雷渓」(「小説中央公論」)

真鍋呉夫「単独飛行:君子ハ怪刀乱神ヲ語ラズ論語」(「文芸」)

村上兵衛「死闘の島:冲绳決战」(「オール物」)

10月

井伏鱒二「故原陸軍中尉:「寄生木」のダイジェスト篇」(「新潮」)

梅崎春生「最後部処置なし」(「小説新潮」)

武田泰淳「ピラミッド附近の行方不明者」(「群像」)

11月

菊村到「無名战記」(「小説中央公論」)

木山捷平「豆と女房」(「新潮」)

小林勝「砂粒と風と」(「文学界」)

西条俱吉「カナダ館一九四一年」(「中央公論」)

松本清張「よごれた虹」(「オール物」)

宮尾登美子「連」(「婦人公論」、署名は前田とみ子)

安岡章太郎「軍歌」(「新潮」)

小松左京「コップー杯の战争」(「NULL」)

陳舜臣『怒りの菩薩』(桃源社)

筒井康隆「睡魔のいる夏」(「NULL」)

藤枝静男「ヤゴの分際」(「群像」)

星新一「気まぐれな星」(「オール物」)

宮尾登美子「水の城」(「小説中央公論」、署名は前田とみ子)

1963

1月

石川淳「荒魂」(「新潮」、~64年5月)

伊藤桂一「影と貝殼」(「オール物」)

梅崎春生「狂い凧」(「群像」、~5月)

木山捷平「最低」(「別冊小説新潮」)

小松左京「地には平和を」(「宇宙塵」)

星新一「初雪」(「文芸春秋 漫画本」)

2月

阿部昭「再会」(「文学界」)

開高健「太った」(「文学界」)

高見順「匕首」(「小説新潮」)

星新一「危機」(「新刊 ニュース」15日)

安岡章太郎「焼き栗とアスパラガスの街」(「群像」)

山岡荘八「小説 太平洋战争」(「小説現代」、~71年10月)

3月

山季之「李朝残影」(「別冊文芸春秋」)

田宮虎彦「姫百合」(「文芸朝日」)

陳舜臣「天山に消える」(「オール物」)

松本清張「屈折回路」(「文学界」、~65年2月)

水上勉「水仙」(「オール物」)

三原誠「たたかい」(「文学界」)

4月

有馬頼義「松岡洋右その謎」(「オール物」)

有吉佐和子「非色」(「中央公論」、~64年6月)

尾崎士郎「悲劇の将軍本間雅晴」(「オール物」)

小林勝「零地点」(「文学界」)

堀田善「スフィンクス」(「エコノミスト」2日、~64年4月21日)

松本清張「走路:絢爛たる流離4」(「婦人公論」)

三好徹『風は故郷に向う』(早川書房)

山田風太郎『太陽黒点』(桃源社)

5月

有馬頼義「貴三郎一代」(「文芸春秋」、~64年12月、「兵隊やくざ」と改題)

伊藤桂一「急流」(「オール物」)

井伏鱒二「芦安一等兵」(「中央公論」)

開高健「見た」(「文芸」)

北杜夫「月世界征服」(「朝日新聞」11日)

小松左京「失格者」(「SFマガジン」)

里見弴「笑い顔」(「オール物」)

高見順「尻の穴」(「群像」)

中薗英助『密航定期便』(新潮社)

中野重治「プロクラス ティネーション」(「群像」、のち「三人」と併せる)

文沢隆一「重い車」(「群像」)

星新一「不景気」(「サンデー毎日」別冊)

眉村卓『燃える傾斜』(東都書房)

6月

有馬頼義「生存者の沈黙」(「小説中央公論」、~10月)

遠藤周作「一·二·三!」(「北海タイムス」6日、~12月)

川崎彰彦「まるい世界」(「新日本文学」)

中野重治「三人」(「群像」、のち「ブロクラスティネーション」と併せ同題に改題)

星新一「羽衣」(「SF マガジン」)

7月

安藤鶴夫『巷談本牧亭』(桃源社)

石和鷹「恢復」(「小説と詩と評論」、署名は水城顕)

井上光晴「地の群れ」(「文芸」)

梅崎春生「大夕焼」(「小説新潮」、~9月)

河野多惠子「わかれ」(「新潮」)

高見順「不遇」(「小説中央公論」)

立野信之『昭和軍閥:勃興篇』(講談社)

立野信之『昭和軍閥:激動篇』(講談社)

戸川幸夫「アッツ島玉砕」(「オール物」)

戸川幸夫『悲しき太平洋』(講談社)

8月

伊藤桂一「眩暈」(「小説現代」)

山季之「ラバウル海賊隊」(「オール物」)

菊村到「幻のスイス战工作」(「オール物」)

小山いと子「GHQ舞台裏の夫人たち」(「オール物」)

榛葉英治「満州残酷物語」(「オール物」)

高橋和巳「散華」(「文芸」)

高見順「三木清の獄死」(「オール物」)

9月

石川淳「ゆう女始末」(「世界」)

山季之「船」(「別冊文芸春秋」)

北杜夫「残された人々」(「新潮」、~64年3月、「楡家の人びと 第二部」と改題)

小松左京「ホムンよ故郷を見よ」(「宇宙塵」、~10月)

戸川幸夫「栄光の战艦「金剛」」(「オール物」)

中野重治「帰京」(「群像」)

赤木由子「焚刑」(「日通文学」)

伊藤桂一「灯のありか」(「オール物」)

川村晃「復」(「文学界」)

小松左京「影が重なる時」(「SF マガジン」)

戸川幸夫「神雷部隊突入す」(「オール物」)

11月

阿川弘之「歪んだ自画像」(「新潮」)

遠藤周作「札の辻」(「新潮」)

庄野英二『星の牧場』(理論社)

城山三郎「硫黄島に死す」(「文芸春秋」)

星新一「ある战い:1三つの劇的なカプセル2」(「サンデー毎日」別冊)

有馬頼義「小説 靖国神社」(「オール物」)

井上光晴「遺書」(「世代」)

遠藤周作「海の沈黙」(「週刊新潮」2日、~64年5月4日、「のよぶ声」と改題)

遠藤周作「入営の日」(「オール物」)

小田実「折れた剣」(「文芸」)

倉橋由美子「死刑執行人」(「風景」)

杉森久英「悲劇の本間雅晴」(「小説新潮」)

竹西寛子「儀式」(「文芸」)

戸川幸夫「小説山本五十六」(「小説新潮」)

1964

1月

いいだ·もも「アメリカの英雄」(「新日本文学」、~9月)

石川達三「挫折」(「世界」)

色藤桂一「通天門」(『悲しき战記』新潮社)

大江健三郎「アトミック·エイジの守護神」(「群像」)

木山捷平「弾痕」(「群像」)

河野多惠子「遠い夏」(「文学界」)

田村泰次郎「女拓」(「中央公論」、~12月)

筒井康隆「幻想の未来」(「宇宙塵」、~7月)

三島由夫「絹と明察」(「群像」、~10月)

2月

石原慎太郎「行為と死」(「文芸」)

遠藤周作「爾も、また」(「文学界」、~65年2月)

早乙女勝元『火の瞳』(講談社)

3月

有馬頼義「兵は、徐州へ」(「別冊文芸春秋」)

井上光晴「他国の死」(「朝日ジャーナル」1日、~12月27日)

小松左京『日本アパッチ族』(光文社)

立野信之「「蘆溝橋」謎の一弾」(「オール物」)

田村泰次郎「男鹿」(「群像」)

堀田善「あるヴェトナム人」(「文学界」)

4月

有馬頼義「反战」(「オール物」)

伊藤桂一「波と鷗」(「オール物」)

円地文子「」(「小説新潮」)

北杜夫『楡家の人びと』(新潮社)

耕治人「赤い獄衣」(「自由」)

小松左京「エスパイ」(「週刊漫画サンデー」8日、~10月7日)

中谷孝雄「のどかな战場」(「群像」)

水上勉「比良の満月」(「週刊文春」日)

5月

井上光晴「スターリン」(「文学界」)

川崎彰彦「伊平の战日記」(「新日本文学」)

川村晃「若い廃墟」(『若い廃墟:芥川賞作家シリーズ』学習研究社)

小松左京「召集令状」(「オール物」)

立原正秋「薪能」(「新潮」)

筒井康隆「トーチカ」(「宝石」)

星新一「ひとつの装置」(「PL青年」)

6月

杉浦明平「壁の耳」(「世界」)

杉森久英「豪勇長中将の最後」(「小説新潮」)

戸川幸夫「捕虜部隊進軍」(「小説新潮」)

星新一「ボタン星からの贈り物」(「文芸春秋 漫画本」)

山口瞳「マジメ人間」(「別冊文芸春秋」)

7月

石原慎太郎「歴史の外で」(「オール物」)

円地文子「賭けるもの」(「売新聞」20日、~65年7月22日)

小松左京「正午にいっせいに」(「人間の科学」)

庄野潤三「曠野」(「群像」)

水上勉「猿籠の牡丹」(「オール物」)

城昌治「あるスパイとの訣別」(「オール物」)

8月

有馬頼義「近衛文麿の敗北」(「オール物」)

河野多惠子「みち潮」(「文学界」)

小松左京『復活の日』(早川書房)

佐藤愛子「加大尉夫人」(「文学界」)

榛葉英治「城壁」(「文芸」)

星新一「未知の星へ」(「漫画文芸」)

9月

遠藤周作「帰郷」(「群像」)

田村泰次郎「蝗」(「文芸」)

長崎源之助「焼けあとの白鳥」(「びわの実学校」)

日影丈吉「虹」(「推理ストーリー」)

水上勉「有明物語」(「別冊文芸春秋」)

10月

伊藤桂一「雨季」(「オール物」)

木山捷平「清流」(「小説新潮」)

城山三郎「鼠」(「文学界」、66年3月)

11月

秋原勝二「暗夜」(「作文」、~65年5月、「李という無頼漢」と改題)

菊村到「赤い服の日本兵」(「オール物」)

小島政二郎「揚子江溯江艦隊」(「小説新潮」)

田村泰次郎「地電原」(「群像」)

陳舜臣「七十六号の男」(「オール物」)

光瀬龍『たそがれに還る』(早川書房))

12月

有馬頼義「小隊長、前へ」(「別冊文芸春秋」)

江崎誠致「女囚の頸」(「別冊文芸春秋」、「岩棚」と改題)

木山捷平「七月の情熱」(「小説新潮」)

深沢七郎「甲州子守唄」(「群像」)

山川方夫「千鶴」(「小説現代」)

1965

1月

有馬頼義「赤い天使」(「文芸」、~10月)

井伏鱒二「の婚」(「新潮」、~66年9月、連載中に「黒い雨」と改題)

開高健「青い月曜日」(「文学界」、~67年4月)

山季之「女の やどかりの詩」(「小説現代」)

小松左京「明日泥棒」(「週刊現代」1日、~7月15日)

獅子文六「父の乳」(「主婦の友」、~67年12月)

中野重治「甲乙丙丁」(「群像」、~69年9月)

水上勉「悲母観音」(「小説現代」、66年12月、「北国の女の物語」と改題)

2月

梅崎春生「朱色の天」(「群像」)

小松左京「果しなき流れの果に」(「SF マガジン」、~11月)

五味川純平『战争と人間』1(三一書房、~18、82年12月)

富士正晴「徴用老人列伝」(「文学界」)

3月

伊藤桂一「愛深き夏」(「小説現代」)

牛島春子「ある通信員の手記」(「新日本文学」)

円地文子「虹と修羅」(「文学界」、~67年3月)

遠藤周作「留学」(「群像」)

小田実「泥の世界」(「文芸」)

木山捷平「太常の妻」(「新潮」)

立川洋三「壁のある町で」(「文学界」)

田村泰次郎「一つの日没」(「小説新潮」)

長谷川四郎「分遣隊」(「展望」)

三好徹『風に消えた男』(角川書店)

4月

阿川弘之「軍艦ポルカ」(「小説新潮」)

有馬頼義「战乱」(「オール物」)

立原正秋「剣ヶ崎」(「新潮」)

なだいなだ「カペー氏はレジスタンスをしたのだ」(「文学界」)

平林たい子「宇品ちかく」(「小説新潮」)

星新一「おみやげ」(「朝日新聞」览日)

吉屋信子「海幻譚」(「中央公論」)

5月

有馬頼義「·貴三郎一代」(「文芸春秋」、~66年8月、「·兵隊やくざ」と改題)

伊藤桂一「名を呼ぶとき」(「オール物」)

梅崎春生「年」(「小説新潮」)

星新一「奇妙な旅行」(「旅の手帖」)

6月

阿部昭「幼年詩篇」(「文学界」)

梅崎春生「幻化」(「新潮」)

小松左京「四ッ矢怪談」(「FIVE 6 SEVEN」)

佐藤愛子「隊長」(「文芸」)

高橋和巳「堕落:あるいは、内なる曠野」(「文芸」)

中薗英助「トリップル·スパイ」(「小説現代」)

新田次郎「望郷」(「別冊文芸春秋」)

野口士男「流星抄」(「文芸」)

藤枝静男「魁生老人」(「群像」)

堀田善「水牛の話」(「文学界」)

三島由夫「朝の純愛」(「日本」)

城昌治「風の報酬」(「別冊文芸春秋」)

7月

江崎誠致「真珠湾の九軍神」(「別冊小説新潮」)

開高健「兵士の報酬」(「新潮」)

小松左京「Mは2度泣く」(「EQMM」臨時增刊号)

小松左京「五月の晴れた日に」(「SF マガジン」)

筒井康隆「東海道战争」(「SF マガジン」)

野坂昭如「浣腸とマリア」(「小説現代」)

8月

有馬頼義「一九三九年夏」(「オール物」)

井上光晴「若い父親:掌小説1:わたくしの実験作品」(「図書新聞」7日)

井上光晴「土堤からの声:短篇小説2:わたくし夏」(「図書新聞」14日)

井上光晴「ペぃうぉん上等兵:短篇小説3:わたくしの夏」(「図書新聞」21日)

色川武大「蒼」(「風景」)

梅崎春生「火」(「新潮」)

円地文子「あざやかな女」(「小説新潮」、~10月)

黒岩重吾「兵隊と人間の間」(「オール物」)

小林勝「瞻星」(「新日本文学」)

榛葉英治「撫子と海」(「オール物」)

高井有一「北の河」(「犀」)

田村泰次郎「黄塵に消える」(「小説現代」)

田村泰次郎「山上陣地」(「オール物」)

筒井康隆「堕地獄仏法」(「SF マガジン」)

吉原公一郎「小説第三次大战」(「文芸」)

9月

生島治郎『黄土の奔流』(光文社)

伊藤桂一「山麓の祭」(「オール物」)

高橋和巳「あの花この花」(「文学界」)

立原正秋「薔薇屋敷」(「新潮」)

戸川昌子「白い密林」(「小説現代」)

富士正晴「しがんだれ」(「オール物」)

三島由夫「春の雪:丰饒の海1」(「新潮」、~67年1月)

水上勉「谷間:現代北国雪譜より」(「オール物」)

井上光晴「夏の客」(「潮」)

小松左京「南海太閤記」(「歴史本」)

瀬戸内晴美「ひとつの夏」(「オール物」)

松本清張「Dの複合」(「宝石」、~68年3月)

三浦哲郎「二十年」(「文芸」)

11月

伊藤桂一「故山への出発」(『黄土の狼』講談社)

獅子文六「次ぎの日米战」(「太陽」)

田辺聖子『私の大阪八景』(文芸春秋新社)

なだいなだ「童話」(「文学界」)

新田次郎「餓島」(「小説現代」)

長谷川四郎「炊事兵」(「群像」)

伊藤桂一「战場·性·女たち」(「オール物」)

小松左京「幽霊時代」(「宝石」)

獅子文六「战後の英霊」(「太陽」)

陳舜臣「スマトラに沈む」(「オール物」)

筒井康隆『48億の妄想』(早川書房)

1966

1月

井上光晴「黒い森林」(「展望」、~12月)

今江祥智「あのこ」(「日本児童文学」)

開高健「渚から来るもの」(「朝日ジャーナル」2日、~10月30日)

開高健「フロリダに帰る」(「文芸」)

獅子文六「出る幕」(「小説新潮」)

野上弥生子「鈴蘭:どこかのバスの停留所にも」(「世界」)

福永武彦「死の島」(「文芸」、~71年8月)

星新一「あるスパイの物語」(「アサヒグラフ」7日)

堀田善「若き日の詩人たちの肖像」(「文芸」、~68年5月)

2月

桂芳久「氷牡丹」(「風景」)

小松左京「黴」(「SF マガジン」)

筒井康隆「マグロマル」(「SF マガジン」)

3月

赤木由子『二つの国の物語』1、(理論社、~3、81年3月)

今日泊亜蘭「幻兵団」(「丸」)

小松左京「TDS とSD の不吉な夜」(「話の特集」)

佐藤愛子「はがれた爪」(「風景」)

千葉治平『虜愁記』(文芸春秋)

長谷川四郎「加古一等兵の面影」(「中央公論」)

日野啓三「向う側」(「審美」、署名は野火啓)

松本清張「監」(「別冊文芸春秋」)

4月

嘉陽安男「捕虜」(「新冲绳文学」)

窪田精「遠いレイテの海」(「民主文学」)

小松左京「比丘尼の死」(「オール物」)

長堂英吉「黒人街」(「新冲绳文学」)

星新一「凍った時間」(『黒い光』秋田書店)

真伸彦「石こそ語れ」(「文芸」)

真鍋呉夫「飛ぶ男」(「文芸」)

5月

阿川弘之「舷灯」(「群像」)

有馬頼義「分身」(「中央公論」)

伊藤桂一「遺書の周辺」(「オール物」)

堀田善「ルイス·カトウ·カトウ君」(「文学界」)

三浦哲郎「乳房」(「新潮」)

6月

生島治郎「やさしい密告者」(「オール物」)

五木寛之「さらば、モスクワ愚連隊」(「小説現代」)

遠藤周作「どっこいショ」(「売新聞」9日、~67年5月15日)

今日泊亜蘭「確率空中战」(「丸」)

三島由夫「英霊の声」(「文芸」)

三好徹「沈黙の敵」(「オール物」)

吉行淳之介「曲った背中」(「群像」)

7月

江崎誠致「ニナンガ警備隊」(「別冊小説新潮」)

大城立裕「亀甲墓」(「新冲绳文学」)

山季之「甘い廃坑」(「オール物」)

川崎彰彦「ノギタイショー」(「新日本文学」)

黒岩重吾「孤猿の途」(「小説現代」、~67年8月)

鈴木隆『けんかえれじい』1、2(理論社)

筒井康隆「トラブル」(SF マガジン」)

野口士男「石蹴り」(「風景」)

長谷川四郎「駐屯軍演芸大会」(「展望」)

日野啓三「広場」(「南北」)

丸谷才一『笹まくら』(河出書房新社)

8月

井上光晴「仮装行列」(「群像」、「乾草の車」と改題)

霜多正次「波」(「民主文学」)

中薗英助「風車作战」(「小説新潮」)

南条範夫「シベリヤ鉄道」(「小説新潮」)

野呂邦暢「壁の」(「文学界」)

眉村卓「最後の战闘」(「丸」)

9月

阿部昭「手」(「文学界」)

大城立裕「逆光のなかで」(「新冲绳文学」)

今日泊亜蘭「みどりの星」(「丸」)

田久保英夫「水いらず」(「風景」)

田村泰次郎「失われた男」(「群像」)

筒井康隆「馬の首風雲録」(「SF マガジン」、~67年2月

三好徹『風塵地帯』(三一書房)

吉村昭「战艦武蔵」(「新潮」)

10月

円地文子「心中の話」(「小説新潮」)

小田勝造「人間の」(「郵政」)

田村泰次郎「水筒のなかの男」(小説新潮」)

長尾宇迦「山人記」(「小説現代」)

野坂昭如「横浜·SEX八景」(「オール物」)

丸谷才一「贈り物」(「風景」)

三浦朱門「战記念日」(「小説新潮」)

11月

五木寛之「GI ブルース」(「オール物」)

伊藤桂一「山麓の敵」(「小説現代」)

立野信之『茫々の記』(東都書房)

日野啓三「炎」(「三田文学」)

眉村卓「最後の火星基地」(「丸」)

山口瞳「生き残り」(『世相講談』文芸春秋)

城昌治「紺の彼方」(「オール物」)

12月

阿部昭「死にゆくるのは」(「文学界」)

五木寛之「蒼ざめた馬を見よ」(「別冊文芸春秋」)

伊藤桂一「二人の捕虜」(「オール物」)

今日泊亜蘭「危うし、日本列島」(「丸」、「御国の四方を」と改題)

高木俊朗『抗命:インパール作战 烈師団長発狂す』(文芸春秋)

野呂邦暢「狙撃手」(「文学界」)

松本清張「粗い版」(「別冊文芸春秋」)

1967

1月

石川淳「鏡の中」(「新潮」)

宇能鴻一郎「野性の蛇」(「小説新潮」)

大岡昇平「レイテ战記」(「中央公論」、~69年7月)

窪田精「春島物語」(「赤旗」15日、~12月3日)

陳舜臣「壁に哭く」(「オール物」)

南条範夫「変貌」(「別冊宝石」)

星新一「国家機密」(「マイクック」)

吉田知子「丰原」(「ゴム」)

2月

李淳木「つつじ」(「民主文学」)

大城立裕「カクテル·パーティー」(「新冲绳文学」)

長堂英吉「色の群像」(「新冲绳文学」)

野呂邦暢「白桃」(「三田文学」)

三島由夫「奔馬:丰饒の海2」(「新潮」、~68年8月)

三好徹「風の弾痕」(「オール物」)

吉行淳之介「廃墟の眺め」(「文芸」)

3月

五木寛之「天使の墓場」(「別冊文芸春秋」)

五木寛之「夏の怖れ」(「小説新潮」)

丰田穣「腕立て兵曹」(「別冊文芸春秋」)

丸谷才一「にぎゃかな街で」(「文芸」)

4月

阿川弘之「ソロモン小战史」(「小説新潮」)

有吉佐和子「海暗」(「文芸春秋」、~68年4月)

生島治郎「牝犬の子」(「小説現代」)

石原慎太郎「待伏せ」(「季刊芸術」)

伊藤桂一「標的の心理」(「オール物」)

円地文子「土地の行方」(「展望」)

津本陽「丘の家」(「オール物」)

5月

尾崎一雄「先生を殴ろうとした話」(「小説新潮」)

今東光「腕まくり」(「オール物」)

筒井康隆「ベトナム観光公社」(「SF マガジン」)

野口士男「その日私は」(「風景」)

真鍋呉夫「売られた軍艦」(「文芸」)

矢野徹『新世界遊撃隊』(盛光社)

6月

生島治郎「鉄の棺」(「別冊文芸春秋」)

司馬遼太郎「要塞」(「別冊文芸春秋」)

7月

五木寛之「私刑の夏」(「小説現代」)

円地文子「菊車」(「群像」)

柏原兵三「徳山道助の帰郷」(「新潮」)

田久保英夫「遠い夏から」(「風景」)

陳舜臣「玉嶺第三峰」(「オール物」、「玉嶺よたたび」と改題)

筒井康隆「東京諜報地図」(「小説現代」)

寺山修司「誰でせう?」(「新評」、「誰でせう」と改題)

野坂昭如「ベトナム姐ちゃん」(「小説現代」)

8月

有馬頼義「器のアリバイ」(「オール物」)

五木寛之「黄金時代」(「新潮」)

一色次郎「青幻記」(「展望」)

伊藤桂一「運命の対決」(「オール物」)

井上光晴「一九六七年·夏『母』」(「潮流ジャーナル」20日、「母·一九六七年夏」と改題)

梅田昌志郎「地図にない谷」(「風景」)

耕治人「一条の光」(「この道」)

小松左京「夜の声」(「推理ストーリー」)

島尾敏雄「その夏の今は」(「群像」)

筒井康隆「アル ファル ファ作战」(「SF マガジン」)

筒井康隆「窓の外の战争」(「推理界」)

野坂昭如「娼婦焼身」(「小説現代」)

星新一「盗賊会社」(「日本済新聞20日)

三浦哲郎「非情の海」(「小説現代」)

9月

大城立裕「ショーリーの脱出」(「文学界」)

開高健「岸辺の祭り」(「文学界」)

司馬遼太郎「腹を切ること」(「別冊文芸春秋」)

陳舜臣「角笛を吹けど」(「小説新潮」)

寺山修司「かくれんぼ」(「新評」、「玉音放送」と改題)

丰田有恒『モンゴルの残光』(早川書房)

野坂昭如「アメリカひじき」(「別冊文芸春秋」)

野呂邦暢「歩哨」(「文学界」)

星新一「爆発」(「話の特集」)

丸谷才一「秘密」(「文学界」)

小松左京「江戸開城宇宙人観战記」(「歴史本」)

小松左京「人類裁判:レーゼドラマあるいは長のためのエスキース」(「話の特集」)

筒井康隆「近所迷惑」(「SF マガジン」)

中山士朗「死の影」(「南北」)

野坂昭如「火垂るの墓」(「オール物」)

林京子「曇り日の行進」(「文芸首都」)

吉村昭「殉国」(「展望」、~11月)

11月

佐野洋「色の絆」(「小説宝石」)

高井有一「少年たちの战場」(「文学界」)

筒井康隆「台所にいたスパイ」(「オール物」)

平岩弓枝「おんなみち」(「静岡新聞」14日、~69年9月5日)

星新一「マイ国家」(「オール物」)

12月

あまんきみこ「すずかけ通り三丁目」(「びわの実学校」)

一色次郎「海の聖童女」(「展望」)

佐木隆三「奇の市」(「文芸」)

立原正秋「わかれ」(「別冊文芸春秋」)

筒井康隆「最後のクリスマス」(「平凡パンチ」11日)

野坂昭如「焼土層」(「別冊文芸春秋」)

三好徹『風葬战』(三一書房)

吉村昭「大本営が震えた日」(「週刊新潮」16日、~68年4月20日)

1968

1月

阿川弘之「暗い波濤」(「新潮」、~73年6月)

遠藤周作「影法師」(「新潮」)

大江健三郎「生け贄男は必要か」(「文学界」)

小松左京「くだんのはは」(「話の特集」)

高井有一「櫟の家」(「群像」)

筒井康隆「脱出」(「オール物」)

吉村昭「零式战闘機」(「小説新潮」、~5月)

2月

伊藤桂一「円形行進」(「新潮」)

庄司肇「夏の光」(「文芸首都」)

丹羽文雄『蛾』(講談社)

野口士男「ほとりの私」(「風景」)

3月

山季之「わが鎮魂歌」(「現代」、~8月)

獅子文六「特殊潜航艇」(「小説新潮」)

城山三郎「一歩の距離:小説 予科練」(「別冊文芸春秋」)

辻邦生「叢林の果て」(「文学界」)

筒井康隆「アフリカ·ミサイル道中記」(「オール物」)

野坂昭如「死児を育てる」(「オール物」)

星新 一「幸福の公式」(「話の特集」)

4月

五木寛之「朱鷺の墓」(「婦人画報」、~76年6月)

井上光晴「気温一○度」(「別冊潮」)

小沢信男「小説昭和十一年」(「新日本文学」、69年1月)

小田勝造「生きて還れ」(「季刊芸術」)

開高健『輝ける』(新潮社)

北杜夫「おたまじゃくし」(「文学界」)

小松左京「見知らぬ明日」(「週刊文春」9日、~9月9日)

司馬遼太郎「坂の上の雲」(「サンケイ新聞」22日、~72年8月4日)

城山三郎「マンゴーの林の中で:若き震洋特別攻撃隊」(「小説宝石 宝石別冊」)

辻邦生「夜」(「文芸」)

筒井康隆「最兵器の漂流」(「小説宝石 宝石別冊」)

中蘭英助『夜の培養者』(売新聞社)

野坂昭如「あ、日本大疥癬」(「小説現代」)

野坂昭如「軍歌」(「別冊小説現代」)

星新一「ある犯行」(「週刊言論」17日)

安岡章太郎「テーブル·スピーチ」(「季刊芸術」)

5月

有馬頼義「屈辱の時間」(「小説現代」)

井上光晴「状况」(「三田文学」)

大城立裕「神島」(「新潮」)

庄司肇「大佐」(「城砦」)

曽野綾子「只見川」(「小説新潮」)

星新一「平和の使い」(「週刊言論」29日、「平和の神」と改題)

丸谷才一「思想と無思想の間」(「文芸」)

6月

山季之「小説 防衛庁」(「オール物」)

高木俊朗『全滅:インパール作战 战車支隊の最期』(文芸春秋)

夏堀正元「ベトナム·死の太鼓」(「小説宝石 宝石別冊」)

野坂昭如「はやすぎた夏」(「小説新潮」)

星新一「流行の病気」(「週刊言論」12日)

7月

阿部昭「未成年」(「新潮」)

五木寛之『裸の町』(文芸春秋)

井上光晴「象のいないサーカス」(「別冊潮」)

小松左京「廃墟の彼方」(「小説新潮」)

筒井康隆「優越感」(「漫画本」、~12月)

野坂昭如「猥歌」(「別冊小説現代」)

星新一「特殊大量殺人機」(「小説新潮」)

吉村昭「彩られた日々」(「文学界」)

8月

揚野浩「ゲリラのむ岸壁」(「新日本文学」)

五木寛之「内灘夫人」(「東京新聞」30日、~69年5月10日)

遠藤周作「なまぬるい春の黄昏」(「中央公論」)

大江健三郎「核時代の森の隠遁者」(「中央公論」)

菊村到「スクランブルの夜」(「小説現代」)

小松左京「战争はなかった」(「文芸」)

柴田錬三郎「兵隊と幽霊:柴錬「立川文庫」日本幽霊譚7」(「オール物」)

庄野潤三「前途」(「群像」)

筒井康隆「地獄図日本海因果」(「時」)

なだいなだ「くじらと幻視者と」(「文芸」)

野坂昭如「同行二人」(「オール物」)

三好徹「犯されるもの」(「小説現代」)

9月

有馬頼義「北白川宮生涯」(「別冊文芸春秋」)

井上光晴「残虐な抱擁」(「群像」)

内田百閒「山寺の和尚さん」(「小説新潮」)

小田勝造「帽子」(「1三田文学」)

高井有一「谷間の道」(「文学界」)

陳舜臣「青玉獅子香炉」(「別冊文芸春秋」)

丰田穣「空港へ」(「作家」)

中上健次「日本語について」(「文芸首都」)

星新一「白い服の男」(「SF マガジン」)

三島由夫「暁の寺:丰饒の海3」(「新潮」、~70年4月)

水上勉「桜守」(「毎日新聞」4日、~12月28日)

有馬頼義『巡査の子』(文芸春秋)

五木寛之「デラシネの旗」(「別冊文芸春秋」)

菊村到「コンプラドーの歌」(「小説現代」)

木山捷平『長春五馬路』(筑摩書房)

城山三郎「草原の敵」(「小説エース」)

筒井康隆「わが家の战士」(「オール物」)

野口士男「暗い夜の私」(「風景」)

野坂昭如「色法師」(「小説新潮」)

庄野潤三「前途」(「群像」)

筒井康隆「地獄図日本海因果」(「時」)

野坂昭如「同行二人」(「オール物」)

三好徹「犯されるもの」(「小説現代」)

10月

有馬頼義『巡査の子』(文芸春秋)

五木寛之「デラシネの旗」(「別冊文芸春秋」)

菊村到「コンプラドーの歌」(「小説現代」)

木山捷平『長春五馬路』(筑摩書房)

城山三郎「草原の敵」(「小説エース」)

筒井康隆「わが家の战士」(「オール物」)

野口士男「暗い夜の私」(「風景」)

野坂昭如「色法師」(「小説新潮」)

星新一『午後の恐竜』(早川書房)

星新一「の雨」(「オール物」)

星新一「老人と孫」(「ミステリマガジン」)

三浦哲郎「娼婦の腕」(「小説現代」)

吉村昭「母」(「新潮」)

11月

五木寛之「暑い長い夏」(「PocketパンチOh!」)

立原正秋「永い夜」(「小説現代」)

藤本義一『ちりめんじゃこ』(三一書房)

五木寛之「幻の秘密兵器」(「小説宝石」、「ヒットラーの遺産」と改題)

内田百閒「その一夜」(「小説新潮」)

小松左京「恋と幽霊と夢」(「小説エース」)

日野啓三「地下へ」(「文芸」)

吉村昭「艦首切断、流失せり」(「小説新潮」、「艦首切断」と改題)

1969

1月

阿部昭「大いなる日」(「季刊芸術」)

柏原兵三「贈り物」(「文学界」)

小松左京「第二日本国誕生」(「PocketバンチOh!」)

城山三郎「幻の虎」(「小説宝石」)

武田泰淳「国防相夫人」(「新潮」)

筒井康隆「新宿祭」(「別冊小説現代」)

長谷川四郎「宝船」(「文芸」)

星新一「破滅の時」(「週刊言論」8日)

2月

有馬頼義「東京大空襲」(「潮」、「炎の下」と改題)

城山三郎「忘れ得ぬ翼」(「オール物」、~12月)

南条範夫「女軍事探偵」(「小説現代」)

3月

阿部牧郎「袋叩きの土地」(「別冊文芸春秋」)

小松左京「一宇宙人のみた太平洋战争」(「丸」)

筒井康隆「ホンキィ·トンク」(「オール物」)

丰田穣「北べトナム に針路をとれ」(「オール物」)

野坂昭如「餓鬼の净土:落日の赤きながめや」(「別冊文芸春秋」)

星新一「塔」(『ひとにぎりの未来』新潮社)

吉村昭「軍艦と少年」(「小説現代」)

4月

五木寛之「スペインの墓標」(「小説現代」)

伊藤桂一「女捕虜」(「アサヒ芸能問題小説」)

伊藤桂一『兵士たちの陸軍史』(番町書房)

小松左京「涅槃放送」(「別冊小説新潮」)

城山三郎「堂々たる打算」(「小説エース」)

三浦哲郎「白い断章」(「オール物」、「冬の狐火」と改題)

矢野徹『地球0年:日本自衛隊アメリカを占領す』(立風書房)

5月

伊藤桂一「战場のなかの英雄」(「オール物」)

清岡卓行「朝の悲しみ」(「群像」)

小林勝「万歳·明治五十二年」(「新日本文学」)

中薗英助「大使の賭け」(「小説現代」)

丸山健二「明日への楽園」(「新潮」)

水上勉「鵜の瀬」(「小説新潮」)

三好徹「博文暗殺」(「オール物」)

6月

五木寛之「青春の門」(「週刊現代」16日、70年4月30日)

大城立裕「一号」(「冲绳タイムス」15日)

小田勝造「同窓会は夏に」(「群像」)

小松左京「三本腕の男」(「週刊サンケイ」30日)

田久保英夫「深い河」(「新潮」)

陳舜臣「他人の鍵」(「別冊文芸春秋」)

野口士男「深い海の底で」(「風景」)

星新一「ああ祖国よ」(「PocketバンチOh!」)

李恢成「またふたたびの道」(「群像」)

7月

阿部昭「鵠沼西海岸」(「群像」)

有吉佐和子「針女」(「主婦の友」、~70年12月)

五木寛之「残酷な五月の朝に」(「小説現代」)

陳舜臣「銘のない墓標」(「週刊朝日」カラー別冊)

丰田有恒『退魔战記』(立風書房)

野口士男「真暗な朝」(「文芸」)

野坂昭如「おっぱんぱん」(「別冊小説現代」)

野坂昭如「弱気眼鏡」(「PocketパンチOh!」)

平林たい子「鉄の嘆き」(「海」、~10月)

古山高麗雄「墓地で」(「季刊芸術」)

吉村昭「顛覆」(「小説新潮」)

8月

江崎誠致「影」(「風景」)

金石範「虚無譚」(「世界」)

高木俊朗『憤死:インパール作战 痛恨の祭師団参謀長』(文芸春秋)

日野啓三「デルタにて」(「文芸」)

松本清張「首相官邸」(「文芸春秋」)

吉村昭「水の匂い」(「早稲田文学」)

9月

田中小実昌「マンシュウ·ソング:ぼくの女房は……」(「オール物」)

筒井康隆「革命のふたつの夜」(「別冊文芸春秋」)

松本清張「象と蟻」(「別冊文芸春秋」、~70年9月、「象の白い脚」と改題)

10月

遠藤周作「学生」(「新潮」)

遠藤周作「ガリレヤの春」(「群像」、「ガリラヤの春」と改題)

大城立裕「ニライカナイの街」(「文芸春秋」)

武田泰淳「富士」(「海」、~71年6月)

筒井康隆『霊長類南へ』(講談社)

平岩弓枝「女の顔」(「日本済新聞」20日、~70年10月24日)

眉村卓「ゲン」(『虹は消えた』早川書房)

11月

小田勝造「春の旅」(「三田文学」)

柏原兵三『長い道』(講談社)

小松左京「イッヒッヒ作战」(「物専科」)

長谷川四郎「ボート屋」(「海」)

藤井重夫「牧歌」(「作家」)

星新一「反政府省」(「今週の日本」即日)

三島由夫「蘭陵王」(「群像」)

城昌治「軍旗はためく下に」(「中央公論」、~70年4月)

渡辺清『海の城:海軍少年兵の手記』(朝日新聞社)

12月

五木寛之「聖者が街へやってきた」(「別冊文芸春秋」)

奥田夫『ボクちゃんの战場』(理論社)

川崎長太郎「忍び草」(「群像」)

清岡卓行「アカシャの大連」(「群像」)

野坂昭如「てろてろ」(「平凡パンチ」8日、~70年8月24日)

1970

1月

五木寛之「モルダウの重き流れに」(「週刊朝日」カラー別冊)

野坂昭如「土と土の子」(「潮」、~3月)

三浦哲郎「おりえんたる·ぱらだいす」(「オール物」)

2月

阿部昭「子供たちの战争」(「神奈川新聞」8日)

有馬頼義「郵便兵の反乱」(「小説サンデー毎日 物専科」)

柏原兵三「毛布譚」(「文学界」)

野坂昭如「羅府の月」(「小説現代」)

星新一「クーデター」(「今週の日本」1日)

3月

揚野浩「F4ファソント ムジェット战闘機を降ろせ」(「新日本文学」)

石田耕治「影について」(「安芸文学」)

五木寛之「プラハの春とおく」(「小説セブン」)

伊藤桂一「兵長、わが道を往く」(「小説新潮」)

江崎誠致「恩讎」(「流動」)

小松左京「四月の十四日間:または 日米もし “再び战わば”」(「別冊文芸春秋」)

庄司肇「夜が明けたとき」(「新制作」)

曽野綾子『生贄の島』(講談社)

星新一「亡命者」(「今週の日本」15日)

堀田善衛『橋上幻像』(新潮社)

眉村卓「酔えば战場」(「小説CLUB」)

城信一「夜の鐘」(「群像」)

渡辺淳一「光と影」(「別冊文芸春秋」)

4月

阿川弘之「水虫軍艦」(「小説新潮」)

清岡卓行「フルートとオーボエ」(「群像」)

高井有一「退屈な休暇」(「文学界」)

中薗英助「モスクワ特急」(「別冊小説新潮」)

古山高麗雄「白い田圃」(「季刊芸術」)

古山高麗雄「プレオー8の夜明け」(「文芸」)

吉村昭「菌」(「現代」、~10月、「蚤と爆弾」と改題)

5月

有馬頼義「塹壕」(『郵便兵の反乱』三笠書房)

五木寛之「四月の海賊たち」(「小説現代」)

川崎長太郎「海のほとり」(「早稲田文学」)

黒島伝治「狐」(『黒島伝治全集』2、筑摩書房)

耕治人「いずみ」(「文学界」)

佐木隆三「シャワー·ルーム」(「群像」)

立原正秋「夏の光」(「文学界」、~8月)

陳舜臣『凍った波』(毎日新聞社)

筒井康隆「人類の大不調和」(「プレイコミック」23日)

津村節子「二人だけの旅」(「早稲田文学」)

長谷川四郎『恐ろしい本』(筑摩書房)

平林たい子「エルダよ」(「小説新潮」)

星新一「指」(「朝日新聞」16日)

吉村昭「敵前逃亡」(「週刊新潮」9日)

吉村昭『陸奥爆沈』(新潮社)

李恢成「证人のいない光景」(「文学界」)

6月

佐木隆三「合同慰霊祭」(「文芸」)

筒井康隆「日本列島七曲り」(「週刊新潮」R日)

津村節子「乾いた花」(「小説現代」)

新田次郎「西沙島から蒸発した男」(「小説現代」)

野坂昭如「パンパン·ガール」(「小説現代」)

福本和也「空の賊」(「オール物」)

藤本義一「骨を拾う」(「別冊文芸春秋」)

星新一「いい上役」(「月刊エコノミスト」)

三浦哲郎「忘却の街」(「小説新潮」)

三好徹「追跡げ バラ日記」(「オール物」)

吉村昭「海の柩」(「別冊文芸春秋」)

7月

阿部昭「あの夏」(「婦人之友」)

有馬頼義『宰相近衛文麿の生涯』(講談社)

五木寛之「帝国陸軍喇叭集」(「問題小説」)

後藤明生「一通の長い母親の手紙」(「新潮」)

日野啓三「還れ幻旅」(「文芸」)

吉田健一「瓦礫の中」(「文芸」)

8月

有馬頼義「死の王手」(「オール物」、「王手」(と改題)

伊藤桂一「鶏公山の麓」(「小説新潮」)

佐多稲子「樹影」(「群像」、~72年4月)

戸川昌子「V定期便」(「オール物」)

丰田穰「海軍衛兵司令日記」(「オール物」)

新田次郎「東京野郎」(「小説新潮」)

9月

三浦朱門「ジャングルの微笑」(「小説新潮」)

10月

江崎誠致「腕」(「風景」)

清岡卓行「萌黄の時間」(「群像」)

城山三郎「逃亡者」(「小説サンデー毎日」)

中井英夫「見知らぬ旗」(「海」)

日野啓三「めぐらざる夏」(「文学界」)

11月

揚野浩「ブロレタリア一銭軍記」(「小説現代」)

小田実「円いひっぴい」(「文芸」、~77年9月)

小松左京「牙の時代」(「SF マガジン」臨時増刊号)

星新一「新しい政策」(「オール物」)

吉村昭「海と人間」(「高知新聞」27日、~71年10月11日、「海の史劇」と改題)

吉村昭「他人の城」(「展望」)

阿部昭「司令の休暇」(「新潮」)

有馬頼義「三中隊异状あり」(「オール物」)

金石範「万徳幽霊奇譚」(「人間として」)

筒井康隆「女権国家の繁栄と崩壊」(「サンデー毎日」20日)

丰田穫「本土防空战」(「文芸春秋」臨時增刊号)

松本清張「砂の審廷:小説東京裁判」(「別冊文芸春秋」、~71年9月)

附3:芥川龍之介における战争观

附3:芥川龍之介における战争观

——先見性に富む反战的なアピール

馮英華

芥川龍之介の直接战争に関わる作品は、「桃太郎」、「将軍」、「金将軍」と「首が落ちた話」などがある。大正十一(1922)年一月、芥川は『改造』に「将軍」という小説を発表した。「将軍」は芥川の中国旅行の翌年に書かれたのであり、侵略战争についての反战的なシリーズの先発の力作と言えるであろう。清水茂は「いわば一将功成って、万骨枯れる战場の惨状を描いてみせた、すぐれた反战小説」1と評価した。「芥川は廃兵(傷病兵)や一兵卒の立場に立って、反战、反軍国主義を真剣に訴えている」2と関口安義は論じている。本文は主に「将軍」を取り上げて、芥川における战争観を論じてみよう。

小説の主人公「N将軍」或は「N下」は明治天皇時代の軍人のシンボル——乃木希典(1849~1912年)をモデルにすると一般にまれている。明治天皇の死去した同日に明治天皇の後を追って乃木夫妻の自殺は、殉死として美談にもなった。この小説の基調はこの「軍神」とされた人物を諷刺し、完膚なきまで批判したことである。官権の干渉によって、「将軍」には14箇所の伏字がある。芥川本人はこの小説を発表した数ヶ月後、エッセイの「澄江堂筆記」でそれに対して、怒りも示した。「官憲は僕の『将軍』という小説に、何行も抹殺を施し」。こうして見れば、当時この小説は弾圧された背景がわかる。「××の××の念を失はしむる」。「皇国の軍人に忠実の念を失はしむる」。この話の意図は当時の軍国主義を煽りたてるイデオロギーに背馳し、作者の批判する標的や批判精神の旺盛さがめるであろう。「N将軍を乃木将軍に留めず、普遍化された冷酷な帝国軍人であるとした」2と関口安義は論じている。

小説の主なプロットは1904年日露战争の間に、乃木大将は軍隊を率いて旅順を攻めた战役である。全は四つの章立てからなるオムニバス形式の小説である。以下に順番に解析してみよう。

第一章のテーマは「白棒隊」である。白棒というのは衣服のそでをたくし上げるために肩から脇にかけてぶひもであり、当時日本軍の決死隊の服装にあるマークである。兵士を決死に煽る思想は皇国に奉仕することであって、N将軍は部隊を巡視するとき、兵士たちと一々握手をしながら、「玉五尺の体を砲弾だと思って、いきなりあれへ飛び込むのじゃ、頼んだぞ。どうか、しっかりやってくれ。」と励ましていた。ところが、決死隊の隊員は心から皇国に対して忠実を尽くすとは限らない、「え、おい。あんな爺さんに手を握られたのじゃ」、「××れると思うから腹が立つのだ。おれは捨ててやると思っている」というのは堀尾一等卒における機嫌悪そうな話である。また、何度も兵士の表情を「苦笑」と描いている。無論、死に対して、白棒隊の隊員もなかなか落ち着くことができないであろう。ただ、本音は死にたくないとか皇国に不忠実だとかといっても、皆ついに命令に従って、战場に赴いた。局江木上等兵は手榴弾に中って、全身黒こげになった。堀尾一等卒は頭部銃創のために、発狂して、「万歳!日本万歳!悪魔降伏。怨敵退散。第×連隊万歳!万歳!万々歳!」と大声で叫んでいた。芥川がここで描いているのは皇国観念に駆使される兵士たちの無力、盲従や狂気になった悲劇である。では、皇国観念に愚痴をこぼしたり怨念を隠したりする兵士たちは何故相ついで战場に行ったのかというと、作者は画竜点晴的な評論を付けた、「战争は——彼はほとんど战争は、罪悪と云う気さえしなかった。罪悪は战争に比べると、個人の情熱に根ざしているだけ…」。伏字があるため、十分に意味がわからないとしても、言外の意味は战争が罪悪の頭とみ取ってもよいであろう。少なくとも战争は罪悪よりいっそう甚だしいものだともめる。芥川の反战意識は鮮明に現われている。当時この評論を発表するのには、英知と勇気両方とも欠かせないものである。彼における战争観はまだ十分に明瞭となっていないが、战争には正義と不正義の区別があり、侵略战争こそ不正義なものである。軍部管制の背景の下で、「侵略」という言葉を出してはいけないので、芥川の勇気は普通だと言えない。芥川における战争認識は、「侵略战争は罪悪だ」という程度まで至るかまだこの小説の中ではめないと考える。

侵略と反侵略の区別意識は、第二章「間諜」により顕著に見える。この章の中心人物は間諜と疑われた二人の中国人であり、最後首を切られた。注目すべきところは、その二人の少しも死を恐れない心意気の描写である。二人はボディーチェックされた時にゆったりと落ち着いていた。取調べられた時に「少しも怯まずに返答」したり、「悠然と参謀の間に答え」たりしていた。证拠がばれた時に「やはり黙ったまま、剛情に敷き瓦をみつめていた」。一人の「間諜業」はつき殺される前に「じろりと彼を振り返った。しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭をけ出した。……叩頭が一通り済んでしまうと、彼らは覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸ばした。」もう一人は「黙然と首を伸ばしたぎり、睫毛一つ動かさなかった。その一方、作者は死に面する白棒隊の兵士たちの不平、盲目、堪忍や発狂に描いた。「間諜」と兵士の描写は鮮明なコントラストとなって、しかもそれは芥川が無意識的に描いたのではないであろう。死に面して、自覚していて、正義のために参战するからこそ落ち着くことができるのであろう。こうして見れば、芥川は侵略と反侵略という概念を区別しているに違いない。

この旅順を侵攻する战役は普段日露战争の一部分であると述べられるが、芥川はそれを背景にして、一人のロシア人にも言及していない、二人の中国人「間諜」を選んで日本軍の対抗者にした。これは少なくとも作者が日露という二つの帝国主義国家の中国領土への争奪の勝負に着目していないが、帝国主義国家としての日本の侵略战争に注目しているといえるのではなかろうか。芥川の叙述するポイントをめば、それを純粋な小説の叙述する角度であるとは看倣せない。

尚、捕虜を非人道的扱いをリアルに再現し、N将軍をリーダとしての「殺獄を喜ぶ」軍人の恐ろしさをも描き出した。批判的なニュアンスが顕著になっている。

第三章「陣中の芝居」は小説の中核になり、N将軍も直接に描かれる中心人物になった。主人と下女とが相撲をするシーンはN将軍に中止された。その理由は「外国武官たちに、裸の相撲を見せても好いか?そう云う体面を重ずるには、何年か欧洲に留学した彼には、余りに外国人を知り過ぎていた」からである。また、人情旧劇の濡れ場のシーンに不機嫌にもなった。N将軍は真面目であり、心が正しそうに見えるが、前の二幕は第三幕の前書きに過ぎない。第三幕のプロットは日本の本土で発生して、若い巡査がピストル強盗と格闘し、弾丸に中って、署長に母のことが心配だと言い残して死ぬという旧劇めいた愁嘆場になった。

——その時ひっそりした場内に、三度将軍の声が響いた。が、今度は叱声の代わりに、深い感激の嘆声だった。

「偉い奴じゃ。それでこそ日本男児じや。」穂積中佐はもう一度、そっと将軍へ目を注いだ。すると日に焼けた将軍の頬には、の痕が光っていた。「将軍は善人だ。」——中佐は軽い侮蔑の中に、明るい好意をも感じ出した。

全を見れば、辛練な皮肉が感じられる——芝居のプロットは正義を代表する警察官がピストル持ちの強盗と战ったが、観衆は日本軍隊であり、しかもこの軍隊は他の国を侵略している。前の叙述によって、芥川は江木という兵士の話を通して、この战役の性質を明かした。「強盗は金さえ巻き上げれば、×××××××云いはしまい……」。この「ピストル強盗」の皮肉——N将軍は強盗を捕まえるために死んだ人にを流した。しかし、将軍本人は日本軍を率いて強盗行為侵略行為をしている。N将軍は、「強盗」に抵抗した二人の中国「間諜」を死刑にする命令を下したが、今は舞台の上の「強盗」と战った若い警察官にはを零した。二つの場面はコントラストとなるので、N将軍は偽善的な人間という論となる。芥川はその直後に発表したエッセイ「休儒の言葉」に「倭窓は我マ日本人も優に列強に伍するに足る能力のあることを示したものである。我マは盗賊、殺獄、淫等に於ても、決して(黄金の島)を探しに来た西班牙人、葡萄牙人、和蘭人、英吉利人等に劣らなかった」と述べている。こうして見れば、「ピストル強盗」の叙述は芥川が意識的に使ったメタファーであろう。

末の章「父と子と」も意味深い、旅順を侵攻した十年後(1918年)に、二世代の人間の対話をめぐって展開したのである。父はN将軍の部下であり、すでに少将に昇進している。息子は大学で文系を勉強している。ある日、息子は壁に挂かっているN将軍の肖像を西洋画家のレムブラントの肖像に架け替えて、父の不満を招いた。父は「それは偉い軍人だがね、閣下はまた実に長者らしい、人懐こい性格も持っていられた。…閣下は俗人じゃない、徹頭徹尾至誠の人だ」と教えた。息子のN将軍についての認識は「偉い軍人でしょう」。息子にとってレムブラントは「…まあN将軍などよりも、僕等に近い気持ちのある人です」。「まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られることを、——」战争に惠まれて昇進した少将の息子さえも、N将軍の「至誠」に懐疑を抱いていて、战争中に強制的に死に追いやられた普通の兵士はどんな気持ちをしているであろうか。軍人の息子たちが战争から離れることは芥川本人の美しい希望であろうか。ところが、当時の社会の事情はこの希望と逆の方向へ走っていて、やがて二·二六事件が起こった。

「将軍」は「白棒隊」の精神上の無力、盲従や狂気を描き、その一方、中国の抵抗者の鎮静、勇気乃至死を恐れないさまに着筆して、当時の日本軍の「ピストル強盗」の本質を辛狭に皮肉し、批判して、その矛先を直接に当時の軍神乃木希典大将に向けている。当時軍国主義の傾向はまだ発展しているところであり、日本軍国主義の本土でこんな鮮明な反战性を出したのは偉いことである。こうして見れば、芥川龍之介はやはり勇気を持ち、賢明であり、先見性に富む作家だと言える。

芥川はまた大正十三(1924)年七月一日に『サンデー毎日』に「桃太郎」という作品を載せて、日本の伝文化にある不安定な基因を反省した。「将軍」も「桃太郎」も中国旅行の影響があるとされて、排日の「中国体験の投影が、『将軍』の〈間諜)』には実になまなましくきざみこまれている。」③と谷周次は論じている。芥川龍之介における反战意識は、何篇の作品にも含まれている。他の作品については別稿を期する。

注:

1. 清水茂「芥川と『明治』」『解釈と鉴賞』1969年4月。

2. 関口安義『新時代の芥川龍之介』洋々社、1999年11月。

3. 谷周次「『将軍』の位置(芥川龍之介の中国体験)」『国語国文研究』(49)北海道大学国語国文学会、1972年4月、pp.5560。

参考文献:

1. 佐藤嗣男「芥川龍之介「桃太郎」——お前たちも悪戯すると、人間の島へやってしまふよ」明治大学『文学と教育』(巻号201)文学教育研究者集団、2005年5月、pp.4862。

2. 辻吉祥「芥川龍之介『将軍』解析——战争と対抗プロパガンダ」『社会文学』(20)日本社会文学会、2004年、pp.161171。

3. 奥野久美子「芥川龍之介『将軍』考——桃川若燕の講談本『乃木大将陣中珍談』との比較」『国語国文』72(3)、京都大学文学部国語学国文学研究室、中央図書館出版社、2003年3月、pp.870889。

4. 谷口佳代子「芥川龍之介『将軍』論——〈時代〉を生きる群像」『福岡大学日本語日本文学』(11)福岡大学日本語日本文学会、2001年、pp.111121。

5. 「芥川『将軍』試論——オルガナイザーとしてのN将軍」『国文学論考』(通号18)都留文科大学国文学会、1982年2月、pp.2431。

6. 「いたましい選(はる)けさ—漱石と龍之介の場合—芥川龍之介『将軍』をめぐって(日本文学研究ノート10)」『世』(通号269)、世集室、1972年10月、pp.6067。

7. 「紙の中の战争19芥川龍之介『将軍』と田山花袋『一兵の銃殺』の場合」『文学界』25(1)文芸春秋社、1971年月1、pp.165169。

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马克思主义辩证法研究

《马克思主义辩证法研究》立足当代辩证法研究的前沿理论,在深入发掘、分析马克思主义哲学经典文献的基础上,系统阐述了马克思主义经典作家的辩证法,如马克思的“批判本质”的辩证法、恩格斯的“理论思维”的辩证法、列宁的”三者一致”的辩证法。同时对马克思主义辩证法的理论遗产、实践基础、批判本性、当代课题等重要内容进行了全方位的探讨,凸显了马克思主义辩证法的理论魅力,对于掌握马克思主义辩证法的精髓和实质、深化马克思主义辩证法研究具有重要的理论价值
已完结,累计29万字 | 最近更新:再版后记

总序

书名:
马克思主义辩证法研究
作者:
孙正聿
本章字数:
16401

一个伟大的哲学家、思想家逝世之后,对他的观点、思想和学说进行持续性研究,在人类思想史上不乏先例。但是,像马克思主义哲学这样在世界范围内引起如此广泛、深入而持久的研究却是罕见的。更重要的是,每当出现重大历史事件,每当历史处于转折关头,人们都不由自主地把目光转向马克思,并对马克思主义哲学进行新的研究。在当代,马克思主义哲学研究仍是一门“显学”,研究的范围愈来愈广,层次愈来愈深,其探讨的问题之宏广邃微,概念范畴之洗练繁多,理论内容之博大精深,思潮迭起之波澜壮阔,学派形成之层出不穷,实为任何一种哲学研究无法比拟。可以说,在伦敦海格特公墓安息的马克思,比在伦敦大英博物馆埋头著述的马克思更加吸引世界的目光。

当然,我们注意到,在对马克思主义哲学不同维度、不同层次的研究中,基础理论研究具有根本性和方向性,犹如一座宏伟大厦的基石,仿佛一艘远洋巨轮的舵手。基础理论研究从根本上制约着马克思主义哲学研究的广度、深度和维度,制约着对马克思主义哲学理论主题、理论内容、理论特征和理论职能的理解。“众里寻他千百度,蓦然回首,那人却在灯火阑珊处。”对于马克思主义哲学研究来说,“那人”就是基础理论。正因为如此,我们向读者呈上这套“马克思主义哲学基础理论研究”丛书。

“马克思主义哲学基础理论研究”丛书是国家社会科学基金重大项目——“马克思主义哲学基础理论研究”的最终成果,同时,也是国家出版基金资助项目——“马克思主义哲学基础理论研究”的最终成果。列入“马克思主义哲学基础理论研究”丛书的著作包括:吴晓明、陈立新教授的《马克思主义本体论研究》,孙正聿教授的《马克思主义辩证法研究》,杨耕教授的《马克思主义历史观研究》,欧阳康教授的《马克思主义认识论研究》,袁贵仁教授的《马克思主义人学理论研究》,马俊峰教授的《马克思主义价值理论研究》,衣俊卿、胡长栓等教授的《马克思主义文化理论研究》,丰子义教授的《马克思主义社会发展理论研究》,王南湜教授的《马克思主义哲学中国化的历程及其规律研究》,刘放桐教授的《马克思主义哲学与现代西方哲学研究》等。

从这些著作的内容看,它们分别涉及马克思主义哲学的本体论、辩证法、自然观、历史观、认识论、人的理论、意识形态理论、价值理论等,显示出不同的理论内容和理论视角,犹如一曲由不同和弦构成的交响乐。我们并不认为这些著作完全恢复了马克思主义哲学的“本来面目”,这些解释完全符合马克思主义哲学的“文本”,因为我们深知解释学的合理性,深知这些著作受到作者本人的哲学素养、知识结构、研究方法和价值观念的制约,而且马克思离我们的时代越远,对他认识的分歧也就越大,就像行人远去,越远越难辨认一样。但是,我们又不能不指出,这些著作是作者30年来上下求索、深刻反思的产物,是作者哲学研究的心灵写照和诚实记录。在这里,作者们以“客观的理解”为准绳,力图用简洁的语言、适当的叙述、合理的逻辑告诉你一个真实的马克思。

从这些著作的作者看,他们分别来自北京大学、中国人民大学、北京师范大学、南开大学、吉林大学、复旦大学、华中科技大学等单位。这是一个特殊的学术群体,他们大都出生在20世纪40—50年代,基本上都是在20世纪70年代末那个“解冻”的年代走进大学校园,而后又取得博士学位,被破格评为教授。这些作者都经历了共和国的风风雨雨、天灾人祸,而他们的学术生涯又是同改革开放的历程联系在一起,几乎是同步的。正是这段特殊的经历,使这些作者对社会、人生以及马克思主义哲学有了独特而深刻的体认,并为我们展示了一幅马克思主义哲学的总体画面。你可以不欣赏这幅画面,但它的斑斓五彩不能不在这一点或那一方面燃起你学习、研究马克思主义哲学的激情。这是“理性的激情”。

如果说马克思主义哲学的理论内容博大精深,那么,马克思主义哲学的基础理论则深刻坚实。在这次编写“马克思主义哲学基础理论研究”丛书的过程中,我们认识到:马克思主义哲学是无产阶级解放和人类解放的高度统一,它使哲学的理论主题从“世界何以可能”转向“人类解放何以可能”;马克思主义哲学是形而上学批判、意识形态批判和资本批判的高度统一,三者的高度统一构成马克思主义哲学独特的思维方式和存在方式;马克思主义哲学是实践唯物主义、辩证唯物主义和历史唯物主义的高度统一,是以改造世界为宗旨的新唯物主义。

一、马克思主义哲学是无产阶级解放和人类解放的高度统一

马克思主义哲学是在批判资本主义的过程中产生的。在资本主义世界,生产社会化与生产资料私有制之间的矛盾导致人的活动、人的关系和人的世界都异化了,人的生存状态成为一种异化的状态。这是一个“颠倒的世界”。具体地说,在资本主义世界中,“活动的社会性,正如产品的社会形式以及个人对生产的参与,在这里表现为对于个人是异己的东西,表现为物的东西”[1],人与人的关系体现为物与物的关系,不是人支配物,而是物统治人。“物的世界的增值同人的世界的贬值成正比”,物的异化与人的自我异化是同一个过程的两个方面。在这种异化状态中,资本具有支配一切的权利,“资本具有独立性和个性,而活动着的个人却没有独立性和个性”[2],人的个性被消解了,个人成为一种“孤立的人”,国家也不过是“虚幻的共同体”,“不过是管理整个资产阶级的共同事务的委员会”[3]。

资本主义社会是一个由资本关系所造成的人的生存状态全面异化的社会,揭露并消除这种异化因此成为“为历史服务的哲学的迫切任务”[4]。可是,西方传统哲学包括德国古典哲学无法完成这一“迫切任务”。这是因为,从总体上看,西方传统哲学在“寻求最高原因”的过程中把本体同人的活动分离开来,同人类面临的种种紧迫的生存问题分离开来,从而使存在成为一种抽象的存在,物质成为一种“抽象的物质”,本体则是同现实的人及其活动无关的抽象的本体。从这种抽象的本体出发无法认识现实的人和人的现实。以形而上学为存在形态的西方传统哲学向人们展示的实际上是抽象的真与善,它似乎在给人们提供某种希望,实际上是在掩饰现实的苦难,抚慰被压迫的生灵,因而无法消除人的生存的异化状态,将现实的人带出现实的生存困境。因此,马克思认为,随着自然科学的独立化并“给自己划定了单独的活动范围”,随着社会实践的发展“把人们的全部注意力集中到自己身上”[5],哲学应该从“天上”来到“人间”,关注人的生存的异化状态的消除,关注人类解放。

但是,马克思不是心怀济世的救世主,而是无产阶级革命家;马克思主义哲学不是抽象的人道主义,而是“和人道主义相吻合的唯物主义”[6];马克思主义哲学关注的不是抽象的人,而是现实的人及其历史发展。用抽象人道主义的“爱”的词句拼凑起来的甜言蜜语,并不能给予劳动者真正的温暖。“卖火柴的小女孩”手中的火柴可以带来微弱的光和热,但不是照亮人类解放道路的火炬。马克思发现,如果不能给工人、劳动者这些占人口绝大多数、被压迫的人们以真实的利益和自由,如果没有找到人的解放的现实主体、现实条件和现实道路,人类解放就是空话,甚至沦为一种欺骗。无疑,马克思怀有对处于异化状态中的工人、劳动者最真挚的同情和关爱,但他并不以此作为立论的依据,正像妙手回春的圣医不以对病人的同情代替诊断一样,马克思所要“诊断”的是人类解放的现实主体、现实条件和现实道路。

所以,马克思提出了超越“政治革命”的“彻底革命、全人类解放”的问题,并认为能够完成这一历史使命、担当“解放者”这一历史角色的,只能是无产阶级。按照马克思的观点,在同资产阶级对立的一切阶级中,只有无产阶级是真正革命的阶级,作为现代工业的产物,无产阶级本身就是一个需要解放自己的阶级,在他身上“表明人的完全丧失”;同时,无产阶级又是一个“只有通过人的完全回复才能回复自己本身”的阶级,是一个只有解放全人类才能最后解放自己的阶级。换言之,无产阶级解放和人类解放是统一的过程。

在人类解放过程中,哲学把无产阶级当作自己的“物质武器”,无产阶级则把哲学当作自己的“精神武器”;如果说无产阶级是人类解放的“心脏”,那么,哲学就是人类解放的“头脑”[7]。“头脑”不清,就不可能确立人类解放的真实目标,不可能理解人类解放的真正内涵。因此,联系经济学的研究和历史学的考察,从哲学上探讨人类解放的现实主体、现实条件和现实道路,就成为马克思的首要工作。这一工作的成果,就是马克思主义哲学的创立。从根本上说,马克思主义哲学就是关于无产阶级和人类解放的学说,它使哲学的理论主题发生根本转换,即从“世界何以可能”转向“人类解放何以可能”。

为了解答“人类解放何以可能”,马克思主义哲学必须探讨人的存在方式和生存本体,并使哲学的聚焦点从宇宙本体转向人的生存本体。

按照马克思的观点,人类历史的“第一个前提”是“有生命的个人”的存在;“有生命的个人”要存在,首先就要进行物质生产活动,生产物质生活本身。物质生产活动是人类生存的“第一个前提”,是人的“第一个历史活动”。从根本上说,人是在物质生产活动中自我塑造、自我改变、自我发展的。“一当人开始生产自己的生活资料的时候……人本身就开始把自己和动物区别开来。”人是什么样的,“这同他们的生产是一致的——既和他们生产什么一致,又和他们怎样生产一致”[8]。人不仅是自然存在物,而且是社会存在物。换句话说,人是自然存在物和社会存在物的统一,而这种统一恰恰是在实践活动中完成的,直接决定人的本质的社会关系也是在实践活动中生成的。人通过实践创造了自己的社会关系、社会存在。换言之,人是实践中的存在,实践构成了人的存在方式,或者说,构成了人的生存本体。

正因为实践构成了人的存在方式和生存本体,所以,人的生存状态不是凝固不变的,而是处在不断的建构和改变之中。人的生存状态的异化及其扬弃也是在实践活动中发生和完成的,“异化借以实现的手段本身就是实践的”[9]。在资本主义社会,劳动,这种人的生命活动的异化使人与人的关系体现为物与物的关系,不是人支配物,而是物统治人,人本身的活动对人来说成为一种异己的、同他对立的力量。马克思主义哲学正是通过对资本主义私有制的批判,揭示出被物的自然属性掩蔽着的人的社会属性,揭示出被物与物的关系掩蔽着的人与人的关系,并力图付诸“革命的实践”消除人的生存的异化状态,“确立有个性的个人”。如果说无产阶级和人类解放是马克思主义哲学的理论主题,那么,“确立有个性的个人”,实现人的自由而全面发展就是马克思主义哲学的最高命题。

为了解答“人类解放何以可能”,马克思主义哲学必须探讨现实世界或现存世界,并使哲学的聚焦点从解释世界转向改变世界。

按照马克思的观点,“人就是人的世界”,现实的人总是生存于“自己时代的现实世界”中,而现存世界是人化自然与人类社会、社会的自然与自然的社会所构成的世界。现存世界生成于人的实践活动中,实践犹如一个转换器,通过实践,社会在自然中灌注了自己的目的,使之成为社会的自然;同时,自然又进入社会,转化为社会中的一个恒定的因素,使社会成为自然的社会,现存世界中的自然与社会是在人的实践活动中融为一体的。实践活动是现存世界得以存在的根据和基础,在现存世界的运动中具有导向作用,即人通过自己的实践活动“为天地立心”,在物质实践的基础上重建世界。实践“这种活动、这种连续不断的感性劳动和创造、这种生产,正是整个现存的感性世界的基础”[10]。实践构成了现存世界的本体。这是一方面。

另一方面,现存世界一经形成又反过来制约甚至决定现实的人及其活动。现存世界的状况如何,现实的人的状态就如何,要改变资本主义社会中的人及其异化状态,首先就要改变资本主义社会。因此,“对实践的唯物主义者即共产主义者来说,全部问题都在于使现存世界革命化,实际地反对并改变现存的事物”[11]。正是在这个意义上,马克思认为,哲学家们只是用不同的方式解释世界,而问题在于改变世界。

“环境的改变和人的活动或自我改变的一致,只能被看作是并合理地理解为革命的实践。”[12]在马克思主义哲学中,实践不仅是人的生存的本体,而且是现存世界的本体,是改变现存世界、消除人的异化的现实途径,是“确立有个性的个人”这一人的生存和发展终极状态的现实途径。马克思主义哲学力图通过对资本主义私有制条件下人对物占有关系的改变来改变人与人的关系,从而实现无产阶级和人类解放。这样,马克思主义哲学就实现了对人的现实关怀和终极关怀的统一。这是一种双重关怀,是全部哲学史上对人的生存和价值的最激动人心的关怀。

实现无产阶级和人类解放,“确立有个性的个人”,让马克思一生魂牵梦萦,从精神上和方向上决定了马克思一生的理论活动。在《1844年经济学哲学手稿》中,马克思提出,共产主义就是私有财产即人的自我异化的积极扬弃,是通过人并且为了人而对人的本质的真正占有,或者说,人以一种“全面的方式”,作为一个“完整的人”,占有自己的“全面的本质”。在《德意志意识形态》中,马克思提出,要消除“个人力量转化为物的力量”,人本身的活动对人来说成为一种异己的力量的现象,从而“确立有个性的个人”,使“各个人在自己的联合中并通过这种联合获得自己的自由”。在《共产党宣言》中,马克思又提出,共产主义社会将是一个“联合体”,在那里,每个人的自由发展是一切人的自由发展的条件。在《资本论》中,马克思再次重申,共产主义社会就是要确立人的“自由个性”,实现人的自由而全面发展。

可以看出,无论是所谓的“不成熟”时期,还是所谓的“成熟”时期,马克思关注的都是消除人的生存的异化状况,实现人类解放。无产阶级和人类解放构成了马克思主义哲学的理论主题,在马克思主义哲学体系中,无产阶级解放和人类解放是高度统一的。

二、马克思主义哲学是形而上学批判、意识形态批判和资本批判的高度统一

“形而上学就是一种超出存在者之外的追问,以求回过头来获得对存在者之为存在者以及存在者整体的理解。”[13]“形而上学是包含人类认识所把握的东西之最基本根据的科学。”[14]海德格尔的这一见解正确而深刻。形而上学形成之初,研究的就是“存在的存在”,力图把握的就是整个世界或宇宙的“最基本根据”和“不动变的本体”。

从历史上看,形而上学在对世界终极存在的探究中确立一种严格的逻辑规则,即从公理、定理出发,按照推理规则得出必然结论。这无疑具有积极意义,标志着作为理论形态的哲学的形成。然而,哲学家们又把形而上学中的存在日益引向脱离了现实的人及其活动的存在,成为一种抽象的存在。无论是近代唯心主义哲学中的“绝对理念”,还是近代唯物主义哲学中的“抽象物质”,从根本上说都是一种与现实的人和现实的社会无关的抽象本体。

因此,马克思明确提出:“反对一切形而上学”[15],并认为拒斥形而上学之后,哲学应趋向现存世界和人的存在,对人的异化了的生存状态给予深刻批判,对人的解放和全面发展给予深切关注。对于马克思主义哲学来说,重要的不是所谓的世界的终极存在,而是“对象、现实、感性”何以成为这样的存在,人的存在何以异化为这样的状态。这样,马克思便使哲学从抽象的宇宙本体转向人的生存的本体。换言之,马克思主义哲学对本体论的变革与重建,是同对形而上学的批判密切相关、融为一体的。

马克思对形而上学的批判没有停留在“纯粹哲学”的层面上,而是将这种批判同意识形态批判结合起来了。在马克思那里,形而上学批判与意识形态批判同样是密切相关、融为一体的。

按照马克思的观点,就意识形态表现为自在的存在、“独立性的外观”而言,它是虚假的;就意识形态与现实社会生活的必然关联而言,它又是真实的。在资本主义社会,形而上学就是资产阶级的意识形态,或者说,是以意识形态的方式发挥其政治功能,从而为统治阶级政治统治辩护和服务的。因此,“真理的彼岸世界消逝以后,历史的任务就是确立此岸世界的真理。人的自我异化的神圣形象被揭穿以后,揭露具有非神圣形象的自我异化,就成了为历史服务的哲学的迫切任务。于是,对天国的批判变成对尘世的批判,对宗教的批判变成对法的批判,对神学的批判变成对政治的批判”[16]。

形而上学之所以成为资产阶级意识形态,是因为形而上学中的抽象存在与资本主义社会中“抽象统治”具有同一性。“个人现在受抽象统治,而他们以前是互相依赖的。但是,抽象或观念,无非是那些统治个人的物质关系的理论表现”[17]。“统治阶级的思想在每一时代都是占统治地位的思想。这就是说,一个阶级是社会上占统治地位的物质力量,同时也是社会上占统治地位的精神力量。支配着物质生产资料的阶级,同时也支配着精神生产资料……占统治地位的思想不过是占统治地位的物质关系在观念上的表现,不过是以思想的形式表现出来的占统治地位的物质关系;因而,这就是那些使某一个阶级成为统治阶级的关系在观念上的表现,因而这也就是这个阶级的统治的思想。”[18]

这就说明,现实社会中抽象关系的统治与形而上学中抽象存在的统治具有必然关联性及同一性。用阿多诺的话来说就是,形而上学的同一性原则与现实社会生活中的同一性原则不仅对应,而且同源,正是在商品交换中,同一性原则获得了它的社会形式,离开了同一性原则,这种社会形式便不能存在。所以,形而上学的同一性就是资产阶级意识形态,或者说,形而上学的同一性以意识形态的方式在资本主义社会发挥其政治功能。

“哲学只有通过作用于现存的一整套矛盾着的意识形态之上,并通过它们作用于全部社会实践及其取向之上,作用于阶级斗争及其历史能动性的背景之上,才能获得自我满足。”[19]哲学总是以抽象的概念体系反映着特定的社会关系,体现着特定阶级的利益和价值诉求。哲学既是知识体系,又是意识形态,追求的既是真理,又是某种信念。马克思自觉地意识到这一点,所以,在马克思那里,形而上学批判进行到一定程度必然展开意识形态批判。在这种双重批判中建立起来的马克思主义哲学,不仅是客观认知某种规律的知识体系,更重要的,是批判资本主义的意识形态。我们不能从西方传统哲学、“学院哲学”的视角去理解马克思主义哲学,而应从形而上学批判与意识形态批判双重批判的视野,从无产阶级和人类解放这一新的实践出发去理解马克思主义哲学。“马克思留给(后来的)马克思主义哲学家的任务就是去创造新的哲学介入的形式,以加速资产阶级意识形态霸权的终结。”[20]

马克思的形而上学批判、意识形态批判又是与资本批判密切相关、融为一体的。

在马克思看来,无论是对形而上学的批判,还是对意识形态的批判,都应延伸到对现实生活过程的批判。这是因为,“意识在任何时候都只能是被意识到了的存在,而人们的存在就是他们的现实生活过程。如果在全部意识形态中,人们和他们的关系就像在照相机中一样是倒立呈像的,那么这种现象也是从人们生活的历史过程中产生的,正如物体在视网膜上的倒影是直接从人们生活的生理过程中产生的一样”[21]。在马克思的时代,对现实生活过程的批判首先就是对资本主义生产方式的批判,即资本批判。这是其一。

其二,历史已经过去,在认识历史的活动中,认识主体无法直接面对认识客体;同时,历史中的各种关系又以“遗物”或“残片”的形式、“萎缩”或“发展”的形式存在于现实社会中。所以,认识历史应该也只能“从事后开始”,即“从发展过程的完成的结果开始”[22]。在马克思的时代,这种“发展过程的完成的结果”就是资本主义社会。“资产阶级社会是历史上最发达的和最复杂的生产组织。因此,那些表现它的各种关系的范畴以及对于它的结构的理解,同时也能使我们透视一切已经覆灭的社会形式的结构和生产关系。”[23]因此,要真正认识历史,把握人类历史运动的一般规律,就必须对资本主义的生产方式进行批判,即对资本展开批判。“基督教只有在它的自我批判在一定程度上,可说是在可能范围内准备好时,才有助于对早期神话作客观的理解。同样,资产阶级经济只有在资产阶级社会的自我批判已经开始时,才能理解封建的、古代的和东方的经济。”[24]

在资产阶级经济学家的视野中,“资本被理解为物,而没有被理解为关系”,而在马克思的视野中,“资本显然是关系,而且只能是生产关系”[25]。“资本不是物,而是一定的、社会的、属于一定历史社会形态的生产关系,它体现在一个物上,并赋予这个物以特有的社会性质。”[26]资本本质上是人与人之间的关系,但它却“采取了一种物的形式,以致人和人在他们的劳动中的关系倒表现为物与物彼此之间的和物与人的关系”[27]。这就是说,资本不是物本身,不是物与物的关系,但又是通过物而存在,并表现为物与物和物与人的关系。同时,作为一种特定的社会生产关系,资本赋予物以特有的社会性质。

在资本主义社会,资本是最基本和最高的社会存在物,它自在自为地运动着,创造了一个不同于传统社会的现代社会:“在土地所有制处于支配地位的一切社会形式中,自然联系还占优势。在资本处于支配地位的社会形式中,社会、历史所创造的因素占优势。”“如果说以资本为基础的生产,一方面创造出一个普遍的劳动体系,——即剩余劳动,创造价值的劳动,——那么,另一方面也创造出一个普遍利用自然属性和人的属性的体系,创造出一个普遍有用性的体系,甚至科学也同人的一切物质的和精神的属性一样,表现为这个普遍有用性体系的体现者,而且再也没有什么东西在这个社会生产和交换的范围之外表现为自在的更高的东西,表现为自为的合理的东西。因此,只有资本才创造出资产阶级社会,并创造出社会成员对自然界和社会联系本身的普遍占有。由此产生了资本的伟大的文明作用;它创造了这样一个社会阶段,与这个社会阶段相比,以前的一切社会阶段都只表现为人类的地方性发展和对自然的崇拜。只有在资本主义制度下自然界才不过是人的对象,不过是有用物;它不再被认为是自为的力量;而对自然界的独立规律的理论认识本身不过表现为狡猾,其目的是使自然界(不管是作为消费品,还是作为生产资料)服从于人的需要。资本按照自己的这种趋势,既要克服民族界限和民族偏见,又要克服把自然神化的现象,克服流传下来的、在一定界限内闭关自守地满足于现有需要和重复旧生活方式的状况。资本破坏这一切并使之不断革命化,摧毁一切阻碍发展生产力、扩大需要、使生产多样化、利用和交换自然力量和精神力量的限制。”[28]

资本是一个不断自我建构和自我扩张的自组织过程,在这个过程中,资本不仅改变了人与自然的关系,而且改变了人与人的关系,资本家不过是资本的人格化,而雇佣工人只是资本自我增值的工具;资本不仅改变了与人相关的自然界的存在属性,而且改变了人类社会的存在形态,创造了“社会因素占优势”的资本主义社会。“这种有机体制本身作为一个总体有自己的各种前提,而它向总体的发展过程就在于:使社会的一切要素从属于自己,或者把自己还缺乏的器官从社会中创造出来。”[29]这就是说,正是资本使资本主义社会总体化了。在资本主义社会,资本具有支配一切的权利,资本本身就是一种独特的社会存在,就是现代社会的根本规定、存在形式和建构原则,构成了资本主义社会的基本建制。

因此,马克思以商品为起点范畴、以资本为核心范畴展开的对资本主义社会的批判,本质上是一种存在论意义上的批判。换言之,马克思主义哲学对本体论的重建、对形而上学的批判是通过资本批判实现的。正是在这种批判过程中,马克思主义哲学扬弃了抽象的存在,发现了现实的社会存在,发现了资本主义社会存在的秘密,并由此“透视出一切已经覆灭的社会形式的结构”;发现了人与人的关系以物化方式而存在的秘密,并透视出人的自我异化的逻辑,从而把本体论与人间的苦难和幸福结合起来了,开辟了“从本体论认识现实的道路”,使无产阶级和人类解放得到了本体论证明。

这表明,马克思的资本批判理论不仅具有重大的经济学意义,而且具有重大的哲学意义。同时,马克思的资本批判不仅存在着哲学的维度,而且意味着“政治经济学理论的严格表述所不可缺少的理论(哲学)概念的产生”[30]。我们既不能从西方传统哲学、“学院哲学”的视角去认识马克思的资本批判,也不能从西方传统经济学、“学院经济学”的视角去认识马克思的资本批判。实际上,马克思的资本批判已经超出了经济学的边界,越过了政治学的领土,而到达了哲学的“首府”——存在论或本体论。马克思主义哲学的意义只有在同马克思资本批判的关联中才能显示出来;反之,马克思的资本批判只有在马克思主义哲学这一更大的概念背景下才能得到真正理解,只有在无产阶级和人类解放这一更大的意识形态背景下才能得到真正理解。“就这种批判代表一个阶级而论,它能代表的只是这样一个阶级,这个阶级的历史使命是推翻资本主义生产方式和最后消灭阶级。这个阶级就是无产阶级。”[31]形而上学批判、意识形态批判和资本批判融为一体,这是马克思独特的思维方式,是马克思主义哲学独特的存在方式。

三、马克思主义哲学是实践唯物主义、辩证唯物主义和历史唯物主义的高度统一

马克思主义哲学是新唯物主义,是在对旧唯物主义和唯心主义的批判中形成和发展起来的。要真正理解马克思主义哲学的理论特征,就要了解旧唯物主义以及唯心主义的主要缺点。

旧唯物主义包括费尔巴哈的人本唯物主义不理解实践是人的存在方式,“没有把感性世界理解为构成这一世界的个人的全部活生生的感性活动”[32],因而“只是从客体的形式”,没有“从主体方面”去理解“对象、现实、感性”,从而忽视了人的能动性、创造性和主体性。造成这种状况的主要原因,就是旧唯物主义不了解现实的实践活动及其意义。唯心主义肯定了主体意识的能动性,论证了人在认识活动中是通过自身的性质和状况去把握外部对象的,但唯心主义却否定了能动的意识活动的唯物主义基础,因而只是“抽象地发展了”人的“能动的方面”。造成这种状况的主要原因,就是唯心主义也不理解现实的实践活动及其意义。

可见,旧唯物主义与唯心主义虽然各执一端,但又有共同的主要缺点,这就是,二者都不理解人类实践活动及其意义。正是由于这一主要缺点,在近代哲学中造成了唯物论和辩证法的分离;在旧唯物主义哲学中又形成了“唯物主义和历史彼此完全脱离”,即形成了唯物主义自然观和唯心主义历史观的对立。

旧唯物主义与唯心主义的主要缺点惊人的一致,促使马克思深入而全面地探讨了人类实践活动及其意义,并把马克思主义哲学规定为“实践的唯物主义”。“实践的唯物主义”这一概念所要表明的不仅仅是一种要把理论付诸行动的哲学态度,更重要的是指,实践的观点是马克思主义哲学首要的和基本的观点,实践原则是马克思主义哲学体系的建构原则。换言之,实践唯物主义构成了马克思哲学的第一个基本特征。

按照马克思的观点,实践首先是人以自身的活动来引起、调整和控制人与自然之间物质变换的过程;在这个过程中,人与人之间又必然要结成一定的关系并互换其活动。正是通过实践,人们不仅改造自然存在,而且自身也进入到自然存在之中,并赋予自然存在以新的尺度——社会性;正是通过实践,自然与社会相互作用、相互制约、相互渗透,自然成为“社会的自然”或“历史的自然”,社会成为“自然的社会”,历史成为“自然的历史”。现存世界是自然与社会“二位一体”的世界,而这个“二位一体”的基础就是人的实践活动。实践内在地包含着人与自然的关系和人与社会的关系以及社会与自然的关系,构成了现存世界的本体。

可以说,实践以缩影的形式映现着现存世界,蕴含着现存世界的全部秘密,是人类所面临的一切现实矛盾的总根源。正因为如此,马克思主义哲学把“对象、现实、感性”,“当作实践去理解”,从实践出发去反观、透视和理解现存世界,并认为“全部问题都在于使现存世界革命化”。

实践不仅构成了现有世界的本体,而且构成了人的生存的本体和存在方式。按照马克思的观点,人最初来自自然界,“人的存在是有机生命所经历的前一个过程的结果。只是在这个过程的一定阶段上,人才成为人。但是一旦人已经存在,人,作为人类历史的经常前提,也是人类历史的经常的产物和结果,而人只有作为自己本身的产物和结果才成为前提”[33]。这就是说,人是通过自己的活动自我创造、自我塑造的结果。动物是以自身对环境的消极适应获得与自然的统一,维持自己生存的,所以,动物只能成为自然界的一部分。与此不同,人是以自身对环境的积极改造获得与自然的统一,维持自己的生存并不断发展自己的,所以,人自成一类,构成了独特的人类存在。人不仅是自然存在物,而且是社会存在物;人类进化不仅仅是生物学意义上的遗传与变异,而且是历史学意义上的延续与创新。无论是前者的统一,还是后者的统一,都是在实践活动中完成的。实践因此构成了人的生存本体和存在方式。

在实践中,人是以物的方式去活动并同自然发生关系的,得到的却是自然或物以人的方式而存在,从而使人成为主体,自然成为客体。“整个所谓世界历史不外是人通过人的劳动而诞生的过程,是自然界对人说来的生成过程。”[34]这表明,实践使人与自然的关系成为“为我而存在”[35]的关系。这种“为我而存在”的关系是一种否定性的矛盾关系,即人类要维持自身的存在,即肯定自身,就要对自然界进行否定性的活动,改变自然界的原生态,使之成为“人化自然”、“为我之物”。与动物不同,人总是在不断制造与自然的对立关系中去获得与自然的统一关系的,对自然客体的否定正是对主体自身的肯定。这种肯定、否定的辩证法使主体与客体处于双向运动中。实践不断地改造、创造着现存世界,同时又不断地改造、创造着人本身。作为人的存在方式,实践当然体现着人的内在尺度以及对现存世界的批判性,包含着人的自我发展在其中。

可以看出,人与自然之间的这种“为我而存在”的否定性关系是最深刻、最复杂的矛盾关系。这种矛盾关系构成了马克思之前众多哲学大师的“滑铁卢”,致使唯物主义对人的主体性“望洋兴叹”,唯物论和辩证法遥遥相对。马克思主义哲学高出一筹的地方就在于,通过对人的实践活动及其意义深入而全面的剖析,使唯物主义与人的主体性统一起来了,唯物论和辩证法因此也结合起来了。辩证唯物主义因此构成了马克思主义哲学的第二个基本特征。

当马克思主义哲学以科学的实践观为基础把唯物主义和人的主体性、唯物论和辩证法结合起来的同时,也就实现了唯物主义自然观和历史观的统一。

按照马克思的观点,人们为了创造历史,必须能够生活;为了能够生活,必须进行物质实践,实现人与自然之间的物质变换;为了实现人与自然之间的物质变换,人与人之间必须互换其活动,并必然结成一定的社会关系。社会关系“不过是他们的物质的和个体的活动所借以实现的必然形式”[36],即使社会生产力本质上也是在人们改造自然的实践活动中形成的人的实践能力。实践是全部社会关系的发源地和全部社会生活的本质,历史本质上是人的实践活动在时间中的展开。从根本上说,社会历史就是在人与自然之间的物质变换中形成和发展起来的。在实践过程中进行的人与自然之间的物质变换形成了社会存在和发展的“永恒的自然必然性”。

正因为如此,以往的哲学家,包括旧唯物主义者把人对自然的实践关系从历史中排除出去后,只能走向唯心主义历史观;而马克思从物质实践这一现实基础出发去理解社会以及社会与自然的关系,则创立了唯物主义历史观,从而消除了物质的自然与精神的历史对立的神话,实现了唯物主义自然观和历史观的统一。人类是从自然研究领域开始自己的唯物主义历程的,但在马克思之前,在历史研究领域却是唯心主义一统天下两千年。从空间上看,唯物主义自然观与唯物主义历史观似乎相距很近,近在咫尺;从时间上看,唯物主义历史观与唯物主义自然观则相距遥远,从唯物主义自然观的形成到唯物主义历史观的创立,人类整整走了两千多年的心路历程,可谓咫尺天涯。

唯物主义历史观始终站在现实历史的基础上,“从物质实践出发来解释观念的形成”,并发现“人创造环境,同样,环境也创造人”,发现人的实践活动“是整个现存的感性世界的基础”[37]。因此,唯物主义历史观的创立,从根本上科学地解答了思维与存在、主观与客观、主体与客体的关系,科学地解答了人与自然的关系和人与社会的关系,即人与世界的关系。在这个意义上,唯物主义历史观又是唯物主义世界观,一种“真正批判的世界观”[38]。“自从历史也得到唯物主义的解释以后,一条新的发展道路也在这里开辟出来了。”[39]离开了历史唯物主义,就不可能产生辩证唯物主义。历史唯物主义因此构成了马克思哲学的第三个基本特征。

由此可见,实践的观点的确是马克思哲学首要的和基本的观点。在哲学史上,马克思第一次把实践提升为哲学的根本原则,转化为哲学的思维方式,从而创立了实践、辩证、历史的唯物主义。实践唯物主义、辩证唯物主义、历史唯物主义不是“三个主义”或“两个主义”,而是同一个“主义”,即马克思的新唯物主义的不同表述。用实践唯物主义称谓马克思主义哲学,是为了透显马克思主义哲学所内含的实践维度及其首要性和基本性,因为“对实践的唯物主义者即共产主义者来说,全部问题都在于使现存世界革命化,实际地反对并改变现存的事物”[40];用辩证唯物主义称谓马克思主义哲学,是为了透显马克思主义哲学所内含的辩证法维度及其批判性和革命性,因为“辩证法在对现存事物的肯定的理解中同时包含对现存事物的否定的理解……按其本质来说,它是批判的和革命的”[41];用历史唯物主义称谓马克思主义哲学,是为了透显马克思主义哲学所内含的历史维度及其彻底性和完备性,因为马克思唯物主义的彻底性和完备性集中体现在历史唯物主义中。

从根本上说,理论上的任何一种重新解读、重新研究、重新建构都是由现实的实践所激发的。对马克思主义哲学基础理论的研究也是如此。对于我们来说,正是当代中国的改革开放和现代化建设,尤其是社会主义市场经济的实践促使我们重新研究马克思主义哲学基础理论。正是在社会主义市场经济的实践中,我们真正理解了“物质生活的生产方式制约着整个社会生活、政治生活和精神生活的过程”,真正理解了市场经济是“以物的依赖性为基础的人的独立性”的时代,真正理解了“重建个人所有制”和“确立有个性的个人”的真正含义,真正理解了促进人的全面发展以及以人为本的极端重要性……一句话,马克思主义哲学仍具有“令人震撼的空间感”。在当代,无论是用实证主义、结构主义、新托马斯主义,还是用存在主义、弗洛伊德主义、解构主义乃至现代新儒学来对抗马克思主义哲学,都注定是苍白无力的。在我们看来,这种对抗犹如当年的庞贝城与维苏威火山岩浆的对抗。

一个伟大的哲学家、思想家逝世之后被神化在历史上是常见的。释迦牟尼不用说,即使孔子也被请进庙里,像神一样被供奉起来,享受春秋二祭。马克思不同于历史上的任何哲学家、思想家,但他的思想同样存在着被“神化”或“钝化”的危险。在这次马克思主义哲学基础理论研究的过程中,我们深刻地认识到:不能把马克思主义哲学“神化”即教条化,把马克思主义哲学变成一个无所不在、无所不包、无所不能的绝对真理体系。自诩为包含一切问题答案的学说,不是科学,而是神学。历史已经证明,凡是以绝对真理自诩的思想体系,如同希图万世一系的封建王朝一样,无一不走向没落;同时,也不能把马克思主义哲学“钝化”,即磨掉马克思主义哲学的批判性和革命性的锋芒,将其变成一个“价值中立”、无任何立场的“讲坛哲学”、“论坛哲学”、“知识体系”,这实际上是把马克思主义哲学“贵族化”。我们必须明白,马克思主义哲学是一种批判哲学、实践哲学,其宗旨就是通过“革命的、实践批判的活动”改变世界,实现无产阶级和人类解放,实现人的自由而全面发展。抽去这一点,也就抽掉了马克思主义哲学的“根”与“魂”。无论是“神化”,还是“钝化”、“贵族化”,实质上都是对马克思主义哲学的抽象化,都同马克思主义哲学的本性格格不入。

1883年3月17日,恩格斯在悼念亡友马克思的演说中指出:“正像达尔文发现有机界的发展规律一样,马克思发现了人类历史的发展规律”,“不仅如此。马克思还发现了现代资本主义生产方式和它所产生的资产阶级社会的特殊的运动规律”。马克思是一个科学家,但“马克思首先是一个革命家。他毕生的真正使命,就是以这种或那种方式参加推翻资本主义社会及其所建立的国家设施的事业,参加现代无产阶级的解放事业,正是他第一次使现代无产阶级意识到自身的地位和需要,意识到自身解放的条件”[42]。恩格斯的这一评价,极其公正而准确。我们应当明白,马克思是科学家和革命家的完美统一,马克思的“两大发现”以及哲学批判与资本批判具有内在的关联,马克思主义哲学是无产阶级的自我意识。马克思主义哲学批判的是资本主义,关注的是人的生存的异化状态的消除,以实现无产阶级和人类解放。只要资本主义存在着,只要人的生存的异化状态没有被消除,马克思主义哲学就必然存在着,并以强劲的姿态参与并推进着人类历史进程。在这次编写“马克思主义哲学基础理论研究”丛书的过程中,我们深深地体会到什么是“死而不亡”。马克思“死而不亡”,马克思主义哲学仍然是我们时代的真理和良心。

袁贵仁 杨耕

2012年11月于北京

[1] 《马克思恩格斯全集》第46卷上,103页,北京,人民出版社,1979。

[2] 《马克思恩格斯选集》第1卷,287页,北京,人民出版社,1995。

[3] 同上书,274页。

[4] 同上书,2页。

[5] 《马克思恩格斯全集》第2卷,161—162页,北京,人民出版社,1957。

[6] 《马克思恩格斯全集》第2卷,160页,北京,人民出版社,1957。

[7] 《马克思恩格斯选集》第1卷,15、16页,北京,人民出版社,1995。

[8] 《马克思恩格斯选集》第1卷,67、68页,北京,人民出版社,1995。

[9] 《马克思恩格斯全集》第42卷,99页,北京,人民出版社,1979。

[10] 《马克思恩格斯选集》第1卷,77页,北京,人民出版社,1995。

[11] 《马克思恩格斯选集》第1卷,75页,北京,人民出版社,1995。

[12] 同上书,55页。

[13] [德]海德格尔:《路标》,137页,北京,商务印书馆,2001。

[14] 《海德格尔选集》上卷,84页,上海,上海三联书店,1996。

[15] 《马克思恩格斯全集》第2卷,159页,北京,人民出版社,1957。

[16] 《马克思恩格斯选集》第1卷,2页,北京,人民出版社,1995。

[17] 《马克思恩格斯全集》第46卷上,111页,北京,人民出版社,1979。

[18] 《马克思恩格斯选集》第1卷,98页,北京,人民出版社,1995。

[19] 陈越:《哲学与政治:阿尔都塞读本》,238—239页,长春,吉林人民出版社,2003。

[20] [法]阿尔都塞:《哲学的改造》,载《视界》,第6辑,168—169页。

[21] 《马克思恩格斯选集》第1卷,72页,北京,人民出版社,1995。

[22] 《马克思恩格斯全集》第23卷,92页,北京,人民出版社,1972。

[23] 《马克思恩格斯全集》第46卷上,43页,北京,人民出版社,1979。

[24] 同上书,44页。

[25] 《马克思恩格斯全集》第46卷上,212、518页,北京,人民出版社,1979。

[26] 《马克思恩格斯全集》第25卷,920页,北京,人民出版社,1974。

[27] 《马克思恩格斯全集》第13卷,23页,北京,人民出版社,1962。

[28] 《马克思恩格斯全集》第46卷上,45、392—393页,北京,人民出版社,1979。

[29] 同上书,235—236页。

[30] [法]阿尔都塞:《读〈资本论〉》,215页,北京,中央编译出版社,2001。

[31] 《马克思恩格斯全集》第23卷,18页,北京,人民出版社,1972。

[32] 《马克思恩格斯选集》第1卷,78页,北京,人民出版社,1995。

[33] 《马克思恩格斯全集》第26卷Ⅲ,545页,北京,人民出版社,1974。

[34] 《马克思恩格斯全集》第42卷,131页,北京,人民出版社,1979。

[35] 《马克思恩格斯选集》第1卷,81页,北京,人民出版社,1995。

[36] 《马克思恩格斯选集》第4卷,532页,北京,人民出版社,1995。

[37] 《马克思恩格斯选集》第1卷,92、77页,北京,人民出版社,1995。

[38] 《马克思恩格斯全集》第3卷,261页,北京,人民出版社,1960。

[39] 《马克思恩格斯选集》第4卷,228页,北京,人民出版社,1995。

[40] 《马克思恩格斯选集》第1卷,75页,北京,人民出版社,1995。

[41] 《马克思恩格斯选集》第2卷,112页,北京,人民出版社,1995。

[42] 《马克思恩格斯选集》第3卷,776、777页,北京,人民出版社,1995。